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思わず漏れた梗一郎のツッコミを受ける蓮の口調はどこまでものんきだ。
今、彼は玄関を入ったすぐ横にこじんまり設置された台所で、客人のためにお茶をいれていた。
カップがないのだろう。
茶碗や小鉢になみなみと注がれた日本茶を梗一郎が受け取って、座卓に陣取るモブ子らに運んでやる。
「待て待て、嘘だろう。ご飯茶碗かよ」
「びっくりするくらい薄っすい茶だな」
「ガーベラの花びらが入った紅茶所望」
アタシらのイメージを返せとわめくモブ子らを、梗一郎が睨みすえるが、もちろん彼女たちに堪えた様子はない。
「すみません、先生。モブ子らが好き放題して。ご自宅にまで押しかけるなんて」
お菓子の芋けんぴをどんぶりに盛り、すっかり世話役が板についた様相で梗一郎が蓮の耳元で囁く。
「いいんだよ。そんなの気にしないで。そもそも、なんで君が謝るんだい?」
「いや、あいつらの魔の手から先生を守るのが当面の僕の役目かなって」
「魔の手って!」
朗らかに笑い転げる蓮。
ふと視線をあげると梗一郎の色素の薄い瞳とぶつかり、蓮の頬が緩む。
キッチンと呼ぶより台所と表現するしかない狭い空間で、ふとした拍子に感じる彼の体温がなぜだか心地好い。
最近、講座の準備とアンケートの集計と論文の調べ物ばかりに時間を費やしていた。
すべてが遅々として進まず、自分の時間の使い方の何が悪いのか考え込んだり。
そんななか、今日はよく笑っている気がする。
「芋けんぴかよー」と、背後からの遠慮ない叫びに、梗一郎が顔をしかめた。
端正な顔が歪むのを間近で眺めて、蓮は目を細める。
「ごめんよ、モブ子さんたち。うちにはお菓子は芋けんぴしかないんだ。トロトロオムレツの次に好きなのが芋けんぴなんだ」
不平を漏らしつつも、しっかり芋けんぴに手を伸ばす女子たち。
モブ山イチ子、モブ川ニコ、モブ田みみ美──通称「モブ子」ら。
嘘みたいな名で括られている彼女たちは一見、三つ子のようにもみえる。
よく見れば顔立ちも声も体格も全然違うのだが、何というか……醸しだす雰囲気が同じなのだ。
蓮曰く「みんな良い子」なのは確かなようだが、いかんせん少々クセがあるようで。
今も芋けんぴを口にくわえながらボロ屋を無遠慮に見回している。
「蓮ちん、ここの家賃っていくらだ?」
「9千円だよ」
「きゅ……?」
蓮も窘めるでもなく、律儀に答えてやっている。
「お風呂がないからね。相場より安いんだ」
「だからって9千円は破格だな……」
「蓮ちん、お風呂はどうしてるんだ?」
「まさか、湯船の代わりに……」
モブ子ら、じっとりした目で流し台を見やる。
「お風呂は近所の銭湯に、5日に1回は行くようにしているよ」
「あっ、ちゃんと銭湯に行ってるのか。良かった」
「5日に1回だって? いやまぁ、良かった」
「てっきり流し台で洗ってるのかと……良かった」
モブ子らの失礼な疑惑。
意味が分かっていない蓮は、銭湯の大きな湯船は気持ちがいいからねぇと、どこまでものんきに笑っている。
横から梗一郎が何か言いかけては結局、諦めたように口をつぐんだ。
そんな彼にもモブ子らの容赦ない攻撃が。
「ちょ、待て待て。小野ちん、味噌汁の椀じゃないか、それ」
椀に口をつける梗一郎を指さす。
「アッ」と蓮が声をあげた。
湯呑の代用として彼には味噌汁椀で茶をいれたのだ。
元より客人用の食器などない家である。
「ごめんねぇ」と蓮が謝りかけるのを遮るように、梗一郎は鞄から紙の束をつかんで座卓の真ん中に置いた。
「ほら、アンケートの集計を手伝うんだろ」
何を寛いでいるんだという口調に、モブ子らもしぶしぶ芋けんぴをつまむ手を止めた。
「小野ちんは、蓮ちんには優しいけどアタシらには塩だな」