レンブラントは、かなり強引にベルを連れ去ったことは自覚している。好感度はゼロどころかマイナスだということも。
ただあの時、銃口をベルに向けてしまう形となってしまったが、実際はそうじゃない。
ベルを撃つつもりなんて微塵もなかったし、銃口はベルではなく、その先に狙いを定めていた。
軍人は荒々しいイメージを持たれていることは理解しているが、だからといって、むやみやたらに拳銃をぶっ放すほど、ヤバイ奴らではない。
あの時はそうでもしなければ、ベルは殺されていたのだ。
でも、事情を知らないベルからすれば、相当怖かっただろう。それなのに、まだ事情を説明していない。
面倒くさいから先延ばしにしているわけではなく、少々複雑な内容なので、警戒心を解いてもらってから話そうと思っていた。
けれど、レンブラントは気付いてしまった。
ベルが、自分に対して警戒心どころではなく、敵意を超えた悪意を持っていることに。
(さぁて、本気でどうしたものかねぇ)
レンブラントは、眉間を揉みながら考える。
指の隙間から向かいの席に座るベルをチラ見すれば、懲りずに包帯を取ろうとしている。
その姿は手当てを嫌がる飼い犬───スタラに瓜二つだった。
(そうか。そういうことなのか……)
ベルはあれほどの怪我をしておきながら、傷の手当に慣れていないのだ。
レンブラントは悩んだ挙句、昨晩からずっと胸に抱えている疑問を口にした。
「一体、どうしてこんな傷だらけの生活を送っているんだ?あんたはそんな生活を送るような人間のはずじゃないだろう?」
「……」
レンブラントがかなりキツイ口調で問うても、ベルから返答はなくそっぽを向かれてしまった。
その表情は、10代の若々しさから遠くかけ離れたもので、レンブラントはそっとしておこうという気持ちには、どうしてもなれなかった。
(仕方が無い。奥の手で行くとするか。……ますます嫌われるかもしれないが)
好感度が更にマイナスになることを予期したレンブラントは、鳩尾がじりっと焼けるように痛んだ。
しかし訊かなければ、何も始まらない。
「辺境伯のご令嬢アルベルティナ・エドゥ・クラース、あんたの腕に傷をつけたのは誰なんだ?」
瞬間、ベルは弾かれたようにレンブラントを見た。
「……知っていたの?」
「ああ」
「路地ではそう呼ばなかったくせに」
「呼んで欲しかったのか?そりゃあ悪いことをした」
レンブラントがいけしゃあしゃあとそんなことを言えば、ベルの唇が歪み、口惜しそうな表情になる。
<エドゥ>とは称号で、メオテール国王都の四方を護る辺境伯に与えられる。
ベルは、形の悪いバケットをパン屋の店主が泣くほど値切る貧乏娘ではあるが、実は辺境伯を親とする、れっきとした令嬢だ。
しかし、貴族令嬢のようなかしずかれる日々を送っているわけではない。
「その名前、二度と口にしないで」
「ああ、そうか。なら、その腕の傷のことを話してもらうことで、取引としようか」
「……なっ」
「嫌か?じゃあこれからはずっとアルベルティナ・エドゥ・クラースとフルネームで呼ぶことにしよう」
「っ……!」
ベルにとって、レンブラントの提案は、取引というより恐喝だった。
*
ケルスは、東の国境に面した広大な領地で、ひとたび戦争となれば、戦場で敵にいちばん近い場所となる。
けれど危険と隣り合わせのこの領地には、軍服を着る軍人はいない。
それはベルの亡き父であり、元辺境伯であるラドバウト・エドゥ・クラースの功績によるものだ。
ラドバウトは生粋の軍人でありながら、武力で物事を片付けることを嫌い、常に話し合いのテーブルに付いていた。
そのおかげでケルス領は、とてものどかで、平穏で、賑わいのある豊かな土地となった。
唯一ケルス領で不幸な出来事があったとするならば、辺境伯の妻シャンタルがベルを産んですぐに息を引き取ったこと。
葬儀を終えた後、しばらくラドバウトが赤い目をして政務に励んでいたことを、ケルス領で知らない者はいない。
そんな悲しい出生を持つベルだが、辺境伯の一人娘として大切に、沢山の愛情を注がれながら過ごしていた──8年前までは。
ベルが10歳になった冬。幸せだった生活は、刷毛で塗りつぶされるように、辛く苦しいものへと変わっていった。
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