「あの子ね、つい最近まではずっと女の子と2人で一緒に登下校しててね。そりゃあもう元気のいい子だったんだよ。その友達がうちのアパートに住んでた子でさ、毎朝インターホンも鳴らさずに大きな声で叫んでね。あんちゃんも声くらいは聞いたことあるだろう?」
「あの毎朝八時ぴったしに迎えにくる子ですよね。そういえば、最近聞かなくなりましたね…。」
「ああ。先週その女の子が引っ越しちゃってね。それからずっとあの調子なのさ。この前気にかけて声をかけたんだけどね、あたしのことを見向きもせずに知らんぷりだよ。子どもにとっての引っ越しってのは二度と会えないも同然だからね。よっぽど気が滅入っているんだろうよ。」
「僕と…同じですね…。」
「そうだろう?あの子は、自分のことをひとりぽっちだと思い込んでいる。学校の先生や同級生だって、きっとあの子を心配して、あたしみたいに優しく声をかけてかけてくれているはずだよ。でも、あの子は一人で殻に閉じこもって抜け出せずにいるんだ。あんちゃんには、あの子がひとりぽっちに見えるかい?」
「いえ…。あの子には、僕と違って心配してくれる大人がいます。同級生がいます。きっと、ひとりぽっちなんかじゃないはずです。」
「そうだね。客観的に見たらあの子はひとりぽっちなんかじゃない。ただ、本人はそうやって思い込んでしまってるんだ。」
………。
「あんちゃんも同じだよ。あんちゃんも、一人ぽっちなんかじゃない。あたしはこの一年間、必死に立ち直ろうと頑張っているあんちゃんの姿を見てきた。あたしも変なところ意地っ張りだからさ。変に手を出してもいけないと思って、せめてもの手助けとしてこの味噌汁を毎朝届けにきてたんだよ。ちゃんと生きているかの確認も兼ねてね。あんちゃんがどれだけ辛い思いをしているかは分からない。何の理由があってあの日身を投げたのかもあたしは知らない。だけどね、例えどんなことがあっても、あたしはあんちゃんの味方だよ。だから、あんちゃんだって一人じゃない。」
その言葉が、同情やありきたりな綺麗事を並べた偽善じゃないことは、大家さんの真っ直ぐな眼差しからひしひしと伝わってきた。
その表情を見た瞬間、今まで必死に堪えていた感情が雫となって目から次々と零れ落ちていった。肩を揺らしながら、膝から崩れ落ちていく感覚。大家さんの放った言葉は、間違い無く僕の心の奥深くに響いていた。こんな気持ちいつぶりだろうか。今ごろ僕の顔は、きっと今ごろ生まれたての赤子のようにしわくちゃになっているだろう。
「ありがとう…ございます…!」
ありがとう。そんな言葉は久しぶりに言った気がする。
「あんちゃん。今、いい顔してるよ。いつものいつ死んでもおかしくない悲壮感丸出しの顔じゃなくて、今の顔はちゃんと生きている人間の顔だ。」
「こんな…ぐしゃぐしゃな顔がですか…?」
「そうさ。そんな顔、生きている人間にしかできないよ。あんちゃんは、間違いなくここで今生きている。その気持ちを大事にしな。」
「ありがとうございます…!」
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