テラーノベル
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薔薇の甘い香りがむせ返るほど漂う、静寂に包まれた花園。
息を切らし、足をもつれさせながらその奥へと踏み込んだ瞬間
私の目に飛び込んできたのは、心臓が凍りつくような光景だった。
色とりどりの大輪の薔薇に囲まれた中央で
ベル様の顎に、陽光を反射して冷たく煌めく剣の切っ先が向けられていた。
その剣を握り、勝ち誇ったような冷酷な笑みを浮かべているのは
つい先日まで私とお茶をし、相談にも乗ってくれていたゼノス公爵───
「ベル様!!!」
私の絶叫が、花園の静寂を鋭く切り裂いた。
考えるよりも先に体が動いていた。
私はドレスの裾を翻し、公爵とベル様の間に割って入った。
驚愕に目を見開く二人の前で、私はベル様にしがみつくように抱きつき、その小さな背中で彼を庇うようにして公爵から距離を取った。
決して大きくはない私の体。
けれど、今は何よりも強固な盾になりたいと、爪が食い込むほどに彼の服を握りしめた。
「リリア……! どうしてここに……っ! それより危険だ、今すぐ逃げろ!」
背後からベル様の驚愕に満ちた声が降ってくる。
彼は私の腕を掴み、自分から引き離して逃がそうと必死に促してくるが、私はその場を一歩も動かなかった。
「ベル様を助けに来たんです! だから、逃げられません!」
私の叫びに似た言葉に、ベル様の表情が僅かに揺らぎ、その瞳に熱いものが宿った。
しかし、彼は次の瞬間
私の細い肩を抱き寄せると、素早く自身の背後へと隠した。
まるで愛おしい宝物を守る盾のように、毅然とした態度で立ちはだかる。
「……なら、私の後ろに下がっていろ」
その、低くも決意に満ちた声。
その背中の頼もしさに、私の震えが少しだけ収まった。
様子を静観していた公爵は、興を削がれたように「はあ」とわざとらしい溜息をつきながら、ゆっくりと剣を鞘に収めた。
「……邪魔が入ってしまったな。せっかく破局に追い込んで、絶望したこの男を仕留めるつもりで、イザベラにも協力してもらったというのに。ベル、君も運がいいな? こんな女に命を救われるとは」
公爵は、まるでおもちゃを取り上げられた子供のような、歪んだ嘲笑を浮かべて近づいてくる。
私はベル様のシャツを後ろからぎゅっと握りしめたまま、恐怖を押し殺し、公爵を射抜くような視線で睨みつけた。
「……まさか、それが貴方の本当の姿なのですか。今まで私に見せていた親切は、すべて彼を傷つけるための布石だったと?」
私の問いかけに、公爵はさらに不敵な笑みを深め、灰色の瞳にどろりとした優越感を浮かべた。
「なんだい、さすがに怖気付いたかい? なら、さっさとその男から離れ───」
その傲慢な言葉を遮るように、私はベル様の背中から一歩前に踏み出した。
「散々そちらの奥様が、私の夫を『鉄の仮面を被ったバケモノ』などと仰ってくれましたが……どうやら、今その醜い仮面が剥がれ落ちたのはゼノス公爵、貴方の方ですね」
私の毅然とした言葉に、公爵の顔から余裕の笑みが一瞬で消え失せた。
「なんだと……?」
「人の孤独を嘲笑い、夫婦の絆を裂こうとする。その心の醜さ。冷酷なのは、ベル様ではなく貴方だと言っているのよ」
公爵は侮辱されたことに激昂し、顔を真っ赤にして再び剣を抜き放った。
彼が私に向かって剣を振り上げ、切りかかろうとした、その瞬間───。
空気を鋭く切り裂くような、目にも留まらぬ速度。
ベル様が私の前に割り込み、鞘から抜いた自らの剣で、公爵の刃を根元から力強く弾き飛ばした。
金属同士がぶつかり合う凄まじい衝撃音が花園に響き渡る。
「ぐ……っ!? 貴様、よくも……っ!」
武器を弾き飛ばされ、手の痺れに地面に膝をついた公爵。
彼を見下ろすベル様の声は、低く、地響きのように重く、花園の空気を震わせた。
「……私を殺すのは勝手だ。だが、この子に指一本でも触れることは、万死に値すると知れ」
その瞳には、先ほどまでの絶望など微塵もなく、愛する者を守り抜くという強固な意志だけが宿っていた。
公爵は、地面に突き刺さった自分の剣を這いつくばるようにして拾い上げると、憎々しげにベル様を睨みつけた。
「……たかが第三位に位置する伯爵風情が……っ!なにを偉そうに……!!!」
「確かに私は、爵位で言えば貴方より下だ」
ベル様は怯むことなく、公爵の罵詈雑言を正面から受け止めた。
そして、さらに冷徹に、真実を突きつけるように言い放つ。
「だが、善人という仮面を剥ぎ取った貴方に、一体何が残る? 地位に縋り、私を貶めることでしか己の価値を保てないその姿……。公爵という肩書きを除けば、貴方は『下俗な無能』に過ぎない」
公爵の顔は、屈辱と怒りで真っ赤に染まり、端正だった顔立ちは醜く歪んだ。
「黙れ……黙れぇ!! 格下の分際で、私に指図するなあああ!!!」
なりふり構わず、彼は獣のような咆哮を上げ、剣を振り上げた。
その瞳には理性のかけらもなく、ただ破壊の衝動だけが渦巻いている。
「殺してやる!貴様もその女も、まとめて八つ裂きにしてやる……っ!!!」
狂気に満ちた眼差しで、こちらへ突進してくる公爵。
死を覚悟した捨て身の一撃が、私たちを襲う。
「ベル様っ!」
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