猫の死因は外傷だった。
寝ているところを後ろから棒か何かで叩かれたのだろう。
もし、十分な食事が与えられていたなら、近づかれた時点で気づいて、躱すこともできたかもしれない。
触れると微かな熱が残っている、冷え切ってはいないけれど。もう息はない。
「あ、あ」
フェーデは猫を抱きしめた。
体温が死体を温めるが、息を吹き返すことはない。
「ああああ」
一緒に過ごした日々を思い出す。ろくにいいことはなかった。何もしてあげられなかった。ここから逃がしてあげることもできなかった。
この子は一体、何の為に生まれてきたの?
その言葉は猫に向けられていたが、石床に落ちた音は反射して自分に返ってきた。
何度か、同じ言葉を、繰り返す。
「わたしも同じなのに」
猫をかわいそうだと思っていれば、自分自身の境遇から視線を外すことができたのだ。それはほんの一時的なものだったが、自分自身の人生よりも大切なものがあるという事実は、フェーデに勇気を与えていた。
でも、もう猫は死んだ。小さな勇気は砕け散った。
残されたのは自分だけだ。
「なんで、わたしはちがうと思っていたのかな」
猫が冷えていく。
きっと、この猫はわたしの未来だ。
絶望の重さに心が軋む。
それでも、せめてこの猫を埋葬したい。外の世界に返してやりたいと願った。
どうせわたしは助からない。
でも、せめて。
その時、見計らったように地下室の扉が開いた。
継母がわざとらしく叫ぶ。
「きゃー! この子、猫を殺しているわ!!」
予定されていたように使用人が集まり、棒読みのセリフを言う。
「なんと邪悪な」「人の心がない」「なんてことを」「性根が曲がっている」
ちがう、ちがうちがうちがう。
わたしはそんなことしない、だってこの子のためにわたしは。この子だけがわたしの大切な。宝物だったの。なんで、そんなこと言うの? 犯人は誰なの? 誰がこんなことをしたの!?
錯乱した幼女を見て、大人達がほくそ笑む。
失意に沈む義娘の瞳を見て、継母は満足げに微笑んだ。
『子供が知恵でかなうものか!』
声が聞える。
誰もそんなこと言っていないのに、あの継母から声が聞える。
物語が見える。
大人達がひとつの物語を共有して、その筋書き通りに動いているのが見える。
「お前が殺したんだろう!」
ところどころ物語が破綻していても、追求する時間はない。
何かを発する時間は与えられない。
まるで決められたことのように会話は進行し、勝手に事実が積み上げられる。
言ってないことを言ったと言われる。
どうにか口にしても、聞かないふりをされれば何も言っていないのと同じだ。
勝手に大人達の物語の中に組み込まれ、やってもいないことをしたことにされる。
誰もフェーデを信じてはくれない。
誰も助けてはくれない。
誰も愛してはくれない。
猫は死んだ。
筋書きを読む、流れを掴む。
とめどなく溢れる悪意は隠す気もなく撒き散らされている。
読み解くまでもなく、犯人はわかっていた。
「あなたが、あなたが猫を、ころしたんじゃない!」
大人達がまぁと口に手を当てる。
わざとらしい動きだった。
「なんてこと、言いがかり姫《フェーデ》が言いがかりをつけているわ!!」
失笑が響いたあと、笑い声は合唱になった。
「言いがかり姫《フェーデ》が言いがかり《フェーデ》してる!」
笑いを堪えながらそう呟く大人たちをみて気づく。
あのわかりやすい悪意は釣り餌だったんだ。
このセリフを言うための、わかりきった伏線で、わたしは台本の上で操り人形にされている。
ああ、そうか。
真実なんて何の意味も無いんだ。
正しさに意味は無く、知恵も、心も、踏みにじられて。
ただひたすらに、いわれのない罪を着せられる。
奪われた猫は無理矢理口を開かれ、フェーデの悪口を言わされた。
力で大人に勝てるわけもなかった。くだらない物語は継母たちが飽きるまで続く。
悔しい、悔しい、悔しい。
悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい。
自分が自分(フェーデ)であることが、たまらなく悔しい。
辱められて流す涙すら、容赦なく体温を奪っていく。
冬が来たのだ。
これまでの寒さは秋のもの。
凍えるのはこれからだった。
寒空の下。
猫は川に投げ捨てられた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!