テラーノベル
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倍相は、羽理の見た目が好みだったのもあって、元々羽理にはちょっぴり肩入れしていたのだが、上司としてそんな彼女と接する中で、羽理が自分と同じように片親家庭で育ってきたことを知ってからはその想いが加速した。
自分が母と過ごしてきた……貧しかったけれど幸せだった幼少時代を羽理に重ねて、自分がもしも母親と引き離されずにあのまま過ごせていたならば、自分も彼女のように屈託なく笑える人間になれていたのだろうか?と思ったらつい目で追うようになっていたらしい。
「今になってみれば、あれが恋心じゃなかったのは明白です。大葉さんに対する執着とは違う意味で、僕はきっと、荒木さんに固執していたんだと思います」
だから二人のことは何の確執もなく応援できると言い切った倍相が、ふと吐息を落として……「あ、けど……何の執心もなく、と言うのは嘘かも知れません」とつぶやいた。
「えっ?」
まだ何かあるのだろうかと大葉が構えそうになったのを見て、倍相が淡く笑って顔の前で手を振ってみせる。
「ああ、変な意味じゃないです。――荒木さんには……僕とは違って絶対幸せになってもらわなくちゃ困るなって……。母子家庭でも幸せになれるんだって思いたい僕の願望をまだ背負わせちゃってるなって……そう思っただけです」
倍相自身が気付いているかどうかは分からないが、大葉は眼前の男が未だに亡くした母との叶わなかった日々に囚われていることを強く感じてしまった。
「なぁ、思うんだがな、倍相。俺もお前も過去は過去だと割り切るの、大事なんじゃねぇか?」
それはきっと、一朝一夕でどうこうなる感情ではないというのは大葉にだって分かっている。
自分だってつい最近まで……過去の辛い経験に惑わされて社内で孤立することを良しとしていたのだ。
仕事に支障がなければ他者と深く付き合う必要はないし、心を開くのは危ういことだとすら思っていた。
だからこそ羽理と出会うまでの大葉は、自分のすぐひざ元にいるはずの部下たちの顔と名前ですらよく把握出来ていなかったのだ。
だが――。
「倍相……。さっき社長室でも伯父に話したんだがな。俺は過ぎたことはもう気にしないって決めたんだ」
大葉の言葉に、倍相が瞳を見開く。
「大葉さん……それってつまり……」
大葉は「許す」という言葉こそ使わなかったけれど、今のセリフで課長時代にされたことは不問に付すと伝えたつもりだ。
「分からないのか? 俺はお前の言葉を信じるって言ってんだよ。――これからは羽理が幸せになれるよう、尽力してくれるんだろ?」
大葉は、あえて身内や羽理の前でするように不愛想な仮面を脱ぎ捨てて心のおもむくまま、悪戯っぽく二ッと笑ってみせる。
途端、倍相がますます戸惑ったように視線を揺らせるから……。その様がいつも取り澄ました様子の倍相からは想像がつかなくて、見ていて面白いなと思ってしまった。
「あれ? 『もちろんです』って即答してくれないのか?」
わざと揶揄うみたいにククッと笑いながら言い募ったら、倍相が泣きそうな顔をして「もちろんです」と答えて――。
「じゃ、そういうわけで……。よろしくな? ――岳斗」
大葉は岳斗に手を差し出すと、そこで〝初めて〟目の前の男のことを下の名で呼んだ。
そうしながら、大葉は岳斗にも過去を振り切って未来を見て欲しいなと希わずにはいられなかった。
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