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ゆうき あきや
1,642
厚揚げ衣
20
なんたろ
1
いちご@ホロオタ×ぴちりす
295
第59話:鈴木さん(有識者ニキ)の待ち伏せ〜市役所の刺客と、逃げられない四十歳〜
「……よし。周囲に敵影なし」
六月上旬の、よく晴れた平日の朝。
俺は、帯広市役所の正面玄関のガラス扉の影に身を潜めながら、周囲をギョロギョロと見回していた。
黒いキャップを深く被り、マスクとサングラスで顔の半分以上を隠したその姿は、どう見ても不審者そのものである。
昨夜、自身の配信で「インボイス(ボイパの親戚)」という呪文を突きつけられ、発狂の末に気絶した俺は、朝一番でここへやってきた。
なぜ税務署ではなく、市役所なのか。
答えは簡単だ。税務署は、国税庁直轄の『魔王の城』だからである。
あんな恐ろしい場所に、消費税やインボイスの知識がゼロの状態で丸腰で突撃すれば、身ぐるみ剥がされて帯広の冷たい川に沈められるに決まっている(※個人の妄想です)。
だから俺は、市役所の『市民税課』の窓口で、優しそうな職員を捕まえて、こっそりと「インボイスのイロハ」を教えてもらおうと企んだのだ。
「問題は……あいつの存在だ」
俺の脳裏に、分厚いバインダーを小脇に抱えた、冷徹無比な女性ケースワーカー・鈴木さんの顔が浮かぶ。
俺が生活保護を受給していた頃から、何度も俺の心をへし折ってきた天敵。
そしておそらく、昨夜の配信で俺に一万円のスパチャを投げ、一千万の壁という死刑宣告を突きつけてきた『有識者ニキ』の正体。
「絶対に、福祉課(鈴木さんの生息地)のフロアには近づかねえ……ッ!」
俺は息を殺し、自動ドアをすり抜けて市役所のロビーへと潜入した。
目指すは、一階の奥にある税務相談の窓口だ。
周囲の職員たちと絶対に目を合わせないよう、床のPタイルだけを見つめながら、そろりそろりと足を進める。
よし、窓口が見えてきた。
あとはあの発券機で『ご相談』の整理券のボタンを押すだけだ。
俺は安堵の息を漏らし、発券機に向かって右手を伸ばした。
その、瞬間だった。
『バシィッ!!』
「……っ!?」
俺の伸ばした右手の甲に、真上から強烈な一撃が振り下ろされた。
痛い。骨が軋むほどの硬い感触。
それは間違いなく、規格外の分厚さを誇る『市役所指定の黒いバインダー』の角だった。
「おや。どちらに行かれるんですか、ルシフェルさん」
「…………ひっ」
俺の心臓が、恐怖で完全に停止した。
背後から聞こえてきたのは、氷点下二十度のシベリアの風よりも冷たく、そして絶対的な『支配』を孕んだ、聞き慣れた女性の声。
俺は、錆びついた機械のように、ギギギ……と首を後ろへ回した。
そこには。
パリッとしたワイシャツにタイトスカートを身に纏い、銀縁メガネの奥の目を三日月型に細めてニッコリと微笑む、最強のケースワーカー・鈴木さんが立っていた。
「す、鈴木、さん……。ど、どうして、一階の市民税課の前に……? あんたの職場、二階の福祉課じゃ……」
俺が震える声で尋ねると、鈴木さんはメガネのブリッジを中指でクイッと押し上げた。
「ああ、気にしないでください。今日は朝から、一階のロビーで『迷える子羊』が来るのを待ち伏せしていただけですから」
「ま、待ち伏せ……!?」
「ええ。なにせ昨夜、どこかの誰かさんが、数万人の前で『俺は明日、帯広市役所に行く!』なんて高らかに宣言していましたからね。公務員として、市民の皆様のSOSを見過ごすわけにはいきません」
終わった。
完全に、筒抜けだ。
俺は昨夜、配信の最後に「市役所に行って鈴木さんに泣きつく」と宣言してしまった。
有識者ニキ=鈴木さんであるなら、俺の行動パターンなど、彼女にとっては手のひらの上のアリ同然だったのだ。
「さ、さあ、なんのことやら……! お、俺はただ、住民票を取りにきただけで……!」
俺が必死にシラを切ろうとすると、鈴木さんは黒いバインダーを開き、一枚のプリントアウトされた紙を俺の目の前に突きつけた。
「奇遇ですね。私もたった今、素晴らしい音声データ(ASMR)を購入したところなんですよ」
「…………ッ!!」
そこにあったのは、俺が昨日リリースした『四十歳の確定申告愚痴ASMR』の、ダウンロード完了画面のコピーだった。
「いやぁ、素晴らしい臨場感でした。右耳から聞こえる『借方ぁ……』という悲鳴、左耳から聞こえる『鈴木さん助けてくれぇ……』という怨念。三千円の価値は十分にありましたよ」
「あ、あああ……」
鈴木さんは、絶対に笑っていない冷たい目で、俺をジロリと見下ろした。
「まさか、私が実名で登場しているとは思いませんでしたが。……おかげで、あなたの今年の売上が一千万円を突破したこと、しっかりとこの耳で確認させていただきました」
「ち、違うんです! あれはリスナーが勝手に買いまくっただけで、俺のせいじゃ……!」
「言い訳は結構です。ルシフェルさん、あなたは立派に資本主義の階段を上り、そして『インボイス』という名の修羅道へと足を踏み入れたのです」
鈴木さんはバインダーをパタンと閉じ、俺の腕をガシッと掴んだ。
その細腕からは想像もつかないほどの、万力のような凄まじい握力。
「ちょ、痛い痛い痛い! 腕ちぎれる!」
「さあ、行きましょうか。税務署へ行くのが怖いというあなたのチキンな性格に免じて、特別に私がレクチャーして差し上げます」
鈴木さんは、俺の腕を掴んだまま、市役所の奥にある『特別相談室』と書かれた、窓のない小さな個室へとズンズン歩き始めた。
「いやだァァァ! 放せぇぇ! 助けて! 誰か助けてくれェェ!」
「無駄ですよ。ここは市役所です。私に逆らえば、公務執行妨害で警察を呼ぶこともできますが、どうしますか?」
「ヤクザかよ!! あんた本当に公務員か!!」
俺の抵抗も虚しく、特別相談室の重厚なドアが、ガチャリと音を立てて開かれた。
中は薄暗く、パイプ椅子が二つと、小さな長机が一つあるだけの、まるで取調室のような空間だった。
「さあ、座ってください」
鈴木さんに突き飛ばされるようにして、俺はパイプ椅子に尻餅をついた。
バタン、と。
背後で、逃げ道を塞ぐようにドアが閉められる。
密室。
逃げ場のない空間。
そして目の前には、分厚いバインダーを手にした最強の鬼教官。
鈴木さんは、長机を挟んで俺の対面に座ると、ゆっくりとメガネを外し、ニヤリと……この世の全ての悪意を煮詰めたような、恐ろしくも美しい笑みを浮かべた。
「さて、ルシフェル和尚。……ボイパの親戚こと『インボイスの登録手続き』について。一から百まで、脳髄に刻み込まれるまで、たっぷり教えてあげましょうか」
「ヒィィィィィィィッ!!!」
帯広市役所の一角。
防音の効いた相談室の中に、四十歳の新米課税事業者の、絶望に満ちた悲鳴がこだました。
ここから始まるのは、ただの税務相談ではない。
それは、血も涙もない国家のシステム(消費税)の全貌を、物理的かつ精神的に叩き込まれるという、地獄の特別授業の幕開けであった。
コメント
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**第59話、読んだわ!** もうね、鈴木さんの登場シーンから笑い止まらなかった。バインダーで手の甲ぶったたくところ、完全にヤクザの仕業じゃん(笑)あの「迷える子羊の待ち伏せしてました」って台詞が鬼すぎる。 ASMR購入してたってオチも含めて、鈴木さんの「冷徹だけど面倒見はいい」感がすごく好き。インボイスっていうリアルな話題をここまで面白く落とし込めるのは、この作品の真骨頂だと思う。 特別相談室に連行されたラスト、次が気になりすぎる!続き楽しみにしてる🔥