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第58話:『インボイス』という名の呪文〜消費税の悪魔と、ボイパの親戚〜
「……う、あ……?」
ピカピカと七色に光る、三十一万八千五百円のゲーミングPCのファン音。
そして、鼻を突く四畳半の古い畳の匂い。
冷たい床の感触で、俺はゆっくりと意識を取り戻した。
重い瞼をこじ開け、体を起こす。
視界の先にあるデュアルモニターには、俺の金髪イケメンアバターが、主の気絶などお構いなしに爽やかな笑顔を振りまいていた。
「俺……なんで床に寝て……」
ズキズキと痛む頭を押さえながら、俺は記憶の糸をたぐり寄せた。
そうだ。
3D化費用の二百五十万円を達成して歓喜していた俺は、有識者ニキ(おそらく市役所の鈴木さん)から『今年の売上が一千万円を突破した』という事実を突きつけられたのだ。
そして、再来年から『消費税』を国に納めなければならないという、無慈悲な死刑宣告。
俺の四十年間甘やかされてきた脳みそは、その絶望的な情報を処理しきれず、自己防衛のためにシャットダウン(気絶)を選択したのだった。
俺がフラフラとゲーミングチェアに這い上がると、チャット欄が凄まじい勢いで滝のように流れ始めた。
『おっさん生還キターーー!!』
『おはよう、そして絶望の世界へようこそ』
『気絶中もスパチャ飛んでたぞwww』
『寝てるだけで課税売上が増える男』
『ジェミニ先生、患者が目覚めました!』
「お前ら……人が白目剥いてぶっ倒れてる時にスパチャ投げんな!! 俺の来年の首をこれ以上絞めたいのか悪魔ども!!」
俺がマイクに向かって喚き散らすと、リスナーたちは待ってましたとばかりに大爆笑のコメントを連打する。
だが、俺の怒りも虚しく、画面の右端から再びあの『極彩色の爆撃』が飛んできた。
恐怖の象徴、有識者ニキからの赤いスーパーチャット(一万円)だ。
『スパチャ:10,000円(有識者ニキ:お目覚めですか、ルシフェルさん。現実逃避しても税金は減りません。消費税の課税事業者になるにあたり、あなたが【今すぐ】やらなければならない、最も重要な手続きについて説明します)』
「い、いやだ! もう聞きたくねえ! なんで一万円も払って俺に税金の授業をしてくるんだよこの人は!!」
俺が耳を塞ごうとするのも構わず、有識者ニキの容赦ない長文コメントが投下された。
『スタプロなどの企業と今後も取引(3D化プロジェクトや案件など)を続けるのであれば、あなたは速やかに国税庁へ申請し、【インボイス制度】に登録しなければなりません。さあ、今すぐ手続きの準備を』
「……は?」
俺は、耳を塞いでいた手をゆっくりと下ろした。
聞き慣れない、しかしどこかで聞いたことのあるような、得体の知れないカタカナ四文字。
ゆうき あきや
1,642
厚揚げ衣
20
なんたろ
1
いちご@ホロオタ×ぴちりす
295
「……いんぼいす?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
「なんだよそれ……。インボイスってなんだ! お前ら、急に新しい魔法の呪文みたいなの出してくんなよ!!」
俺は安物のデスクに身を乗り出し、血走った目でカメラを睨みつけた。
「インボイスってなんだよ!! ボイパの親戚か!? 俺はVTuberだぞ! なんで税金払うために、配信で『ブンツクカッツク!』ってヒューマンビートボックスの練習しなきゃなんねえんだよ!!」
『…………』
『…………は?』
『wwwwwwwwww』
『ボイパの親戚wwwww』
『おっさんの知能レベルが限界突破したww』
『インボイス(声帯模写)』
チャット欄が、一瞬の静寂の後に大爆発を起こした。
「ボイス」という単語に引っ張られた四十歳の底辺脳が弾き出した、奇跡的なまでの勘違い。
「笑うな!! だってボイスって付いてるじゃねえか!! 違うのかよ!! じゃあなんだよそのインボイスってのは!!」
俺が顔を真っ赤にしてキレ散らかすと、リスナーの親切な税理士ニキが、五千円のスパチャと共に解説を入れてくれた。
『スパチャ:5,000円(税理士です。ルシフェルさん、ボイパではありません。【適格請求書等保存方式】のことです。あなたがインボイスに登録して「登録番号」のついた請求書を出さないと、取引先であるスタプロ側が、あなたの分の消費税まで余分に被ることになるんです)』
「てきかく、せいきゅうしょ……?」
画数の多い漢字の羅列に、俺の脳ミソが再び悲鳴を上げる。
『そうです。スタプロのような大企業は、税金の計算で損をしたくありません。もしあなたがインボイスに登録せず、「登録番号のない請求書」を出してきたら……最悪の場合、3Dコラボの話自体を白紙にされるか、消費税分の報酬を一方的にカットされる可能性があります』
「…………ッ!!」
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
白紙。
スタプロの公式スタジオで、あの星乃宮アリスと3Dで一緒に踊るという、俺の人生最大の夢が。
この「インボイス」とかいうボイパの親戚の手続きを怠るだけで、根こそぎ奪い取られるというのか。
「お、おい……冗談だろ? 俺はもう、二百五十万も集めたんだぞ!? なのに、登録しなかったらコラボ中止になるかもしれないってのか!?」
『それがビジネス(資本主義)です』
『スタプロも企業だからな、税金の損は許されないんだよ』
『さあ、おっさん。インボイスに登録するんだ』
リスナーたちは、俺を追い詰めるように煽り立てる。
ならば、答えは一つしかない。俺の夢を守るためには、そのボイパの親戚とやらに登録するしかないじゃないか。
「わ、わかったよ! 登録すりゃいいんだろ登録すりゃ! どこでやんだよそれ! スマホのアプリか!? ワンクリックで終わるんだろ!?」
俺がヤケクソになって叫ぶと、再び有識者ニキから、氷のように冷たいコメントが投下された。
『登録するということは、すなわち、あなたが自ら【私は消費税を納める課税事業者になります】と国に宣言し、首輪をはめられることを意味します。売上の一千万超えに関わらず、登録したその日から、あなたは消費税地獄の住人です』
「…………」
『さらに、請求書の書式は厳格に定められ、1円でも計算が合わなければやり直し。今までの「領収書をダンボールにぶち込む」ようなズボラな経理は二度と通用しません。税務調査が入れば、インボイスの不備で容赦なく追徴課税を食らいます。……それでも、登録しますか?』
「あ、あああ……っ」
俺は、自分の髪の毛を両手で力いっぱい掻きむしった。
「なんだよこのふざけた二択は!! 登録しなけりゃ企業(スタプロ)から仕事を干されて夢が消える! 登録したらしたで、地獄の事務作業と消費税が確定して俺のHPがゼロになる!!」
右を向いても地獄。左を向いても地獄。
これが、インフルエンサーとして成り上がった者に突きつけられる、日本の税制の真の恐ろしさだったのだ。
「逃げ道がねえじゃねえか!! なんで俺が、ただアリスちゃんと踊りたいってだけの四十歳が、こんな国家レベルの高度な税務知識を要求されなきゃなんねえんだよ!!」
『wwwwwwwww』
『これが大人になるってことだよ和尚』
『義務教育で教えとけってレベルの話ww』
『詰みです。お疲れ様でした』
リスナーたちは大爆笑だが、俺の胃袋は完全に雑巾のように絞り上げられていた。
「だ、だめだ……。俺のポンコツな頭じゃ、もう何が正解か分からねえ。ジェミニ先生の解説すら、漢字が多すぎて読めねえ……っ」
俺は、安物のデスクに突っ伏した。
「……行くしかねえ。市役所に」
『えっ』
『市役所?』
『税務署じゃなくて?』
俺の突然の呟きに、チャット欄がざわつく。
「税務署なんて恐れ多くて行けるか! あそこは魔王の城だ! もし変なこと言って即逮捕されたらどうすんだ!」
俺はカメラを見据え、悲壮な決意を込めて宣言した。
「俺は明日、帯広市役所に行く! そこにいるはずの、俺の頭が上がらない唯一の『最強の鉄面皮』に……泣きついてでも、このインボイスの呪いを解いてもらう!!」
『出たwww 鈴木さん頼みwww』
『ケースワーカーに税務相談するなww』
『鈴木さん、またバインダーの角研いで待ってるぞ』
かくして、一千万円の壁を越え、インボイスという最強の呪文を唱えられた四十歳の底辺個人事業主は。
藁にもすがる思いで、かつての天敵であり、現在の(おそらく)有識者ニキである、あの冷酷無比な公務員の元へと突撃する決意を固めるのであった。
「待ってろよインボイス! 絶対に俺がボイパで……いや、鈴木さんの力で論破してやるからな!!」
俺の情けない宣戦布告は、帯広の深夜の空に虚しく吸い込まれていくのだった。
コメント
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「いんぼいす…ボイパの親戚…?」から腹筋がやられました(笑)。有識者ニキの一万円スパチャで税金講座が始まる地獄っぷりと、チャット欄の「おっさん生還きた」のノリが最高に合ってて、笑いながらも胃がキリッとする。鈴木さんに泣きつく決意、次回が楽しみすぎます。お疲れさまです!