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「贖罪の海」
曇り空の下、碧(あおい)は波の静かな防波堤に座っていた。潮の香りが胸にしみる。毎年この季節になると、こうしてひとり海を見つめるのが習慣になっていた。
心の奥には消えない悔いがある――あの日、親友であり、誰よりも大切だった湊(みなと)を傷つけてしまったことだ。
***
あれはまだ、高校最後の冬だった。二人は小さな町の高校で同じバスケ部に所属し、いつもつるんでいた。湊は明るく社交的で、誰とでもすぐ打ち解ける。碧は不器用で、感情を表に出すのが下手だったが、湊だけはなぜか碧の本音を引き出してくれた。
そんな湊に、碧はずっと複雑な思いを抱いていた。それは友情とも違う、熱を孕んだ感情――けれど、それを言葉にする勇気はなかった。
卒業を目前に控えたある日、碧は自分の小さな嫉妬心から、湊にひどい言葉をぶつけてしまう。
「どうせお前は、誰とでも仲良くできるんだ。俺がいなくたって、きっと平気なんだろ?」
湊は驚いたような顔で碧を見つめ、何も言わずに立ち去った。その背中が今も、碧の脳裏に焼き付いて離れない。
***
卒業後、湊は都会の大学へ、碧は地元の工場に就職した。連絡はいつからか途絶え、会うこともなくなった。碧は湊に謝りたい、けれど過去の自分を許せず、連絡を取る勇気も持てないままだった。
それでも毎年、二人でよく語り合ったこの海へやって来ては、寄せては返す波に、言えなかった「ごめん」を吐き出していた。
「……湊、ごめんな。」
風の中で呟くだけの日々が続いた。
***
数年が過ぎたある夏、碧のもとに一本の電話がかかってくる。ディスプレイには、見覚えのある番号――湊だった。
緊張で手が震えた。それでも受話器を取る。
「碧?急にごめん、今、町に帰ってきてるんだ。少しだけ話せないかな」
待ち合わせ場所は、昔二人でよく通った海辺の喫茶店だった。
湊はかつてよりも少し大人びた表情で、真面目な顔をしていた。
「……久しぶりだな。」
「うん、久しぶり。」
気まずい沈黙が流れる。けれど、目を合わせると、あの日の自分たちに戻れそうな気がした。
やがて湊が切り出す。
「実は、ずっと気になってたことがあるんだ。あの日、どうしてあんなことを言ったの?」
碧の胸が痛む。けれど、これがきっと自分の「贖罪」の機会なのだと思った。
「俺……お前のことが、友達以上に好きだった。でも、それが言えなくて……。お前が他の奴と仲良くするたび、ひどく嫉妬して、苦しくて……。自分でもどうしようもなかったんだ。」
静かに頭を下げる碧。
「ごめん。本当にごめん。あんな風に傷つけてしまって、ずっと後悔してた。」
湊はしばらく何も言わなかった。だが、やがて優しい声で答える。
「……あの時は、俺も混乱して、どうしたらいいかわからなかった。でも、あの言葉がなかったら、きっとここまで自分の気持ちに向き合えなかったと思う。俺も、碧のことが……好きだったから。」
その言葉に、碧は初めて「贖罪」とは、後悔して自分を責め続けることじゃないのだと気づいた。真実と向き合い、心から謝り、そして「これから」を選び取り続けることなのだと。
「もう一度、やり直せるかな。」
恐る恐る手を伸ばすと、湊はそっとその手を握った。
海は、今日も静かに波を寄せていた。忌まわしい記憶を、やさしく洗い流しながら。
二人は、あの日の「ごめん」の向こう側へ、少しずつ歩き出した。