最初は、夢だと思った。
甘い匂いがして、
空には星の代わりにキャンディが浮かび、
家々はみんなクッキーでできている。
どこを見ても、
口の中でとろけそうなほど柔らかい世界。
――気づいた時、もう戻れなかった。
甘い匂いが肺の奥まで染みつき、
吐き出そうとしても、
息は砂糖の味しかしなかった。
少女はずっと笑っている。
最初から、一度も瞬きをしていない。
作り物のようなその笑顔に、
なぜか目が離せなかった。
「大丈夫だよ」
声は優しく、少し弾んでいる。
けれどそれは耳元からではなく、
頭の内側に直接、流れ込んでくる。
逃げようとしても、足が動かない。
スニーカーの裏が、
地面に溶けていく。
――いや。
溶けているのは、
足そのものだった。
「みんな、最初は怖がるんだ」
少女は指先で、宙に浮かぶ家を一つ引き寄せ、
壁を軽く叩いた。
コツン、と乾いた音。
その瞬間、
壁の奥から、小さな叫び声が聞こえた。
気のせいだと思った。
だが次の瞬間、
クッキーの壁が砕け、
中から――
叫ぶ直前の表情のまま、
固まった“顔”が覗いていた。
叫ぼうとした瞬間、
口の中に甘さが流れ込む。
歯が、
舌が、
喉が――
次々と、
砂糖細工の菓子に置き換わっていく。
「ほら、できた」
少女が微笑む。
その時、ようやく理解した。
吊るされたキャンディの紐は、
すべて、人の髪の毛だということ。
ジンジャーブレッドの家の窓は、
内側から爪で引っかいた跡で、
白く曇っているということ。
そして――
彼女のワンピースの赤いリボンは、
縫い目の奥に潜む
“何か”を隠すためのものだということ。
世界が、上下に反転する。
気づけば自分は、
棒に刺さり、
宙に吊るされていた。
視界の端で、
新しい“家”が、
静かに組み上げられていく。
「大丈夫だよ」
少女が一歩、距離を詰める。
歯を見せて笑ったその口の奥で、
“何か”が、こちらを見つめ、蠢いていた。
「ここに来た子はね」
少女は楽しそうに、両腕を広げる。
「みんな――
お菓子になるんだよ」
彼女は、
次の客に向かって歩き出す。
「いらっしゃい。
素敵なお菓子の世界へ、ようこそ」
この世界では、
悲鳴は音にならない。
甘い匂いだけが、
永遠に、
増え続ける。






