翌朝は、手を繋いで課長と出社した。誰にも隠したくなどない……それが、わたしたちの正直な気持ちだった。
フロアでも堂々と手を繋ぎ、自席に着くときに、周りに挨拶をする。「昨日は、申し訳ありませんでした」
「……大丈夫なのかい」と尋ねる部長には、「大丈夫です!」と満面の笑みで答える。
それから、課のみんなが出社してから、改めて課長が挨拶をした。
「みんな。心配をかけてすまない。……プライベートのことにおいても」
皆が、手を止めた。話を聞くべき大事な場面だと悟ってのこと。
「おれは、この通り、元気だ。無事、……桐島くんと復縁を果たし、幸せの真っ只中にいる」
わたしは席を離れ、彼の隣に行った。みんなのほうを向いて頭を下げ、「わたしからも、……申し訳ありませんでした。皆さんに色々と心配をかけてしまって……」
「そんなお二人さんには……じゃーん!」
見れば、中野さんが箱を手にやってくる。ドキュメントを置く棚の上に、……ってなにそれ。ホールケーキ? 明らかにホールケーキ入りの箱を押してやってきた中野さんは、課長を見て笑い、
「ケーキ入刀、なんてどうです?」
ちょうどいいことに、わたしは白のワンピース姿だった。中野さんに、薔薇の髪飾りを差し出され、「花嫁さんはこうじゃなきゃね」と笑いかけられる。
手渡される、白い手袋を嵌め、課長とナイフを手に、ケーキに切り込みを入れる。会社のカメラで撮影する女の子も現れた。派遣さんだ。わたしたちは彼女たちに向けて笑みを作る。
これで終わりかと思いきや。中野さんは、「まだまだこれじゃ終わりませんよ」
赤い、じゅうたんを敷き、わたしたちを歩かせる。そして、神父っぽい格好をした三島さんが、
「三田遼一さん。病めるときも健やかなるときも、桐島莉子さんを愛することを……誓いますか」
「はい。誓います」明瞭な声で課長が答える。続いてわたしも同じことを聞かれ、「はい。誓います」と答えた。
「それでは誓いのキスを……」
――えっ。
ここ、会社なのに。やっぱそういうことする展開? させられるんだ。うわどうしよう……!
課長は、戸惑ったわたしの肩を抱くと、片手で伊達眼鏡を放り投げ……って放り投げていいんですか!? 課長!
「こいつぁもう必要がない。……莉子」
どこかで、音を立てて課長の伊達眼鏡が転がった。課長はいたずらな感じで笑い、
「おれと……幸せになる覚悟は出来ているか」
視界が、滲んだ。愛おしいそのひとの笑みが、目の前にある……。
何度忘れようとしても出来なかった。胸のうちの中央をどっしりと居座るあなたを追い出すことなんか、出来やしなかった。この心臓が動く限り、わたしはあなたを……愛している。
「はい。勿論です……」
答えた瞬間、この唇はあなたに塞がれていた。近くで悲鳴があがる。きっと課長ファンの……。あの子たちのためにも、わたしは、あなたを幸せにしなくてはならない。幸せにならなくてはならない。
人前にも関わらず、たっぷりとわたしの口内を味わい尽くすあなたの本能が憎らしい。その固い胸を手で押してみても、あなたはびくともしなくって……。
息が苦しくなってとうとうあなたの胸を叩いた。呼吸を取り戻したわたしは、「んもう。課長ったら。わたし、苦しいです……」
「おめでとう! 三田課長! 桐島ちゃーん!」
結婚式でもないのに、薔薇の花びらが舞い散る。……って中野さんには確かに昨日の夜メールをしたけど。心配しているだろうから。にしてもこの仕事の速さ。準備のよさ……。昨日の帰りにでも買って帰ったんだろうな。中野さんのことだから……。
皆が、拍手をしている。広河さんも、みんな、みんな……笑顔で。
「幸せになろうな……莉子」
「はい。わたしすごく……幸せです」
「実を言うとおれもだ。気が合うな……おれたち」
「はい」
「ごめんもういっぺん、キスしたい」
「課長ったらもう。しょうがないんですから。一度だけ……一度だけですよ?」
「ああ」
そしてまた悲鳴があがる。どうやら、男の人の声も混ざっているような。
結婚式さながらの、世界の中心で、わたしたちは笑っていた。そう――この愛が。生きている限り、この胸のなかに宿る愛が。わたしたちを――死ぬまで守ってくれるだろうことを知りながら。
―番外編3・完―
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