テラーノベル
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やっぱり最後は魔王でしょう。
目に痛いくらいの日差しを見上げ、涼ちゃんと若井のどちらが晴れ男なんだろうかと考える。どちらも晴れ男のような気もするし、もしかしたら俺が晴れ男なのかもしれない。どちらにせよ今日という日がいい天気に恵まれて良かったと、透き通る海に視線をやって我知らず微笑んだ。
日本から約4時間のフライトを経てたどり着いた亜熱帯の気候は、もしかしたら日本よりも涼しいかもしれないと、汚れひとつ見えない真っ白なカウチに座って独り静かに潮風を浴びた。青い空に青い海に、真っ白なチャペル。絶好のロケーションは神に祝福されているようだった。この世に神様がいるのなら、の話だけれど。
若井の記憶が無事に戻って数ヶ月が経過し、相変わらず俺たちは忙しい毎日を送っていた。歌番組に出演し、バラエティーにも挑戦し、コンスタントに新曲をリリースして、たまに俺が演技もさせてもらって、充実した刺激的な毎日を過ごしている。
若井も涼ちゃんも今まで通りに俺の作った曲を奏で、やりたいことをやって笑い合って生きている。俺も、俺が生きていく上で不可欠な存在を失うことなく今日も息をしている。
「元貴」
得難く失いたくない存在の一人の声に顔をあげる。プロポーズをしたときとは違う、いわゆるタキシードに身を包んだ若井が俺の横に腰掛けた。優雅に脚を組む姿は悔しいほど様になっている。自分からビジュアル担当だと豪語するだけあって、いい男に仕上がっていた。
「キマってんじゃん」
「だろ?」
謙遜しない物言いに、普段ならナルシストめとツッコミを入れるが今日ばかりはそれも野暮だろう。今日だけは、世界で一番かっこいい男じゃなくてはならない。なにせ、あの涼ちゃんの横に立つのだから。世界で一番可愛くて綺麗で、俺の愛してやまない存在と永遠を誓うのだから。
「ずっと訊きたかったんだけどさ」
「なにそれ怖いんだけど」
若井の静かな声音に海に視線を向けたまま小さく笑う。10年以上の付き合いがあったって、言えてないことや訊けないことはたくさんあるものだ。しこりを残さないよう折を見て話し合うものの、互いに胸の裡を全て曝け出す必要はない。
「なんで俺と涼ちゃんが付き合うって言ったとき、ダメって言わなかったの?」
「言って欲しかったの?」
「違うって。けど、元貴、涼ちゃんのこと好きじゃん」
ごく当たり前のようにごく当たり前のことを言われて、なんと返すべきか考える。わざわざこんな日に訊かなくてもいいだろうに、こんな日だから訊いておきたかったのだろうなとも思う。
「んー……まぁ、涼ちゃんのこと好きなのは否定しないよ」
「うん」
否定できるわけがないし、否定しようものならそれを若井に否定されるだろう。
「もっと言えばお前が涼ちゃんを好きになるずっと前から好きだった」
言うなれば一目惚れなのだから、出会った瞬間から俺は涼ちゃんが好きだった。絶対に逃さない、手に入れる、音楽をやるために上京したのなら、絶対に俺が音楽の舞台をものにするから俺のものになってと誘ったのだ。
「涼ちゃんが好きになったのは若井だった、それだけの話だよ」
「……お前なら落とせたんじゃないの? 俺より先に」
「まぁね。でも、それじゃぁ意味がない」
「……どういうこと?」
訝しむ若井に向き合う。
「涼ちゃんも俺のことを好きでいてくれてるとは思うよ。でもそれ以上に、俺の音楽を愛してるんだよ、あのひとは。俺のことは友人として、仲間として、人間として好きで、そんな俺の作る音楽を愛してる。けど、お前には恋をした」
若井が驚いたように目を見開く。
至極簡単な話だ。涼ちゃんは俺を、俺の制作する楽曲もろとも愛しているかもしれないが、俺に恋をしていないのだ。
「俺があの手この手で口説いたら、もしかしたら俺にも恋をしてくれたかもしれないけど、なんもしなくても、なんなら冷たくされたって、若井には自分から恋に落ちたんだよ、涼ちゃんは」
それなら若井に恋をする前に口説けば良かったじゃないかって思うでしょ? でもそれじゃぁ意味がない。涼ちゃんから、そう言った意味で好きになってもらわないと意味がないのだ。若井には恋に落ちたけれど、俺を愛してはくれるけれど、たとえ俺が音楽が作れなくなったって離れていかないと分かっているけれど、それは恋じゃないのだ。愛はあっても恋がない。愛しさはあっても恋しさはない。
「……記憶が戻らなかったら俺がもらうって言ってたのは?」
「涼ちゃんの隣は俺とお前以外は許されない。許さない、許すことができない」
即座に言い返した俺に、若井は呆気に取られたように口を開けた。
「俺とお前が死ぬまで一緒に音楽をやるのは確定事項なんだから、お前が涼ちゃんと一緒にいれば必然的に俺も涼ちゃんといられる。だから、お前と涼ちゃんが付き合うのは反対しなかった。だけど、記憶が戻らなくてお前が涼ちゃんを手放すなら、俺は遠慮なく涼ちゃんを貰い受けた。そうしないと涼ちゃんを失うことになるから」
俺とお前以外の横に涼ちゃんが立つなんて、俺ら以外の誰かの横で笑っているなんて、そんなこと許せるわけがない。涼ちゃんがMrs.を離れることは考えにくいし許さないが、Mrs.という場所以外でも涼ちゃんの隣は俺たちしか有り得ない。
「お前が要らないって言うなら俺はなにがなんでも涼ちゃんを落としたよ。甘やかして慰めて、どろどろになるまで愛を囁いて、俺なしじゃ生きていけないように縛り付けた」
俺が作る音楽とMrs.という存在が涼ちゃんをそばに置いておくための籠だとしても、縛り付けるための鎖がなければ意味がない。若井という存在が鎖としての役目を果たさないのであれば、俺がその鎖になるしかない。
「そこまで好きなのに、いいのかよ」
「いいの。涼ちゃんがしあわせなことが重要なの。俺の傍にいることは大前提だから、それが護られるなら涼ちゃんがしあわせであることがだいじなの」
俺の手でしあわせにしてあげたいと思わないわけではない。でも、俺は、俺の作る音楽で涼ちゃんにしあわせをあげられる。苦しみもあるかもしれないけれど、あの景色を、まだ見ぬ新しい世界を約束してあげられる。
「ま、うかうかしてたら容赦なく奪うから。せいぜい気をつけな」
涼ちゃんが望まないのに奪うつもりはない。いたずらに俺の方に傾くように仕掛けるつもりもない。俺は涼ちゃんが俺の横にいてくれればそれでいい。ほわほわと笑って、嬉しそうに、楽しそうにしていてくれればそれでいい。
「やらねぇよ、ぜったいに」
強い口調に笑みを返す。全て本音だけどこれだけ焚き付ければよほど大切にするだろう。これがなくたって、大切にはするだろうけど、隙を見せたらすぐに喉元に噛みつかれると分かっていれば気を抜くことさえしないだろう。
そのくらい大切にしなければならない。俺の宝物を独占しようというのだから。
「あ、今後も涼ちゃんを借りることがあると思うけど、それは許してよ?」
「ハグまでなら」
「分かってますー」
頬にキスはもうしてるけど、ここでバラしたら拒否されそうだから口をつぐむ。どす黒い夜に呑み込まれてしまいそうなときに、涼ちゃんを抱き締められないのは俺の命が危うくなるから言わぬが花だ。ひとつくらい秘密があったっていいだろ?
「大森さん、藤澤さんがお呼びです」
「俺じゃなくて?」
「はい、若井さんはここで準備をするみたいですよ」
呼びに来たチーフマネージャーもドレスアップしていて、いつもとは違う装いだ。特別感が増してくる。
「じゃ、ひと足先に着飾った涼ちゃんを見せてもらおっかな!」
「ずるいぞ元貴」
「心の狭い男は嫌われるよ」
かくいう俺も、涼ちゃんに関することだと蟻1匹通さないくらいに狭くなるから人のこと言えないけどね。
むくれる若井を式場のスタッフが呼びに来て、しぶしぶと立ち上がる。
このくらい許せよ。これから先の未来、涼ちゃんのありとあらゆるものは全部お前に捧げられるんだから。
チーフマネージャーに連れられて、控え室の扉を開ける。
「りょうちゃん」
俺の声に背を向けて椅子に座っていた涼ちゃんがゆっくりと振り返る。白いベールがたおやかに揺れ、幻想的で神秘的な雰囲気を醸し出す。床にあふれるドレスの裾を踏まないように、一歩ずつ慎重に涼ちゃんへと近づく。
涼ちゃんがどんな格好をするのか、俺も若井も知らされていなかった。臨場はしていないが、臨場しないからこそめちゃくちゃ張り切った涼ちゃん着飾り隊が総力を注いで片っ端から資料を当たり、冗談抜きで三日三晩会議をして選び抜いた衣装であることしか聞かされていない。女神を生で見ることができないことだけが生涯の心残りになりそうだと恨み言を言われたが、最小人数でと望んだ涼ちゃんの手前、そんな恨み言は全て俺に向けられた。
気持ちは分かるよ。写真で見せるつもりだけど、本物にはきっと敵わない、敵うはずがない。
「元貴」
ふわりと花のように微笑んだ涼ちゃんは、女神のように神々しくて天使のように愛らしくて、絶対に世界で一番美しい存在だ。
「……ドレスにしたんだ」
「うん。こういうときくらいしか着る機会ないかなって思って」
世の女性たちの多くも一生に一度しか着ないだろうウエディングドレスを、男性である涼ちゃんが着る機会は確かに少ないだろう。先日主催したイベントでもドレスアップはしたが、まさしくウエディングドレスというのはコンセプトがなかなかに難しい。
どうかな、と首を傾げて、涼ちゃんは続けた。
「元貴にいちばんに見せたかったんだよね」
「……うれしいけど、なんで?」
繊細なレースで覆われたデコルテのラインがうつくしい。なで肩なこともあるが、そこだけを切り取れば女性だと言っても誰も疑わないだろう。レース越しにうっすらと見える鎖骨は艶かしくて、きゅっと絞られたウエストラインは骨格の割に華奢に映る。今日のためにダイエットに励んでいたことは知っているが、ちょっと絞りすぎじゃないかと心配になるくらいには腰が細かった。
「元貴がいちばん、俺のしあわせを願ってくれてるから」
やわらかに微笑む涼ちゃんの目が潤む。
世の中にはいろんな種類の“愛”がある。嘘を書かないを信条にしている俺は、愛も恋も歌うけれど同時に希望も絶望も歌う。涼ちゃんはそれら全てを受け止めて、受け入れてくれている。俺の“愛”は、涼ちゃん伝わっている。
「……涼ちゃん」
「うん?」
「若井とは違う種類だけどさ」
「うん」
「俺、世界中の誰よりも、涼ちゃんを愛してるよ」
俺のものじゃなくたっていいくらいに。
ただしあわせであってくれればいいと願うくらいに。
俺の大切な親友と笑ってくれればいいと思うくらいに。
「俺も元貴を愛してるよ」
涼ちゃんのドレスを汚さないように、着崩さないように気をつけながら抱き締める。涼ちゃんもそっと俺を抱き返して、一粒だけ涙をこぼした。
その涙をやさしく拭い、恭々しく涼ちゃんに手を差し出す。
どんなときでも俺の手を取ってくれるきみがいるから、俺は何にだってなれるしなんだってできる。
『結婚式をするなら元貴とバージンロードを歩きたい。
バージンロードって人生を表していて、未来へと向かっていく道なんだって。俺の人生は元貴と一緒に在ったし、これからもずっと一緒にいたいから』
そう言って決まった今日という日。
……ずるいよねぇ、涼ちゃんって。すごいよねぇ、涼ちゃんって。
俺という鎖で涼ちゃんを繋ぎ止めているつもりなのに、涼ちゃんという鎖に俺が繋がれているようなものだ。でも、それでいい。それがいい。俺も涼ちゃんも、それから若井も、鎖でお互いを縛り合えばいい。解けないくらい強く縛り付けて、永遠に共に在ればいい。
涼ちゃんと腕を組んで若井が待つチャペルへと向かう。
「言い忘れてたんだけど」
「なぁに?」
「きれいだよ、涼ちゃん。若井にはもったいないくらい」
涼ちゃんの目を見て伝えると、涼ちゃんは嬉しそうに、それはもう、美の女神もかくやというくらいにうつくしく笑った。
……ほんと、もったいないよ、若井に。
控え室の建物から出ると海の香りがした。太陽が祝福し、鮮やかな空と海の青さが目に眩しくもやさしい。生ぬるいが湿り気の少ない心地よい風が、涼ちゃんのドレスを揺らした。
ここを選んだのは若井だが、ここを選ぶきっかけになったのは涼ちゃんの一言だった。
『海が見えるところがいいな。だって青は若井の色でしょ?』
ね? ほーんと、天然で小悪魔なんだから、困っちゃうよね。
チャペルの入り口で二人で並んで立ち止まる。形式に則る必要はないが、せっかくだから涼ちゃんが俺に向き直って膝を軽く曲げて腰を落とした。涼ちゃんのベールを丁寧におろしていく。
ベールの奥で涼ちゃんが目を細めた。
言葉にすると俺も泣きそうだから、再び腕を差し出す。俺の腕に手を通して、ゆっくりと一歩を踏み出した。
12年前のあの日、涼ちゃんを誘って本当に良かった。それからずっと一緒に走り続けて、休止したとき、メンバーが脱退したとき、涼ちゃんと若井が離れていかなくて本当に良かった。
今日という最高の日を迎えることができて、大好きな人が最愛の人と笑い合う姿を見ることができて、本当に良かった。
「……おまたせ、滉斗」
若井に向かって涼ちゃんが微笑む。見惚れるように呆けていた若井が甘い笑顔を浮かべてそっと手を差し出した。
「……きれいだよ、涼架」
俺の腕から手を抜いて、若井の手をしっかりと涼ちゃんが握った。向き合って微笑み合う二人に、神父が声をかけた。
カウチに座る社長の横に座ると、社長がチラリと俺を見て薄く笑った。恩義はあるけどこういうところは苦手だ。見透かされている感じがして、食えないから。
「……曲は書けそうかな?」
「え?」
「満たされながらも渇いている……、そんな顔をしている」
社長の言わんとしていることに察しがついて、そうですね、とおざなりに応じた。充足しているのに枯渇し続けなければ、書けないと知っているからこその言葉だ。そして俺の涼ちゃんへの愛執を分かっているからこその激励だ。
でも、違うんだよね。
負け惜しみでもなんでもなく、涼ちゃんは若井と結ばれるべきだと思っている。涼ちゃんが自ら望んで手にした結末だ。俺のこの感傷は、決して失恋によるものじゃない。
だって若井は俺のもので、涼ちゃんは俺のもので、涼ちゃんは若井のもので、若井は涼ちゃんのものだから。言ってしまえば俺の一人勝ちだ。
二人が生涯愛を尽くすことを誓い合い、指輪を交換した。
一見シンプルな指輪の内側に三つの石が埋まっているのを知っている。なんならデザインをしたのは俺で、中に埋める石を決めたのが涼ちゃんで、刻印する文字を決めたのが若井だ。流石になんて刻んだのかまでは知らないけど。
「それでは、誓いのキスを」
若井が俺の下ろしたベールをゆっくりと上げた。涼ちゃんの肩と頬に手を添えて顔を近づけていく。触れるだけの可愛らしいキスをして、神父が手を叩いた。俺と社長とチーフマネージャーもそれに倣って手を叩く。
こちらを振り返って笑った涼ちゃんの笑顔を、二人がしあわせそうに微笑み合う姿を、俺は生涯忘れることはないのだろうと予感する。
これから先、いろんなところに行っていろんな経験をしていろんなうつくしいものを見るだろうけれど、この光景ほどうつくしいものなんて、この世には存在しない。
愛する人よ、どうかしあわせに。
天つ風雲の通い路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ(僧正遍昭)
終。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
あとがきで思いを叫びますのでお暇でしたらぜひ。
コメント
7件
魔王さんの気持ちを考えたら涙が出てきました…💙💛は結ばれるべきして結ばれたんでしょうね…愛する人の幸せを願う魔王さんに幸あれ
言葉に表せないくらい最高で、感動しました! 結婚式、美しい...✨大森さんの心情とかが分かってなにか寂しいような、でもめちゃくちゃ嬉しいって感じが...😶 結末本当に最高でした!!更新ありがとうございました😆
いやもうまじでお疲れ様です…❣️ 初めは若井さんが戻るのかとか不安だったけど、ハッピーエンドになって良かった…💕︎💕︎ほんとに最高です!まだ何回も見ます‼️