テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
翌朝
目を覚ました私は、腫らした目を冷やし、乱れた髪を整えると、すぐさまベル様の部屋へと向かった。
昨日のあの絶望に揺れる彼の瞳が焼き付いて離れない。
今日こそ、逃げ場のないほどに私の想いをぶつけ、話し合おうと決意していた。
しかし、固い決意で叩いた扉の向こうから、返事は返ってこなかった。
「ベル様、失礼します……っ」
意を決して扉を開けたが、ベル様のいない部屋はひっそりと静まり返っている。
いつも彼が座っている椅子も、丁寧に整えられたベッドも空席だった。
代わりに、アンティーク調のテーブルの上に、一枚の白い紙がポツリと置かれていた。
震える手でそれを手に取ると、そこには彼の鋭く、けれどどこか迷いのある筆致で「少し出かけてくる」とだけ短く書かれていた。
(そんな……昨日あんなことを言っておいて、一人でどこへ……!)
やるせない気持ちが込み上げ、胸が掻きむしられる。
このまま話さないで終わるわけにはいかない。逃がしてなるものか、という強い衝動が私を突き動かした。
私は廊下を走り、顔なじみのメイドを捕まえた。
「ベル様の行方を知りませんか? どこへ向かわれたのか……」
私の必死な形相に、メイドは困惑したように視線を泳がせた。
「……申し訳ありません、リリア様。私どもも分からずじまいでして。恐らく夕方頃にはお帰りになられると思うのですが……」
「そんなに待てませんわ! 行き先に心当たりはないの?」
食い下がる私に、メイドは言い渋るように口を開いた。
「……もし、遠くに行かれているのだとしたら……昔、旦那様がお好きだった、薔薇が綺麗に咲いている花園かと。…ですが、すぐ戻ってくるかもしれませんから、どうか落ち着いて……」
「薔薇の花園……。分かりました、そこへ行ってきますわ!」
「お待ちください、リリア様! お一人では危険です!」
準備を始めようとする私をメイドたちが慌てて止めるが、今の私の耳に彼女たちの制止は届かなかった。
私は鞄を掴み、毅然とした態度で彼女たちを振り返った。
「今、話し合わなければ、あの人はきっと私のために、私を遠ざける気です。……あの人は、そういう人だわ。それに、大切な誤解も解けておりませんの。だったら、それを質さなきゃ。妻として、黙って待っているなんてできませんわ!」
名残惜しむ暇もなく、私は屋敷を飛び出した。
街中に到着した私は、彼が立ち寄りそうな場所を必死に探し回った。
いつものお菓子屋、本屋、雑貨店……。
しかし、彼の姿はどこにもない。
焦燥感で視界が歪みそうになったそのとき
最悪の人物と鉢合わせした。
「あらあら、リリア様? そんなに青いお顔をしてどうなさったの?」
扇を優雅に使い、勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見ているのは
ゼノス公爵の、毒妻と有名なイザベラだった。
「……公爵夫人。すみませんが、急いでいますので」
私は愛想笑いでその場をやり過ごそうとしたが、彼女は蛇のように私の行く手を遮り、顔を覗き込んできた。
「もしかして……ベル伯爵に拒絶でもされたのかしら?」
「っ! どうして貴方がそれを……っ!」
心臓が跳ね上がる。イザベラは「ふふっ」と喉を鳴らして笑い、毒を含んだ言葉を吐き出した。
「だって私、先日、あの方に親切に教えて差し上げましたもの」
「教えた……?」
嫌な予感がして聞き直す。
『貴方の奥様、貴方の惨めな過去を私の夫から聞いて、虫ケラを見るような目で同情していましたわよ』ってね」
「っ!? ど、どうしてそんなデタラメを……っ! それ、本当にベル様に言ったというの?!」
頭が真っ白になる。
「当たり前じゃない。ふふっ、あの方、本当にバッカなんですもの。私の言葉を最初は必死に否定していたけれど、確実にショックを受けておられたわ」
「『愛されている』なんて思い上がっていたご自分が恥ずかしくなったんでしょうねぇ。『鉄の仮面を被ったバケモノ』とはよく言ったものよ。今頃、自責の念に駆られて貴方の顔すら見たくないはずだわ」
そこまで聞いて、私は全身が怒りで震えるのを感じた。
拳を白くなるほど握りしめ、イザベラを射抜くような眼差しで睨みつける。
しかし、彼女は怯むどころか悦に入った様子で言葉を続けた。
「あら、そんなに怒らないで? 私はただ、貴方の夫に『分相応な現実』を教えてあげただけに過ぎないわ。むしろあんな気色悪い男、このまま居なくなってくれた方が───」
──乾いた音が、街角に響き渡った。
「……っ!? はっ!? な、なにを……い、いま、私をぶったの?!!」
頬を押さえ、目を剥いて取り乱すイザベラ。
私は一ミリも笑わず、冷徹なまでの静けさで彼女を見据えた。
「ええ、ぶちましたわ。あまりにもお口が汚わらしかったものですから」
一呼吸置き、私は彼女の姑息な精神を叩き潰すように言い放った。
「……全くご理解されていないようですが、ベル様は言ってみればバカでしょう。貴方のような女の言葉に惑わされ、自分を押し殺し、自分を犠牲にして私を立ててくださるぐらいには、大馬鹿者です」
「──でもそれは、貴方のような卑劣な悪意を知らない、気高くお優しい心を持っているからです」
だが、イザベラは屈辱に顔を歪ませ、さらにベル様を侮辱しようと食い下がる。
私はそれを冷たく切り捨てた。
「人の心を弄ぶことでしか己の価値を証明できない。そのねじ曲がった卑屈な精神、同じ女として反吐が出ますわ」
私は踵を返し、その場を立ち去ろうとすると
背後で、イザベラが狂ったように笑い声を上げる。
「……っ、ふふ……あはははっ! そ、そうやって、強気でいられるのも今のうちよ!」
「脅しのつもりかしら。ベル様を探しているの、貴方に構っている暇なんかないわ」
背中を向けたまま返すと、イザベラは最後に、最も鋭い棘を投げつけてきた。
「今頃、私の夫が、ゼノスが──貴方の愛する『欠陥品』を殺しに行っているところよ!!」
勝ち誇ったようなその言葉に、私の血の気が一気に引いた。
ゼノス公爵が、ベル様を殺す……?
意味がわからず混乱したまま、私はすぐさま走り出し
なんとか正気を保ち、状況を整理して
死に物狂いで街を探し回ったが、二人の姿はない。
残された可能性は、メイドが言っていたあの場所だけ。
(お願い、居てください…っ、お願いだから、生きていて……!)
一か八かの賭け。
私はなりふり構わず、薔薇の花園へと向かって駆け出した。