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※……あ、こういうの無理そう……
夕暮れのグラウンドが、にわかに色づいていく。仮設のステージ、吊るされた電球、にぎやかに笑い声が交錯するなかで、日下部は少しだけ輪から離れていた。腕を組んで、空を見上げている。
遠くから聞こえる演劇部の音楽。クラスの出し物が片付けられた机の向こう、焼きそばの煙がまだ香る。
「……日下部、いた」
声に振り向けば、遥が走ってきていた。制服のまま、ネクタイだけ外している。頬に少しだけ色がさしているのは、走ったせいだけではないだろう。
「おまえ、探した」
「なんで。べつに隠れてたわけじゃない」
「……うん、でもさ。ちゃんと、言おうと思って」
遥はそこで立ち止まり、ふいに空を見上げる。
西の空に、ひとつ、星が出ていた。
「ほら、星」
「気が早いな。まだ陽が残ってる」
「早いけど……今日、ちょっと特別っぽいだろ」
「なんで」
「日下部とこうやって、誰にも邪魔されずにしゃべれるの、初めてだから」
冗談のように笑う遥の手が、日下部の袖をつまむ。ぎゅっと強く引かれるでもなく、ただ「そこにいるよ」というように。
「なにか言いたかったんじゃなかったのか」
「うん。……その、ありがとう」
「なにが」
「文化祭、がんばってたの知ってたし。クラスまとめてたのも。おまえ、ほんとに、すげーよ」
「……それだけか」
「だけじゃないけど……言えって言われたら、言えない」
「言ってみろ」
「おまえ、かっこよかったって。……あと、好きだなって思った」
言い終わった遥は、顔をそらす。
日下部は少しだけ目を丸くしたあと、ふいに笑った。
笑った、というより、口元がほぐれた。それはいつもの冷ややかな笑みではなく、ほんのわずかに揺れる、照れたような、安堵のような。
「俺も……おまえが走ってきたとき、ちょっと、嬉しかった」
「うん?」
「なんでもない」
夜風が少し冷えてきた。電球が灯り、あたりが光で縁取られる。誰かのスマホから流れたバラードが、二人の足元をくぐる。
「帰るか」
「もうちょいだけ」
「……星、もっと出るまでか?」
「うん。おまえと一緒に見るの、今日が最初だから」
肩が触れる距離。言葉より先に、時間が染みこんでいく。
特別なことなんて、なにも起きない。ただ、二人でいられる、それが十分に特別だった。