「映画、すっごく楽しかったね」
たまたまいい時間帯に上映予定のアドベンチャー映画があって、結葉の服と化粧品を購入して、彼女の身支度を整えたらすぐ、シアター入りしたふたりだ。
その流れで、結局昼食も館内の売店でホットドッグと飲み物のセットを買って軽く済ませてしまった。
「夕飯はガッツリ食おうな」
映画を観終わってすぐ、想が食い気味にそう言ったら、結葉に驚いた顔をされてしまう。
実際、想はそのぐらいでは足りくさかったのだが、結葉は「お昼食べるの遅くなっちゃったから……夜は余り食べられないかも」とはにかんだ。
昔から結葉はそれほど沢山食べなかったのを思い出した想だ。
少量を丁寧にゆっくりと食べる。
幼い頃からそんな印象の女の子だった。
「俺はさすがにこれじゃ途中で腹減る自信あんだよな〜」
眉根を寄せて言ったら、結葉が「想ちゃんは体力お化けだから沢山燃料が必要だもんね」とクスクス笑って。
ベージュのワンピースに白のモコモコニットカーディガンという出立ちに衣装替えした結葉は、想にはとても可愛く見えた。
昔からフェミニンな服装がよく似合う女の子だったけれど、大人の色香が増した今は、ただ愛らしいだけの頃とは雰囲気が違って見えて。
化粧品を持ち出せなかった結葉は、逃げ出してきた時はほぼノーメイクに近かったのだが、今は薄らとメイクを施している。
透き通るように白い肌は昔のまま。
黒目がちの大きな目と、くっきりとした二重まぶた。
サラサラストレートの黒髪は艶々とした烏の濡羽色だ。
素材がいいとそんなに塗りたくる必要はないのだと想は改めて思い知らされた。
さすがに何もメイクしないままモールを彷徨くのは恥ずかしいとうつむきがちだった結葉に、想は「それなら化粧品も買おう」と提案したのだが。
実際のところ、想は女性のそういうおしゃれ用品について、さっぱり知識がなかった。
てっきり有名な化粧品メーカーの有人コーナーに行くのかと思っていた結葉は、そこには向かわず沢山の化粧品が陳列された、どこかチープな印象を持つ安価なシリーズの一角から、ごくごく基本的なメイク用品だけを選んでカゴに入れた。
BBクリーム、六色のブラウン系カラーが並んだアイシャドウパレット、リップとチークがひとつでカバーできるらしいリップ&チーク、繰り出し式のアイブロウ。
「なぁ結葉。俺、よく分かんねーけど……もっと沢山要る物あんじゃねぇのか?」
妹の芹が持っているメイク用品は、こんなの比じゃないくらい沢山の種類がごちゃごちゃしていたと記憶している想だ。
結葉が自分に遠慮しているのではないかと心配して問いかけたのだが、「んーん、大丈夫。最近私のメイクグッズ、ずっとこんな感じだったから」と結葉が淡く微笑んで。
それは結婚生活の中で、結葉が抑圧されて過ごしてきた結果なんじゃないかと思った想だったけれど、結葉が、いまはそれでいいと言うなら、無理には勧めまいと思い直した。
旦那から離れた生活の中で、おいおい彼女自身が少しずつコレもアレも欲しいと求めてくれるようになってくれたらそれでいい。
いきなり全てを変えろと強要することは、きっと結葉の負担になってしまうだろう。
「了解。――じゃ、とりあえずこれだけ買うか」
言ったら、「ごめんね、想ちゃん、何から何まで」と結葉が申し訳なさそうに謝ってくる。
「あ? 別に俺に引け目感じる必要ねーわ。だってお前、後で返してくれるつもりなんだろ? だったら結葉が買い物したのと一緒じゃん? いちいち俺に申し訳なく思う必要ねぇよ」
後に結葉から金を受け取るつもりなんてサラサラない想だったけれど、こうでも言わないと結葉は何かを購入するたびに萎縮してしまう気がして。
「後できっちり請求すっから気にすんな。……そうだな、これはあれだ」
そこでふっと笑うと、「カードで支払ったと思えばいい」と結葉の頭を撫でてやる。
「カード払いだって、その時に現金を払うわけじゃねぇよな? 後日請求がきて、決済日になって初めて通帳から引き落とされる形で金を払うだろ? この買い物もそういう感じだと思えよ」
まくし立てるように告げてからニッと笑って、
「だからこれから当分の間、何か買うたびに謝るの、禁止な?」
言ったら、結葉が目を見開いて想をじっと見詰めてから、「……有難う、想ちゃん」と瞳を潤ませた。
***
想にはよく分からなかったが、最近のモールは女性トイレに隣接する形でパウダーコーナーもあるらしい。
結葉が「すぐに支度してくるね」と女性用トイレの方へ姿を消したから、想は踊り場にあるベンチに腰掛けて彼女を待っている真っ最中だ。
買った服を、店員に話してフィッティングルームで着替えさせてもらって。
制服から私服にチェンジした結葉が扉を開けて恥ずかしそうに出てきた時、その姿が余りにも可愛らしくて不覚にも想はドキッとさせられてしまった。
きっと化粧を施して出てきた彼女を見ても、自分は同じように驚かされるんだろう。
そんなことを思いながら座っていたら、不意に手にしたスマートフォンが着信を知らせてきて、想は(親父か?)と思ったのだけれど――。
着信画面に表示された番号を見て、小さく吐息を落とした。
***
「もしもし……?」
女子トイレの方を気にしつつ応答したら、『山波さんの携帯で合っていますか?』と落ち着いた声音の男の声。
想はもちろん声の主を知っている。
結葉の夫、御庄偉央だ。
「はい。合ってますよ」
なるべく感情を表に出さないように気を付けて応えたつもりだが、果たしてうまくいってるかどうか。
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