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目が覚めてからのぼくは、もう前には戻れないと分かっていた。それでも、悔しかった。何もできなくなったわけじゃない。でも、できていたことができなくなるというのは、想像以上に辛い。
右手が動かない。右足にも力が入らない。
頭の中は、ずっとモヤがかかったようで、うまく言葉が出てこない。
ぼくは、涙が止まらなかった。
ある日、母が病室にやってきて、一冊の本を読み始めた。
タイトルは《五体不満足》――乙武洋匡さんが書いた自伝だった。
「両手も両足もない。でも、彼は大学に通って、教師にもなって、作家にもなったのよ」
母の声は、時々つまっていた。
ぼくは、ただ聞くしかなかった。喋れない。相づちも打てない。
でも、その日は、不思議と言葉が耳の奥まで届いていた。
頭に雷のようなショックが走ったあの日――
救急車のサイレンも、病院の光も、全部が混ざり合って遠ざかっていった。
痛みと恐怖と、そして何より「なにが起こったのか分からない」という絶望。
あの日の感覚は、今でも体の奥に残っている。
母の声を聞きながら、ふと思った。
手足が生まれつきない人と、途中で右半身を失ったぼく――
どちらが重いのだろう。どちらが不自由なのだろう。
乙武さんの文章は明るく、力強く、そしてなぜか優しかった。
「他人に頼ることを恥だと思わなかった」
「ないものを数えるより、あるもので何ができるかを考えた」
ぼくはまだ、立つことができる。
左手は動く。左足も、言葉も、少しずつだけど戻りつつある。
乙武さんのように、誰かの助けなしには生活できないほどではない。
ぼくは、まだ生きられる。
悔しさはある。でも、それは「まだ何かしたい」という証拠かもしれない。
母が読み終えたあと、ぼくは目を閉じて、静かに涙を流した。
今度の涙は、少しだけあたたかかった。
これからもたぶん、うまくいかない日はある。
思い通りにいかずに、また泣くだろう。
でも、泣いてもいいのだ。そこからまた、ぼくは一歩ずつ進めばいい。
前には戻れない。
でも、前とは違う新しい「ぼく」で生きていく。