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エヴァンからアンリエッタの消息を聞いた時、すぐに頭が働かなかった。ショックだったのもあるが、あんなに気をつけていたのに、守れなかった自分に対して、腹を立てていたからだ。
さまざまな可能性を考え、でき得る限りの助力をしなければならない状況で、自分にはそれをするだけの力と人脈があるのにも関わらず、まず私の頭を支配したのは、後悔だった。
何故、どうして……。
そればかりが浮かび、すぐに動けなかったなんて、なんと情けないのだろうか。
そんな自分を、叱咤している場合ではないことに気づかせてくれたのは、皮肉なことにアンリエッタの兄と名乗っているマーカスという男だった。
「つまり、マスティーユが怪しい、ということなのね」
アンリエッタが行方不明となってから翌日のこと、学術院で起きた出来事のため、院長室に集まって捜索会議を開いていた。
メンバーは、この場を借りている学術院の院長と、警備の責任者である自警団の団長。そして事情を知るマーカスと、繋ぎ役としてエヴァンとジェイク。最後にポーラこと、私である。執務机の前に設置されている応接用のソファに、それぞれ腰かけていた。
院長室とは名ばかりで、隣接している部屋が、院長の研究室となっているため、それほど大きな部屋ではなかった。その研究室に入り切らなかった本たちが、院長室へはみ出た結果、壁にぎっしりと本棚が埋め尽くされ、より部屋を小さくさせていた。
今回のように、捜索の対象者が平民であり、且つまだ拉致とは決まっていない状況での会議には、もってこいの場所だった。これが、学術院の生徒や教授、貴族であったら、もっと大々的にしているだろう。
本当なら、それくらいしたいところだが、団長に止められた。昨日、院内を大勢の団員たちが捜索していたことで、すでに生徒と教授たちから、何事があったのかと、苦情が来たからだ。部外者のために、これ以上、院内を騒ぎ立てるのはよくない、と。
同じ街の者ではないか、とは思うが、団長の言うことを聞くしかなかった。問題を起こせば、学術院と街にいる者たちの折り合いが悪くなる。元々仲は悪くないが、均衡を崩すのは良くなかった。
昨日はとにかく、速さを重視したため、アンリエッタが行方不明となった、その時の状況を詳しく聞くことはしなかった。確認したのは、学術院内に入るための入門記録と、出門をした記録がないこと。さらに自宅に帰っていないことも確かめた。そのため、捜索は夜遅くまで続けられたが、結局は見つけることはできなかった。
故に学術院にはもういないものとし、捜索場所を特定するために、マーカスからより詳しい説明を求めた。
そのマーカスが言うには、神聖力の扱いについて質問があったため、借りていた本の返却と質問書を渡すために、図書館を訪れたのだと言う。その証拠に、司書からは返却の確認は取れている。けれど、その後の足取りが掴めていない。
「しかし、それだけでその男を怪しいと断言するのは、いささか軽率なのでは?」
団長が、率直な質問を投げかけた。確かに、マスティーユに関しての情報がなく、マーカスの報告のみを聞けば、そう思うだろう。しかし、私と院長はそうは思わなかった。だから、首を横に振った。
「実は、レニン伯爵が聖女ほどの神聖力を持った者を探していると、魔塔から情報が入っていたのよ。そして、マスティーユはレニン伯爵の縁者であり、アンリエッタは……」
「その伯爵が探している者に値するだけの、神聖力の持ち主だった、と?」
静かな怒りを感じさせるマーカスの質問に、ポーラはゆっくりと頷いた。元々、情報を共有するほどの関係ではなかったが、申し訳ない気持ちになった。もし伝えていたら、止められていたのだろうかと、思えたからだ。
マーカスは目を閉じ、溜め息をつく。恐らく、同じことを思ったのだろう。
「マスティーユについて、俺からも情報がある。共有しておいた方が良いだろう」
「ちょっと待って。貴方がそれを調べた、ということは、そうするだけの事案が、すでに起きていたということなの?」
マーカスから、私がアンリエッタに手渡した本を、学術院にある図書館に、返却した際の出来事を聞かされた。次に借りる予定であった二冊の内一冊に、拒絶反応を示したことを。
「アンリエッタは勘が良いから、本と持ち主、そのどちらかに何かあると思うのは、当然だろう。だが、本はすでに調べられなかった。だから、持ち主の方を洗うことにしたんだ」
「私の方も勿論、マスティーユについては調べたわ。その時はまだ、グレーだったけれど、もしものことがあってはならないことだったから。だけど、怪しいところはなかったわ、少なくとも。魔塔所属の魔術師でもあったから。だから……」
大丈夫だと思ったのよ、続きを言いそうになり、口を噤んだ。
何を張り合って、言い訳をしているのかしら、この男の前で。
しかし、マーカスは意に介さなかった。
「ソマイアでは巧く隠したんだろう。だが、マーシェルでは違う答えが出た」
マーシェルと聞き、ポーラは鋭い目つきで、マーカスを見た。
癇に障ったわけではない。ただ、マスティーユだけではなく、この男のことも、私は調べていたのだ。だから、“答え”を聞く前に、はっきりとさせておきたかった。今後のためにも。
潔癖ではないが、信用できない者とは、手を組みたくはない。
「あら、もう隠さないのね。なら、これからはなんて呼んだ方が良いかしら。ザヴェル令息? それともザヴェル卿かしら」
「俺は今、マーシェルの貴族として、ここにいるわけじゃない。だから、今まで通りマーカスで構わない。逆に、俺は貴方を何と呼べば、失礼にならないだろうか、ソマイアの王女様」
私は驚かなかった。マスティーユのことをマーシェルで調べたのであれば、自ずと私のことも分かるはずだから。魔塔の今の主は、ソマイアの王女。ジャネット・ポーラ・ソマイア。赤毛は国中沢山いるが、これがソマイア王室の特徴だった。
そのことに、院長と団長は勿論、驚かなかった。ただこの部屋で驚きを見せたのは、エヴァンだけだった。
「王女って、ポーラが? ……えっ、ソマイアの?」
そんなエヴァンの反応を、マーカスと院長、そして団長らは、無理もないといった反応を示した。が、私はそうはいかなかった。その原因の主に、思わず怒りを向けていた。
「ジェイク……、これはどういうことかしら」
「どうって。兄貴は知らなかったんだろ」
悪びれもせず、シレっとした態度が返ってきた。
「私が改めて言うのは変だから、伝えておいてって言っておいたはずよ!」
不覚にも、エヴァンではなく、ジェイクに正体がバレてしまった時に、頼んでおいたのだ。
何も聞かれていないのに、『私はソマイアの王女なの。黙っていて悪かったわ』などと、言える者がいれば、お目にかかってみたい。そんな理由で、これまで名乗ることが出来ないでいた。
頼んだ相手が悪かったのは、長い付き合いなので、後悔していない。エヴァンには申し訳ないが、貴方の弟のことなのだから、私の分も含めて許してやってくれ。
「そうだったっけ? でも兄貴、そういうことだから」
「えっ、あぁ……うん。大事なことは、忘れない内に伝えることを、常々言っておいたんだがな。ダメだったか」
すまない、エヴァン、と心の内で謝った。私は場を一度仕切り直すために、咳払いした。
「私もまた、王女としてこの場にいるわけではないのだから、ポーラと呼んでちょうだい」
ジェイクとのやり取りを、隠しもせずに笑いを堪えていたマーカスに、声を掛けた。
「エヴァンも。詳しくは、終わってから話すわ」
「分かった」
「……話を元に戻しても良いだろうか。マーシェルでは、そのマスティーユという男は、どういう人物なのか、教えてもらえないか」
団長がマーカスの返答を促した。時間は有限。拉致されたのであれば、尚更と言うように。マーカスは頷き、神妙な顔で爆弾を投下した。
「アズール・マスティーユという名は、偽名である可能性が高い、と言う答えが返ってきた」
「それはないわ。魔塔にきちんと、そう登録されているのだから」
ポーラは立ち上がり、反論した。
偽名偽装がないように、魔塔では魔道具を使って登録されている。魔塔の内部では、階級から分野、師や弟子たちの領域など、要らぬ争いが起きないための調節を担い、外部では所属の証とされていた。
大昔には、随分と大規模な偽装工作があり、問題になったそうだ。故に、より精密になったと聞いている。だから、確かなことは言えないが、偽名が登録されているなど、あり得ないことだった。いや、あってはならない、と言っても過言じゃなかった。
「いくら魔塔の主でも、組織のすべてを把握している、と自負しているのか? そこまで傲慢だとは思っていなかったな」
マーカスの皮肉交じりの指摘に、ポーラは黙って椅子に座り直した。
「そこまで言うのなら、貴方だって、根拠があってのことなのでしょう」
「勿論。というよりも、魔術師たちの間では、随分前から噂になっていたらしい。マスティーユが偽名を使って、魔塔に入り込んだ、とな。出所は、ザヴェル侯爵家にも出入りしている魔術師たちからだ。ソマイアにいないからと言って、好き勝手言っているわけではないようだったぞ。魔塔内部でも噂になっていたから、縁者である伯爵の領地にある、学術院に逃げてきたんじゃないかっていう話だ」
これを噂というだけで、確固たる証拠にはならない、という内容ではなかった。
魔塔の魔術師たちは、ソマイアにだけいるわけではなかった。近隣の諸国にも、ソマイアは魔術師たちを派遣していた。飽く迄も、侵略目的ではなく、友好のためだと、条約を結んでのやり取りだった。
それは、ソマイアの魔塔だけではなく、マーシェルもまた、同様の条約を結んでいることで、騎士たちを派遣している。そして西のソマイア、北のマーシェルに続き、東のゾドに至っては、教会が同様の扱いを受けていた。
そのおかげで、ゾドの神聖力を持つ者が、ソマイアの学術院へ研究しに来たり、マーシェルの騎士たちが、ゾドの大神殿で聖騎士になったり、そういった事案がいくつか起きていたため、何かとメリットが多かった。
「さらに言うと、あのマスティーユと言う奴は、大魔術師ユルーゲル・レニンに似ているらしいな。有名人だからか、マーシェルにも肖像画が残っていたから、簡易的なものだが、その写しも一緒に送ってくれた」
そう言ってマーカスは、懐から一枚の紙を、ポーラに見えるように、テーブルの上に置いた。簡易的というだけあって、その紙に描かれていたのは、特徴だけはきちんと捉えた、スケッチとも言える絵だった。
魔塔にも、ユルーゲルの肖像画はある。その紙に描かれている人物画と、似た顔をした肖像画があったため、それが偽物ではないということは、確かだった。二人に似ている、とは思わなくもなかったが、それでも――……。
「もしかして、マスティーユがユルーゲル、とでも言いたいのかしら。ユルーゲルは大昔の人物よ。あり得ないわ」
「大魔術師なんだろう。あり得ない話じゃない。レニン伯爵の先祖でもあるんだ。繋がりがあっても、おかしくない。さらに言うと、青い髪に、アズールなんていう偽名は、似合い過ぎだろう」
「ポーラ嬢。さすがにここまで出てしまうと、ただの噂も証拠となるでしょう。私も、信じがたいとは思いますが、相手が大魔術師であれば、時空を超えるような魔法を使えたとしても、不思議ではないかと」
院長の言葉がダメ押しになったのか、団長も納得するように頷いた。
「そして、覚えておいででしょうか。レニン伯爵は、そのユルーゲルが残した魔法陣を、起動させようとしていることを。それに必要なのが、今回攫われたアンリエッタという少女であったことを」
「なら、決まりだな。早速乗り込もうぜ」
そう言って、ジェイクは立ち上がった。が、それ以外の人間は、誰も立とうとはしなかった。
「どうしたんだよ。目的地は、伯爵邸だろ。本邸は遠いから、ギラーテにある別邸に、アンリエッタは捕まっているに決まってる。そうじゃないのかよ」
「ジェイクの言いたいことは分かる。だが、相手は貴族だ。そう簡単に乗り込むわけにはいかない」
エヴァンにそう指摘され、ムッとした表情をしたが、ジェイクは大人しく椅子に座った。
「だが、魔法陣の件が本当なら、急いだ方が良いのは明白だ」
「というわけだから、ここは王女様に一肌脱いで貰いましょうか」
「勿論、早急に動くわよ。いちいち嫌味を言わないと、気が済まないの?」
「情報の共有が、そちらが少々足りていなかったので」
その腹いせっていうわけね。確かに、言葉が足りなかったのは、悪いとは思っているわ。だからって、ネチネチと嫌なヤツね。
「とりあえず、国ではなく、魔塔として対応する方が、伯爵邸への家宅捜索の理由も、令状も取り易いわ。だから、そうね。自警団には、魔術師をすぐに用意できるほどの人数が、確保できなかったため、協力を要請した、ということにしましょう。学術院は勿論、魔術師たちを要請するわ」
これで足りるかしら。念のため、冒険者ギルドに要請する必要があるかもしれないから、エヴァンたちを同席させたのだけれど。
ポーラはチラッとエヴァンを見た。
平民一人のために、魔塔と学術院、自警団まで動かすだけでも、大げさに見えるだろう。この上、冒険者ギルドまで動かすのは……。しかし、相手は辺境伯。本邸ではないにしても、国防を任せている家に乗り込むには、万全を期したい。
逆に、平民一人を助ける口実として、伯爵邸を捜査した、と思わせる方がいいか。色々きな臭い噂があったのだから、魔塔として制裁目的として捜査したのだと。
「エヴァン。魔塔の主として、冒険者ギルドに依頼を出すわ。伯爵邸を捜査するため、邸宅の周囲を警備してほしい、と」
「分かった。しかし、大丈夫なのか。ギラーテの戦力をすべて使うのは……」
「だが、相手は大魔術師だ。用心に越したことはない。それに、背後のごたごたは、俺らが考えることじゃない。当然、そっちが責任をもって、対処してくれるんだろう」
確かに、マーカスは隣国の貴族ではあるが、ソマイアでは平民として、入国手続きをしていることだろう。けれど、もう少し言い方ってものが、あるでしょう。
「勿論よ。噂を逆手にとって、魔塔の主が自ら陣頭指揮を執るの。そうなれば、誰も平民一人のために動いた、とは思わないでしょう」
「なるほど。ならば、こちらも増員して対処しても、構いませんな」
「えぇ。院長の方も、そのつもりでお願いできるかしら」
「分かりました」
後は、作戦ね。令状を魔塔に要請して、形だけでも魔術師たちを来るようにしなければ。それでも一刻を争うから、最低でも明日の午後には、乗り込めるようにしておきたいわ。
ポーラはそれぞれの顔を見渡した。
「令状の要請を出してしまえば、あとはどうにでもできるわ。だから各自、明日までに戦力を用意出来る様に。準備が出来ても出来なくても、作戦を練るために、明日の朝はここに集合すること。いいわね」
「決行は?」
「明日の午後が望ましいと思っているのだけれど、遅いかしら」
「いや、十分だ」
珍しくマーカスが、ポーラの意見に賛同した。一刻を争うことだけに、無駄な時間を費やすわけにはいかなかった。ホッとしつつ、ポーラは立ち上がった。
「では各々、最善を尽くしましょう」
そう言って、自らが先に院長室から出て行った。