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俺がかろうじて落ち着きを取り戻したのを見届けて、母ちゃんは覆いかぶさっていた俺の体の上からどいた。美紅も俺の胸に回していた腕を離し、反対側のソファに座る。母ちゃんがまたタバコを一本くわえて、しかし火はつけず、話の続きを始めた。
「あの時はあたしも警察に呼ばれたのよ。まあ、さっき言ったように、クラスの他の子が口をそろえてあんたはいじめに直接加担していたわけじゃないと学校に証言してくれていたから、一応事情を聞かれた、ってとこだけどね。でもね、雄二、あんたは知らなかったようだけど、その他の六人の子はちょくちょく純君に暴力をふるっていたそうよ。まあ、小六だから暴力と言ってもそれほどひどい物じゃなかったとは思うけど、純君には耐えられないほど辛かったんでしょうね」
そ、そんな事があったのか? じゃあ、俺だけが今までその事を何も知らずにいた、そういう事か。そうか、さっき母ちゃんが「知らない方が幸せな事」と言ったのは、そういうわけだったのか。
「で、でも待ってくれよ、母さん。じゃあ、なんで俺の名前がその遺書にあるんだよ? 俺は純をいじめてなかった事は純だって……」
母ちゃんは俺に最後まで言わせなかった。
「純君にはあんたも同じに見えていたのよ。あんたが直接暴力やいじめに加わっていなかったとしても、さっき『あいつはいじられキャラ』とか口走ってたわね。あんたは本物のいじめの現場にいた事はなかったとしても、他の六人の子と一緒になってからかった、それぐらいの事はなかった?」
「いや、そ、それは……」
「だったら、純君の目には、雄二、あんたもいじめグループの一人として映っていたのよ。だから遺書にあんたの名前もあった」
「そ、そんな……そんなの誤解だろ! 純にそれが分からなかったなんて事があるはずないじゃないか!」
そこで母ちゃんはとうとうタバコに火をつけ、深々と一服吸って天井に向けて煙を吐き出し、それから俺に向き直って言った。
「一年ちょっと前だったかしらね、あたしが高校の、東京近辺に住んでいる同級生の同窓会の幹事やった事があったわよね。あの時、住所とかちゃんと分かっていたのに、どうしても連絡の取れない人がいたの。で、日にちが迫って来たんで直接電話したのよ。そしたらね、思いがけない事にこう言われたの……『いじめに遭った思い出のある学校の同窓会なんか誰が出るかっ』てね」
「え、母ちゃんの高校の時のクラスでもいじめがあったのか?」
母ちゃんは右手の指ではさんだタバコを軽く吸いながら小さく首を横に振った。
「あたしも驚いたわ。あんたがさっき言ったように、ただふざけているだけだと当時はあたしも周りの他の生徒もみんなそう思ってた。でも、その人にとっては『いじめ』としか感じられない事だったのよ。その人をいじめていたという当時のクラスメートに直接それを話したらね、全員目が点になっていたわ。信じられないって顔してた。いじめた当の本人たちが、なのよ」
「で、でも、落ち着いて考えりゃ、そんな事分かりそうなもんじゃ……」
「いいこと、雄二。あんたもいつかは大人になって社会に出るんだから、これだけは覚えときなさい」
母ちゃんは煙草を灰皿でもみ消して椅子から立ち上がり、また俺の上半身に覆いかぶさるように顔を近づけて、別人のように真剣な表情で言った。
「いじめられている最中の人間にはね、正常な判断力なんて無いのよ。普通なら『なんでこんな簡単な事が分からないんだ?』って不思議に思う、そういう心理状態になってしまう。それがいじめられる方の状態なの。そしてそれが当たり前なの。でも、いじめている方はそんな事は想像もつかない。母さんの同窓会の時の話もそうよ。いじめた方は、自分たちがいじめをやっていたなんて事実そのものを完ぺきに忘れてた。いえ、そもそも、自分たちが高校時代にその人にやっていた事がいじめだった、少なくとも相手はそう思っていた、それさえ全然自覚していなかった。あたしも職場でそういうケース何度も見てるから分かるわ」
「え!ちょ、ちょっと。母ちゃんの職場って言ったら大学だろ? 大学生の中でもいじめがあんの?」
「学生じゃなくて、先生や職員の間のいじめよ。四十、五十、六十のいい年こいたおっさん、おばさん、それどころかじいさん、ばあさんと言ってもいい人たちが、それも教授やら、ナントカ長とつくご立派な肩書つけた大の大人が、派閥争いやら何やらで、子供じみたいじめに夢中になっている。そんな話大学の中にだっていくらでもあるわ。まして民間の会社だったらもっとあるでしょうね。それがこの世の中ってもんなのよ!」