コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
◻︎森 美春の話
「あ、あのぉ、どちら様でしょうか?」
律子が恐る恐る尋ねる。
女は、辛子色のサマーセーターに水色のジーンズ、髪は明るめの茶色で後ろで一つにまとめてバレッタで留めている。
ブラウスとスカート黒髪のボブヘアの律子とは、まったく反対の服装で、そのせいか性格も反対のように見えた。
「ここは里中修三の家、ですよね?」
「はい、そうですが…」
「私は森美春、里中修三さんを、連れてきました。シュウちゃん、ほら、ただいま、だよ、やっと帰ってこれたね」
森美春と名乗ったその女は、抱えていた白い布に包まれた箱を目の高さに上げて、話しかけていた。
「えっ!ちょっと、なんの冗談なんですか?やめてください、縁起でもない!!帰ってください!」
律子が大声で追い返そうとしている。
「こらこら、シュウちゃんがやっと帰って来れたのに、何するんだよ!」
「あなたは、何なんですかっ!なんでこんなことをするんですかっ!」
「私?私はシュウちゃんがよく通ってくれた居酒屋の女将。そして、今日この時間にシュウちゃんをここに連れてくることを頼まれただけ」
その場がシーンとなった。
私も何も言えない、まさかの事態だ。
律子が今、頭の中で何を考えているかを予想してみる。
_____今日、ここに帰ってくるはずだった夫が?なぜ?どうして?信じられるわけがない
しばらくそのままで、時間が過ぎて、最初に口を開いたのは進だった。
「りっちゃん、一旦、この人の話を聞いてみよう、それから警察に突き出すかどうか判断しようよ」
「……」
律子は、何も言えないようだ。
「警察にって、ひどいな。私は頼まれたからやってきただけなのに」
「まず最初に確認させてもらう。その箱は、その、遺骨が?」
「そ、里中《さとなか》修三。享年67才。亡くなってまだ1週間だよ」
「それを証明するものは?」
「やっぱり?そうなるのは当たり前だよね?ほら、コレ見て」
美春がショルダーバッグから、封筒を取り出し進に渡した。
封筒から出されたものは、死亡診断書と火葬許可証のコピーだった。
それを律子に見せる進。
チラリと見た瞬間、律子が崩れ落ちるのがわかった。
「あぶないっ!」
私は慌ててドアの影から飛び出して、律子を後ろから抱きとめた。
「うわっ、びっくりした。まだ人がいたんだ」
美春が、一歩後退りした。
「ごめんなさいね、私は律子さんの友達で河西未希といいます。今日、ご主人が帰ってくると聞いていたので、挨拶をしようかなと待たせてもらってたんだけど…」
話しながら、進に律子を預けて奥へ連れて行ってもらう。
「とりあえず、上がってもらえますか?」
律子に代わって、美春を部屋へ招いた。
スリッパを履いて、パタパタと座敷までの廊下を歩く美春。
「シュウちゃん、ここがシュウちゃんが暮らした家なんだね。綺麗にしてあるね、さすがだ」
両手に抱えている白い箱に、話しかけている。
本当に、あの中に律子の夫、修三の遺骨が入っているのだろうか?
美春に事情を聞くまでは、私も信じられないと思った。
座敷にもう一つテーブルを出して、そこに遺骨を置いてもらった。
「律子さん、気分はどう?」
律子は冷たい水を少し飲んで、落ち着いた様子だ。
「もう、大丈夫。話なら私が聞かないといけないから、ちゃんと聞きます」
座布団に正座をして、美春と向かい合った。
「このお骨が主人だと言うのなら、こうなった経緯を話してもらえませんか?」
「うん、いいよ。えーとね、まず、シュウちゃんがうちの店に来てくれるようになったのは、うーん、多分3年くらい前からかな?一人暮らしで、ガードマンとか、交通整理の仕事をしてると言ってた。最初は仲間と一緒に来てたんだけどね、そのうち一人でもよく来てくれるようになってね。3ヶ月くらい前だったかなぁ?暗い顔してやってきてさ、俺、癌なんだ、もう手遅れみたいなんだよって。膵臓だったかな?で、それまでは、聞いたことがなかった家族の話をしてきてね。役場で調べたらまだ俺は、離婚してないようだって。家を出た時に住所はうつしたけど、離婚届は出してもらうように送っただけであとはほっといたんだとか」
そこで一息つく美春。
「…で、自分の余命がわかったから、このままでは嫁さんに迷惑をかけるから、なんとしても離婚しとかないといけないと言い出してね。再婚するために離婚してくれ、とかなんとか言って離婚するから、彼女役してくれって頼まれてたんだけど。いざ、帰るからって嫁さんに連絡したら、今はダメ、1ヶ月先にしてくれって言われたと言ってた。
私は、余命の話をして今すぐ行けばいいのにって言ったんだけどね。7年も待たせてたんだから今度は俺が待つのは仕方がないって。でもね、先週、容態が急変して、あっという間だったよ」
黙って聞いていた律子の肩が震えている。
「ねぇ、奥さん、なんで1ヶ月も先にしてくれってシュウちゃんに言ったんだい?連絡があってすぐだったら、きっと生きて帰ってきたんだよ、シュウちゃんは。そしてちゃんと謝って離婚届を出してもらう予定だったんだよ。
離婚してないとさ、いろんな面倒ごとが全部、遺族にいくからって、それをシュウちゃんはずっと気にしてた。
俺が勝手に家を出たばかりに、嫁さんが片付けとかの面倒ごとをするハメになるって」
また倒れてしまいそうな、顔面蒼白の律子。
「大丈夫?律子さん…」
「……」
何も答えず、強く唇を噛んでいる。
その唇から血が流れてきた。
「ダメ、そんなふうに噛んだら」
進が、タオルを持ってきた。
そんな様子を見ながらでも、美春は話を続けた。
「でもね、予感がしてたのかなぁ?生きては帰れないかもって。だからね、死んでしまった後のことを、私に言い残してたんだよ」
美春が、バッグから古びた巾着袋を取り出した。
「家に帰ると約束した日時に、これを届けて欲しいと言われてたんだ。遺骨はね、法律上奥さんに引き取ってもらうことになると思うから、ここまで運んできた。離婚してて独り身だったら全部行政や公的機関に頼む予定だったみたいだけどね」
美春が取り出した巾着袋を見て、律子が、驚いた顔をしている。
「これ…」
「なにか、おぼえがあるの?」
「私が息子に作ったお弁当用の巾着袋で、息子が使わなくなってからは主人が会社に行く時に細々した物を入れて持ってってました」
ぎゅっと両手で巾着袋を抱きしめる。
いつからか、律子は大粒の涙を流していたようだ。