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ベアト相撲を取る
一の橋通りのももんじ屋の前を通り過ぎると、与兵衛鮨がある。その先を右に曲がると回向院に続く参道だ。入り口には高さ五丈二尺の櫓太鼓が高々と組まれ、寄せ太鼓が鳴らされていた。
周辺には力士の四股名を染め抜いた幟が立ち並んでおり、葦簀よしず張りの相撲小屋の前には長蛇の列が出来ている。
「あの後ろに並ぶのか、目立っちまうぞ」一刀斎が辺りを気にしながら言った。
「ここで待ってろ、儂が札場ふだばに行って話をつけて来る」
慈心が相撲見物の客を掻き分けて札場に近づいた。
「おい、爺さんちゃんと並べ!いくら侍ぇだからって横入りは許さねぇぞ!」
仕事をサボって観に来たのであろう、職人風の男が文句を言った。
「黙れ!こっちはやんごとなきお方をお連れしておるのじゃ、お前達下々の者と一緒にするで無い!」慈心が上級武士の家臣風に威張って見せる。
「何を!侍ぇが怖くって鰻の蒲焼きが食えるかってんだ!」
「なんで、侍が鰻の蒲焼きなんじゃ?」
「知らねぇのか?最近の江戸の鰻は背開きにして串を二本打つんだよ。侍ぇは二本差しじゃねぇか、田舎侍が!」
「ほう、上手い事を言いおる」
「感心したって許してやんねぇぞ!」
その時、相撲小屋の方から勧進興行の元締めの若い衆がバラバラと駆け寄って来た。
「おい、何騒いでやがる、おとなしく待っていねぇと木戸札売ってやらねぇぞ!」
縞の単衣を尻端折りにした、兄貴分らしき男が怒鳴った。
「何って、この爺いが横入りしやがるからよぅ・・・」
慈心に文句を言っていた職人風の男が尻すぼみに申し立てた。
「儂は、名は明かせぬが、さる御大名家のやんごとなき御身分の方をお連れ申しておる側用人じゃ。松金屋主人辰三より知らせの者が来ておるはずじゃが?」
兄貴分らしき男は、急に腰を折り頭を下げた。
「へい、伺っておりやす。松金屋さんからは、大切なお客様だからくれぐれも粗相のないようにと・・・」
「それは重畳、早速案内して貰おうか」
「お連れ様はどちらに?」
「あれにおわす・・・」
慈心が参道に立って待っているベアト一行を手で指し示した。
「おい、こちらへご案内申し上げろ!」兄貴分が弟分の一人に言いつけた。
弟分は、へい!と言うと駆け出して行った。一刀斎が対応して一緒にこちらに向かって歩いて来る。
「では、ご案内致しやす」
兄貴分が先に立って歩き出す。一行は若い衆に守られるようにして入り口の低い木戸を潜った。
「チッ!」
慈心に文句を言っていた職人風の男は、舌打ちして見送るしか無かった。
*******
木戸を潜ったそこは異世界の空間だった。正確には腰を屈めて木戸を潜らせることで、異世界を演出しているのだろう。
敷地の中央に相撲場があり、二重土俵が設られていた。土俵の四方には四本の柱が立っており、それぞれ白虎・玄武・朱雀・青龍の四神を表している。
土俵周りには土間席が設けられており、可能な限り客を詰め込めるような仕組みだ。
その土間席を囲うように桟敷席が設けられていて、土俵上の取り組みが見やすいように一段高くなっている。ベアト一行は梯子を上って桟敷席の一つに座を占めた。
「さすが花相撲だ、女の客が多くて華やかじゃねぇか!」
「力士たちも本場所とは違う意味で張り切っておる事じゃろうな」
「アレハナンデスカ!」ベアトが突然声を上げた。
「しっ!大きな声を出すねぇ、周りの客にあんたが異人だって気付かれっちまう!」
「オオ、コレハシツレイシマシタ、チョットフシギダッタノデ・・・」
ベアトが声を落とした。
「で、何の事だ?」
「アレデス・・・」ベアトが土俵を指差した。「ハシラニ、カタナガククリツケテアリマス?」
「ああ、あれか・・・」一刀斎がベアトを見た。「取り組みが始まったら、あの柱の下に一人づつ審判が座るんだ。力士が土俵上で悶着を起こした時にはあの刀を抜いて割って入る為だ」
「オー!エキサイティング!」
「エ、エキ・・・なんだって?」
「アァ、トテモコウフンシマ〜ス!」また声が大きくなっている。
「ダメだこりゃ・・・」一刀斎がため息を漏らす。
だが、一刀斎の心配も杞憂に終わった。力士が入場すると客席が一気に沸き立ったからだ。
特に女たちの黄色い歓声は耳を聾すようだ。ローラとルナはと見ると、裸の大男たちを前に、目のやり場に困っている。ルナの隣に座っている志麻が、細竹に刃を仕込んだ杖を握りしめて俯いていた。
「おい、志麻どうした、気分でも悪いのか?」
「い、いや・・・」
見ると耳朶が真っ赤だ。
「なんだ、お前ぇ男の裸見るの初めてか!」
「馬鹿!おっきな声出さないでよ!」志麻が上目遣いに一刀斎を睨んだ。
「おっと・・・」
「ローラ、ルナ、チャントミナサイ、スモウラスラ(相撲レスラー)タチノユウシヲ!」
ベアトが妻子を叱っている。
「お前ぇも顔あげてちゃんと見な。そんなんじゃ敵がどこにいるか分かんねぇだろうが」
「わ、分かってるわよ・・・」志麻がプイと一刀斎から目を逸らす。
「おい、あそこを見ろ・・・」
慈心が二人に注意を促した。慈心の視線の先に、ジッとこちらを凝視する力士の姿がある。
「あれは大関の電昇竜じゃねぇか?」一刀斎が訝しむ。「なぜ、あんなにこっちを見ているんだ?」
「一刀斎、大関の後ろにいるやつを見てみろ、さっき儂に因縁をつけて来た職人じゃ」
「何かコソコソ大関に耳打ちしているぞ」
「あら?大関が頷くと男が離れて行った・・・」
「もう、大関はこっちを見もしねぇ」
「気のせいじゃったか?」
「分からねぇ、だが用心に越した事は無い。奴らから目を離すな」
「了解・・・」
三人は周りに目を配りながらも、電昇竜の動きにも注意を払う事にした。
取り組みは滞りなく進み、間も無く仲入りとなる。白熱した取り組みにベアトはすっかり満足し興奮していた。
「スバラシイ、スモウトッテモオモシロイ! 」
「当たり前ぇだ、ここには日本中から怪物たちが集まってるんだ。それに、皆、故郷の名誉を背負って戦っているんだぜ、面白くねぇ筈はねぇだろう!」
「ワタシニホンジンチイサイオモテマシタ、デモ、ワタシノクニニモアンナオオキイヒト、ソウハイマセンネ!」
「待ってろ、今にもっと強ぇ力士が登場するから」
「オオ、タノシミデ〜ス!」
「でも、ローラさんとルナちゃん、なんだか怯えた顔してるわねぇ」
「そうじゃな、目の前で裸の大男たちが全力でぶつかり合うんじゃ、無理は無い」
「どうにかならないかしら?」
「待ってろ、今から『初っ切り』が始まる」
「初っ切り?」
「うむ、力士たちが相撲の決まり手や禁じ手を面白おかしく解説してくれる余興のようなものじゃ」
「ふ〜ん、そうなの?知らなかった・・・」
「見ろ、幕下の力士が二人土俵に上がる所だ・・・」
慈心が指を差したその時、力士の一人が俵を踏み外してスッテンコロリンと転がった。
場内から大爆笑が沸き起こる。
ローラとルナが思わず顔を見合わせた。
ようやく土俵に上がった力士は、塩を大量に土俵にぶちまけたり、仕切り線を大きく超えて睨めっこをしたり、踏み込んできた相手を馬跳びの如く飛び越えたりとやりたい放題の大暴れだ。
場内は野次や笑い声が飛び交い、一気に和やかな雰囲気に包まれた。
最後に相手の尻を蹴っ飛ばし、土俵下に蹴り落とすと、ローラとルナは口を開けて笑った。
「良かった、二人ともすっかり落ち着いたみたい」
初っ切りが終わって、一人の力士が土俵上に現れた。
「さぁて、初っ切りも終わり、今から後半戦突入って所だが、今日は大関電昇竜関の肝煎きもいりで特別に飛び入り相撲を開催する事になった!」
場内からワァッ!と歓声が上がる。
「このわしに土を付けた者には金一両を進呈する!」
再び場内が沸いた。
「誰か、腕に自信のある者は居ないか!」
その力士は佐灘さなだという四股名の幕下だったが、躰も大きく力も強そうだ。伸び盛りの若手力士といった所だろう。
「但しわしも玄人じゃ、素人相手に本気を出すわけにはいかない。そこで、わしをこの仕切り線からちっとでも動かす事が出来たら勝ちという事で如何じゃ!」
「応!」鳶の法被を着た男が手を上げた。躰はさほど大きくは無いが筋骨逞しく敏捷そうだ。
「俺ぁ太助って者だ。故郷の村相撲じゃ大関を張った事があるぜ、力じゃ誰にも負けねぇ!」
佐灘はニッと笑って首肯した。
「どうぞ、履物を脱いで上がってくれ」
太助は裸足になって土俵に上った。
「本当にお前ぇをちっとでも動かしゃあ、一両貰えるんだろうな?」
「ああ、間違いない」
佐灘が手を挙げると、三宝を捧げ持った力士が上がって来て玄武の柱の下に置いて行った。
見ると懐紙の上に小判が一枚乗っている。
「ありがてぇ、これで借金が返せるぜ」太助はもう勝ったつもりで北叟笑む。
「なら、始めようか」
互いに蹲踞そんきょの姿勢から腰を浮かし、仕切り線に手を着いた。
太助が猛然と突っ掛けて行く。
佐灘は太助の突進をドン!と分厚い胸で受け止めると、そのまま棒立ちに近い形で立っている。
太助が渾身の力を込めて押しても引いても、土俵に根が生えたようにびくともしない。
「どうした、その程度かい?」
「う、うるせぇ!」顔を真っ赤にして力んでいるが結果は同じだ。
「これじゃ、いつまで経っても埒があかねぇ、決めさせてもらうぜ」
佐灘が右腕を一振りすると、太助は呆気なく吹っ飛んで、土俵の下へと転げ落ちて行った。
「次は居ないか!」
太助には一瞥もくれず場内に向かって声を上げている。
それから四、五人の屈強な男たちが次々と立ち向かったが、太助と同じ運命を辿った。場内が水を打ったように静かになった。
「もう、挑戦したい奴は居ねぇのかい?」佐灘が場内を見回しながら言った。「だったら、こちらから指名させてもらおう」
佐灘がキッと二階の桟敷席を睨んだ。
「そこの頭巾を被った体格のいいお武家さん、一つわしの相手をしちゃ頂けませんかね?」
佐灘はハッキリとベアトを指差して言った。
「な、なんと無礼な!この方は其方と相撲を取るような身分の低いお方ではない!」
慈心が慌てて立ち上がる。だが、それより早くベアトが立ち上がっていた。
「ワタシ、ヤリタイデス・・・」
「なな、なんと・・・!」
「ワタシ、クニノユニバシティデ、レスリングチャンピオンダッタネ、サッキカラチガサワイデシカタナカッタヨ」
「何を、訳の分からぬ事を・・・」
「ソレニ、チョウセンサレテニゲル、クニノハジネ」
「馬鹿な!正体がバレたらどうするのじゃ!」
慈心が必死で止めようとした。
「爺さん、やらせてやれ」
「一刀斎、お前まで何を言う!」
「これもベアトを満足させるためだ、松金屋はそれを望んでいるんじゃねぇのかい?」
「それはそうじゃが・・・」
「おいベアト、どんな事があっても頭巾だけは取るんじゃねぇぜ」
「オウ!ワカッテマス、ゼッタイズキントラナイネ!」
ベアトは慈心の横をすり抜けて、梯子を降りて行った。
「どうなっても儂ゃ知らんぞ!」
「何言ってんだ爺さん、お前ぇベアトの側用人だろうが、だったら側を離れるんじゃねぇ」
「ちっ!勝手な事ばかり言いおって。人使いの荒い奴じゃ・・・」
慈心は仕方なくベアトの後を追って梯子の方に走って行った。
「パパ、ダイジョウブカシラ?」ルナが心配そうにローラを見上げる。
「パパネ、アアミエテモトッテモツヨイノヨ。ソレニ、イチドイイダシタラゼッタイニヒカナイヒトダカラ・・・」
ローラは諦め顔でルナに言い聞かせた。
*******
今まで観てきたので、ベアトは相撲のルールを飲み込んでいた。
着物の袖から両腕を抜き、双肌脱ぎとなって蹲踞の姿勢を取る。
「ほう、いい躰してるねぇ。それに意外と毛深い、まるで異人のようだ」
「・・・」
ベアトは応えない、喋れば外国人だという事がバレてしまう。
黙って拳で仕切り線を突いた。その瞬間土俵を蹴ってショルダータックルの要領で佐灘にぶつかった。
「グッ!」
思わぬ衝撃を受けて、佐灘が思わず後退る。飛び入りルールでは、その時点でベアトの勝ちだが、ベアトは佐灘の躰を離さなかった。グイグイと佐灘を押して行く。ズズッ、ズズッっと佐灘が後退した。
「グオォォォ!」こうなれば佐灘も本気を出さずにはいられない。もし、押し出されでもしたら相撲取りの面目丸潰れだ、少しづつベアトを押し返す。
ベアトが身を沈めて佐灘の右足を抱え込んだ。このままでは持ち上げられて投げられてしまう。
佐灘は全体重をベアトの背中に預けて押し潰そうと試みる。
場内中が沸いた。飛び入りの客に力士が本気で勝とうとしているのだ。
「いいぞお侍!そのまま投げてしまえ!」
「そうだそうだ!一両踏んだくってやれ!」
轟々と野次が飛ぶ。
「くそっ!そうはさせるか!」
思い切り足を突っ張ると、ベアトの手が切れた。
「しめた!」
喉輪でベアトの上体を起こすと反対の手で張り手を叩き込んだ。
ベアトは一瞬目の前が真っ暗になり、二、三歩よろけると土俵に尻餅を付いてしまった。
佐灘は呆然と肩で息をしている。
「今だ佐灘!そいつの頭巾を引っぺがせ!」
土俵下から声が飛んで来た。見ると電昇竜が佐灘を見上げている。
「お、大関・・・」
「早くやるんだ!」
「へ、へい!」
佐灘がベアトの頭巾に手を掛けた。
その時。
疾風のように、小さな影が土俵に飛び込んで来た。
頭巾に伸ばした佐灘の手を軽く掴んだと思ったら、大きな佐灘の躰が一回転して土俵下へ落ちて行った。
「殿、ご無事で何より」
ベアトは呆気に取られて慈心を見上げていた。
「さぁ、こんなところに長居は無用、さっさと参りましょうぞ」
慈心はベアトの手を取って立たせると、土俵を下りようとして足を止めた。
「おっと、その前にこれは頂いておく」
玄武の柱に近寄ると三宝から一両を掴み取り、観客があれよあれよと見ている間に相撲小屋から姿を消した。
二階桟敷を見ると、連れの者たちもいつの間にかいなくなっていた。
その後、相撲小屋が蜂の巣をつついたような騒ぎになったのは言うまでも無い。