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虐待の日々、凍える冬は、思い起こせばあっという間だった。
当時のフェーデからすれば永遠とも思える長い時間だったのにそう感じるのは、思い返せることが少ないからだろう。
断片的な記憶には細かな矛盾があり、大部分は端折られ、カットされていた。
名前を取り戻しても、思い出したくないことはあるのだ。
今でも心の底に凍り付き、沈黙する記憶たち。
それらを一言にまとめるなら「いろいろ足掻いた」といった所かもしれない。
記憶の矛盾は心身が疲弊していたからだろうとフェーデは考えていたが、実際は少し違う。
彼女が受けた虐待は人間が耐えられるものではなかったので、ほとんどのフェーデは地下で死亡し、時を繰り返している。繰り返して繰り返して、たまたま生き残っただけだ。
その度に近い記憶が混ざり合い、どのループの記憶か曖昧になったことで矛盾が生まれているわけだ。
フェーデが生きている理由をあげるなら、それは遙か以前、数え切れないほど前のループでかけられた氷の魔法が、時を超えてなおフェーデの心を守り続けたからだろう。
しかし、魔法もあくまで有限だ。
永劫の時の前ではあらゆるものは解かれることなく失われる。
魔法はかけ直さなければならない。
さもなければ氷の魔法は失われ、心は痛みに耐えきれず、止まらぬ血の海に溺れることになるからだ。
魔法使いがやってくる。
彼はループのことを知らない。フェーデのことを知らない。魔法をかけ直さなければならないということを知らない。
それでも、それなのに。
この時期になると、魔法使いがやってくる。
本人からすればただの偶然であり、たまたまであり、必然性はない。敵国ランバルドから情報を奪うために潜入したのがヴィドール家だったというだけ。
一度や二度ならばありうるかもしれない。
しかし、果てしなく繰り返すループのすべてで、魔法使いはやってきた。
それは繰り返しているフェーデにしかわからない。
偶然にしてはあまりにも出来すぎたもの。
「これは酷い」
魔法使いは必ずそう口にする。
そうして、継母をうまく遠ざけ、わたしに魔法をかけてくれる。
見ているこちらが痛々しくなるような悲痛な瞳で。
それでも優しい顔をしようとしながら、すべての痛みを凍らせてくれる。
それどころか戦争を停め、王子様になって、わたしの傍にいてくれる。
あの家から遠く離れた。大きな城で大切にしてくれる。
信じて、助けて、愛してくれる。
それはまるで死にかけの小娘が抱く、ばかばかしい夢みたいな筋書き。
ありえないと思っていても。
何度繰り返しても、何度何度繰り返しても、魔法使い《アベル》はわたしを助けようとしてくれる。
一体なぜなのか。
そんなことを問うても、意味はないのだろう。
ここまで繰り返して変わらないのなら、もはやそれは運命と呼べるもの。
川が上から下に流れるように、自然なことと考える他なかった。
不在城の寝室で目を覚ます。
熱にうなされていたのか、寝間着に汗をかいていた。
ふと隣を見ると、アベルがこちらを見ている。机上の布と水盆、グラスと水差しを見るに看病していたのだろう。
視線が合って少しおもはゆい。
恥ずかしくなって視線を外し、目をつぶる。
聞いておきたいことがある。意味がないとは思っていても、聞かずにはいられないことが。
「ねえ、アベル。アベルはなんでわたしのことが好きなの? なんでこんなによくしてくれるの?」
こんな自分になぜ?
不安を吐露するその声にアベルが答えた。
「ん、そうだな。君が君だからかな」
迷いはなかった。
風が吹けば木枝が揺れるように、当たり前のことだとでも言いたげだった。
「なによそれ。よくわかんない!」
怒るフェーデにアベルが「よかった元気になってきたね」と笑う。
笑われているのに不思議と嫌な感じはしなかった。
あの人達とは違う。
これはフェーデも気づいていないことだが、この世界に生きるものは皆、時を繰り返している。
たとえ時の摩擦に記憶を焼かれても、過去は変わらず。無かったことになんてならなかった。
思い出せないほど僅かに残った記憶の残滓が、ただひたすらにフェーデを救い続けた魔法使いの執念が、焼き切れながらも運命となった。
真相はそんなところである。
「そうだ、いいものを用意しているんだ。ミレナ持って来てくれ」
「かしこまりっす」
控えていたミレナが敬礼して出て行く。
「え、何。どんなもの?」
「内緒、来てのお楽しみ」
いたずらに笑うアベルに十歳の少女が甘える。
「えー、ずるいずるい。教えて!」
表情豊かなその姿は、まるで春の訪れのように見えた。