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目が覚めた時、すぐに視界に入ったのは、見知らぬ天井だった。
当たり前か。覚えているのは、魔法陣に吸い込まれた瞬間までのことだった。これはつまり、拉致された、ってことで合っているのだろうか。
誰に? というところが分からない分、少し不気味だった。
体を動かそうとすると、微動だにしなかったわりには、すぐさま全身に痛みを感じた。それは頭が回らないほどの苦痛ではなく、ほんの少し気になる程度の痛みだった。ただ動かそうと試みると、痛みが増す。そして何だか気だるかった。
そんな状況下であったけれど、首だけは少し動かせそうだったので、痛みを堪えながら、自分の体を確認した。
どうやら、未だに紐状の物に捕まったままらしい。違うのは、それが首に巻かれていないのと、今度は腕が拘束されたことくらいだった。お陰で息苦しさは、とりあえずなくなって安堵した。
魔法陣が現れた瞬間や、紐状の物に捕まった時が、物凄く怖かったせいなのか、今は逆に冷静になれた。この状況をそれほど怖く感じなかったのは、そのせいだった。ただ、これからどうなるのか、分からないことは変わらなかった。
とりあえず、動くことも出来ない状況であるため、ここが何処なのか、体の代わりに頭を使って、考えてみることにした。視界は首が動く範囲しかないため、得られる情報には限りがあるのは難点だったが、仕方がなかった。
装飾が一切ない、剥き出しのコンクリートの壁に、場違いかと思うような、豪華な飾りが付けられた灯り。数は少ないものの、そこかしこに点っていた。上等なものだけあって、十分に明るい。だからなのか、窓があるかないか、それすらも気にならなかった。
そう、窓だ。窓の一つくらい、どこかにと思ったが、やはり見当たらない。せめて夜なのか、次の日の朝なのか、それが知りたいところではあったが、確かめることはすら、出来そうになかった。
窓があれば確かめられるのだが、可能性は薄そうだった。さらに部屋……と呼んでいいのか分からないこの場所は、人の声どころか鳥のさえずりさえも聞こえないため、何かしらの情報も得られそうにもない。
そんな無い物尽くしの中、一つだけ“ある”ことに気がついた。全身の痛みだ。こうして魔法陣に捕まっているだけなら、体が硬直して、動きが鈍るだけで、ここまでの痛みを感じるのは可笑しい。せいぜい気を失っていた期間が、仮に半日になっていたとしても。
前世の体ならいざ知らず、この体は十代。二十代後半とは違い、若いのだ。そして日々懸命に働いているため、この程度で痛みを感じるなんて、あり得ない話だった。
それから、妙に力が入らないもの、気になった。気だるいせいなのか、痛みのせいなのかは分からないが。
もしかして、半日と仮定していたけれど、もっと気を失っていたのかもしれない。それなら、この気だるさに納得がいく。思っていたよりも、恐怖を感じていたらしい。
そう自分なりに状況整理を終えた頃、カツカツと足音が聞こえてきた。地面を歩くよりも、どちらかと言うと、階段から降りるような靴の音。このような部屋で、下の階というと、連想できるのは、地下室だった。
拉致されて、連れてこられた部屋が地下室って、何ともおあつらえ向きの展開だった。
まさか私、教会からの追手に捕まったのかな、とうとう。だけど、アイツらって、魔法が使えたっけ? 聖と魔は反発するって、神聖力の本には書いてあったけど……いや、でも私、教会のそういった内情は、何一つ知らないから、もしかしたら魔術師を雇ったのかも。
「おや、ようやく目を覚ましましたか」
まさかそこまでするとは、と思っていると、足音の主と思われる人物に、声を掛けられた。遠くにいるせいか、姿までは見えなかった。唯一分かるのは、その人物が男だということだけだった。
声を掛けたってことは、会話をするつもりはあるってことよね。
一応、物扱いはされていないことに安堵し、アンリエッタは声のする方に話しかけた。
「私、どれくらい気を失っていました?」
「まず先に気になることは、そのことですか?」
「そうですね。今が何時なのかが気になります」
どうせ教会に捕まったのなら、その後の展開は予想できる。調教と言う名の拷問をされて、マーシェルに連れて行かされるのだ。ならば、相手がどんな人間なのかなんて、知る必要はない。
ただあまり酷いことはしないでほしい。神聖力を持っているせいなのか、他の人より傷の治りは早いが、痛いことに変わりはないからだ。
「ふむ、他には何が気になりますか?」
「さっきの質問の答えは、教えてもらえないんですか?」
互いに質問を質問で返す会話を繰り返していたが、不思議と不快な感じはしなかった。それは、相手の口調が穏やかで、嫌味を含んでいるようには感じなかったせいだろうか。
「質問には答えますよ、勿論。しかし、問答を繰り返すよりも、一遍に質問を聞いた後に答える方が、私の性に合うのですよ」
「変わっていますね。面倒なようで、合理的とは思いますけど……」
「ははは。では、理解してもらえたということで、どんどん聞いてください。答えられる範囲で答えますから」
姿を見ることが出来ないというのに、ニコリと笑顔を向けられたような気がした。
どんどん聞いてくれと言われ、少し間を置いていると、ギーと何かを引く音が聞こえてきた。次にトンという音から、男が椅子を引いて座ったのだと理解した。つまり、この部屋には椅子があり、引く行為は机かテーブルの様なものが、少なからずあることを窺わせた。
「それじゃまず、さっき言った時間から、私を攫った理由と用途。それから、ここの場所と私の現状についての説明。あとは、その後私をどうするのか、聞かせてもらいたいです」
一先ず、“教会”の二文字は声に出さなかった。教会の関係者かもしれないというのは、飽く迄私の推測でしかないのと、不要な刺激は危険だと思えたからだ。
魔法陣に繋がれた状態は、即ち私の身が魔術師の考え次第で、どうにでもなってしまうことを意味していた。
「相変わらず、私についての質問はないのですね。少し残念ですが、まぁいいでしょう。お答えしましょう」
口調は言葉通り残念そうに聞こえるが、表情は見えないものの、全くそんな風には感じなかった。
正直相手のことなど、気にしている余裕などなかった。さきほどの質問の答えで、それとなく情報は掴めるだろうから、そのくらいで構わないと思ったのだ。
「まずは順序立てて話をしましょうか。ですから、最初の質問は後程答えるとして、始めに攫った理由からいたしましょう」
「何だか、先生みたいですね」
「それについても、後程回答してあげますよ。では、貴方を攫った理由ですが、それは神聖力を持っていたからです」
まぁ、何とも拉致犯らしくないと思って聞いていたら、とんでもなかった。たったそれだけの理由で攫われたのか、私は。だから、悪いとは思いつつも、口を挟まずにはいられなかった。
「いきなり、話の腰を折るようで、申し訳ないんですが、それだったら私じゃなくても、別に良かったんじゃないですか?」
「神聖力を持っていたからといって、誰でも良かった訳ではないですよ。貴方は他の人より少々、いえ大分多く神聖力を持っているんですよ」
「それなら、尚更私じゃなくても……。ゾドは聖国ですよね。あそこなら、私くらいの人物がいたって、可笑しくはないんじゃないですか?」
そうだ。教会の大元である大神殿があるような国なら、それこそわんさかいるはずだ。わざわざ私を攫う必要はない。
「ゾドから連れてくるのは、リスクが伴いますからね。ギラーテに条件を満たす人物がいて、助かりました」
「いえ、そういう意味ではなくてですね。攫うのではなく、協力を求めれば、ゾドでだって大丈夫だったのではないでしょうか」
「それは無理な話です。神聖力を持っていれば、協力などしてくれないでしょう」
だから、攫う方法しかなかったのだ、とでも言っているかのようだった。
というか、待って。この人、教会の関係者じゃ……ない。もしかしたら、さらにヤバい人かもしれない。神聖力を持つ者なら、誰でも協力できないことに、私を使おうとしている。男が次に発そうとしている言葉に、恐怖を感じた。
「貴方の下にあるその魔法陣に、神聖力を吸収させています。そして、隣にある魔法陣に、移しています。見えますか?」
促されて首を横に向けると、離れた場所に、円形の模様が床に描かれていた。しかし、意識して見なければ、そこに魔法陣があるとは思わないほど、それは薄かった。
「聖と魔は反発しますから、貴方ほどの神聖力を持っていないと、魔法陣が上手く神聖力を吸収してくれないのですよ。これが貴方を攫った理由ですね。用途は、そこの魔法陣の起動です。まだまだ起動に必要な神聖力が足りていないので、満たすまで協力していただきますよ」
それは協力じゃなくて、強制じゃない。つまりこの体の痛みは、反発で起こった痛みということか。それなら、確かに誰も協力しようなんて思わないだろう。
唖然としているアンリエッタを余所に、男は喋り続けた。
「安心してください。貴方が衰弱、もしくは死ぬようなことはしませんので。飽く迄も私は、魔法陣が起動さえすれば良いのですから」
用済みになれば解放する、とでも言いたげな雰囲気だったが、信用できなかった。けれど、隣の魔法陣が起動するまでは、確かに死ぬ心配はなさそうだった。その過程と、その後が不安で仕方がなかったが。
「それから何でしたか。あっ、そうでした。ここの場所と現状、あとその後のことでしたね。さすがにここの場所は、教えられませんが、先ほども言ったように、しばらくはここで過ごしてもらいます。十分な食事と睡眠は約束しましょう。魔法陣への神聖力の供給をするのに、必要なことですから」
物扱い、下手すれば家畜扱いだろうか。聞けば聞くほど、正気の沙汰ではなかった。私は魔法陣に十分な神聖力を満たすまで、痛みに耐えなければならないと、宣告を受けたのだ。
さっきまで気を失っていたのも、恐怖による精神的苦痛からではなく、聖と魔による反発によって生じた肉体的苦痛からであって。それをあと何回繰り返せば、解放されるの? 解放されたとしても、簡単ではないはずだ。いくら私が平民だからと言っても、こんな扱いがバレれば、ただでは済まないのは、向こうも承知していることだろう。
「あなたは誰ですか? 一介の教師ではないですよね」
「おや、ようやく私に興味が湧きましたか?」
「一応、聞いておこうかと思って。顔も見られないですから」
「それは失礼」
いや、別に失礼ではと思った瞬間、目の前に小さな魔法陣が現れた。反射的に、捕まった時の恐怖を思い出し、短い悲鳴を上げた。が、さらに悲鳴を上げる光景が起きた。
「‼」
「これなら私の顔が見えるでしょう」
魔法陣から、青い髪をした男の顔が映し出されたのだ。前世の近未来で、液晶に映し出されるのと似た光景だった。
「見えました。見えましたから、これを消してください」
「そうですか。それは残念です。なかなか便利なものを作ったと、思ったんですが」
私が魔法陣に捕まっている状況でなければ、確かに便利なものでしょうけど、とはさすがに言えなかった。また下手なことを言って、心臓に悪いことをされたくはなかったからだ。
「まぁ、私の顔も見た、と言うことで、改めて自己紹介をいたしましょうか。私はユルーゲルと申す者です。貴方には、アズール・マスティーユと言えば分かるでしょうか」
「あっ、本を貸してくれた……人……ですよね。確か」
「そうです。お陰で、貴方を見つけられたのですよ、アンリエッタ・ゴールクさん」
「えっ……」
何で、そっちの苗字……? いや、その時から、目を付けられていたことに、驚きと寒気がした。
そして次の瞬間、下の魔法陣が光り出した。ユルーゲルが言った通り、神聖力が吸収されるのだと思う暇もなく、全身に痛みが走った。
「ああああああぁぁぁぁぁ」
痛みから逃げたくとも、紐状の物が体に巻きつけられているせいで、動くこともままならない。しかし、踠いていたのは最初だけだった。
体の全てを痛みが支配すると、そんな余裕は一切出来なかった。力が吸収される感覚なんてものすら、感じないほどに。
それがどれくらい続いたのだろうか。痛みに耐えきれなくなり、私は意識を手放した。