ロ兄鬼rdpnの学生時代
rd side
最初は何気ない会話のはずだった。両親との会話、極普通の日常生活。まぁ、実際にそんな事を体験した覚えは無いのだが。
『医者になりなさい』
いつも両親からそう言われるのが癪で、気持ちが悪く感じた。優秀な家系は外面だけは持てはやされ、家庭内じゃ こうも押し付けがましいお粗末なものだった。いつもなら適当に聞き流して、その場凌ぎの言葉で場を収めていたのだが、今日は何を思ったのか少しヤンチャしてしまった。
「またですか」
嫌悪混じりのぶっきらぼうな言葉が、思わず口に出た。すぐにハッとしたが既に手遅れだった、舌打ちが出そうになるのを抑えながら両親の様子を伺う。予想通りというかなんというか、父は怒った様な顔をしており、母は哀しげ…というよりも、呆れた様な顔をしていた。しくじったなぁと思いながらも、頭の中は明日の天気はなんだろう としか考えていなかった。
晴天な昼下がり、下駄箱で靴を履き替えながらスクールバッグの紐を握っていた。今日は早く授業が終わったが、帰るのはほんの少し憂鬱だった。家に帰ったって両親の小言がうるさいだけだし、そもそも俺は医者になんて──
「らだぁ?」
「…おー、天乃」
馴染みのある声で遮られた思考は放棄し、背後に居た彼に視線を向ける。天乃絵斗、小学校からの幼馴染で元気でうるさい奴だ。だが、その騒々しさを本気で嫌だと思った事はなかった。
「ぼーっとしてないで、早く帰ろ!」
既に靴を履き替えていた天乃は俺を待っている、なんて横暴なやつなのだろうか。一緒に帰る前提の会話、相手は断られるなんて事すら頭に浮かんでこないのだろう。その能天気な頭を指差して笑ってやりたいと同時に、ほんの少し羨ましくも思った。ほんの少しだけ。
彼はくだらない考えを消しながら靴を履き替え、上履きを下駄箱にしまう。気持ちを切り替えながらスクールバッグの紐を肩にかけ、天乃の方に向き直った。
「お前今日は補習じゃなかったっけ?」
「…まぁ??早く…終わったんだよ」
「何だサボりかよ」
「ちげーし!!」
二人は他愛もない話をしながら学校を後にし、馴染みのある帰り道を歩いていた。彼が『赤点ギリギリだったじゃん』と付け加えれば、天乃はずさんな屁理屈で言い訳をしていた。どうせ嘘なのだろうと分かりきっていても、それを実際咎める事はなかった。こちらにとって何か害をなす訳でもないし、天乃の成績が悪くてもどうでもいい事だった。
夏の気温は相変わらずの暑さで、憂鬱な気分が全身に浸透するだけだった。彼らはのんびりと話し、笑い、アスファルトの上を気だるげに歩いていく。とはいえ彼はほとんど天乃の話は聞いておらず、家に帰った時の事しか頭になかった。それを見兼ねたらしい天乃が、少し眉をひそめながらこちらの顔を覗き込んできていた。
「今日なんか元気ないよな、大丈夫?」
天乃はさり気ない口調で言っているつもりなのだろうが、僅かな心配が言葉の節々に滲み出ていた。彼は『心配されている』という事実を鼻で笑いながら、道端の小石を軽く蹴った。彼はそんなヤワじゃないと理解しているだろうに。一々心配してくる天乃に対し、少しも苛立たないと言ったら嘘になる。だが、こんなにも些細で理不尽な怒りを友人に向けるのは間違っている と自制した。彼は家近くの歩道が見えてくると、ほとんど気付かれないような静かな息を吐いた。
「へーきへーき、ンじゃ俺こっちだから。また明日なー」
彼は生半可な笑顔を見せてから、すぐに顔を逸らして天乃から離れる。家に向かうまで足取りが重く感じた。無意識に出ている家に帰る事への拒否反応だろうが、気のせいだと無視しようとした。でも次は腕に重みを感じた、まるで後ろから引っ張られたような重さだった。否、実際誰かに引き留められたのだ。
彼が後ろを振り返れば案の定、天乃がこちらの腕を掴んでいた。天乃は気まずそうな表情で俯いていたが、顔を上げた瞬間目が合い 視線が絡まった。数秒の不快な沈黙が続き、彼は痺れを切らして何か言おうとしたが、それよりも先に口を開いたのは天乃の方だった。
「あのさ!今日は…もう少し寄り道しない?最近遊んでなかったし、近くの駄菓子屋にでも行こうぜ!それと、あと…あとは……」
こちらのを腕を掴んだままの言葉選びが下手な友人を、彼は静かに見下ろしていた。嗚呼、あの天乃に慰められ気を遣われている。そう認識した途端、何とも言えない気持ちが湧き出た。
「天乃」
友人の言葉を遮るように名前を呼べば、天乃は我に返ったかの様に掴んでいた腕を放した。怒られると思っているのか いつも自信家な天乃の縮こまった姿は、まるで小動物のようだった。彼は大袈裟にため息をついた後、ニヤリとした笑みを浮かべて天乃の肩に片手を置いた。
「お前が奢れよ」
そう言ってやれば 天乃は予想と違っていた返事に少し唖然としていたが、すぐこちらに笑い返してきた。いつもの太陽のように人懐っこい笑顔だった。
「…しゃあねぇから今日は奢ってやるよ!」
彼は天乃の返事に満足したかのように、肩から手を離した。
本当は怒鳴りたかった。大して家庭事情も知らない癖に 俺の気持ちに踏み込んでくるなと、感情に任せて言ってやりたかった。それでも実際に出た言葉は違っていた。仮に彼が怒鳴ったとしても、愚かな友人は怯む事はなく向き合ってくるだろうと思った。天乃は頑固でお節介焼きで、そして憎い程のお人好しなのだと 彼が一番理解していた。
「じゃ、ついでに前食べたチョコアイスも奢って」
「え゛っ!それ地味に高いじゃん!!」
「男に二言は無いだろ」
わざと煽るような言葉を使えば、天乃は要求を飲み込む得ざるおえない。彼はそれを知っているし、天乃自身も言動を取り消すような情けない真似をすることは無かった。
「くっそ…俺のお小遣い…」
ぶつぶつと呟きながら悶々としている天乃を尻目に、彼は軽やかな足取りで駄菓子屋までの道を歩いた。家から遠のく安堵感、後ろから慌てて追いかけて来る友人。この状況の全てに、肩の力が抜ける程の安心感に襲われた。
この先もこれからも、友人との平穏な日々が続けばいいのに と静かに心の中で願った。
そんな事が到底叶うはずがないと理解していても。
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