《DNG_LilySnowLive 配信スタート》
軽やかな電子音と共に、世界が切り替わる。
視界を覆っていたノイズが消え、光のフィルターがかかるようにして地下迷宮の映像が立ち上がる。
「皆さん、ごきげんよう! 本日も《第九都市防衛ダンジョン・層区07-B》から、マリア・スノウリリィが元気にお届けしま〜すっ☆」
軽やかな声が響く。
画面中央に立つのは、白銀の髪をツーサイドアップにまとめたピンクと黒のコスチュームの少女。
尖った耳と血のように紅い瞳を持つ、エルフ型異能者──そして今をときめく人気アイドルにして、ダンジョン配信者。
《マリアちゃんキター!》《やっぱり本物の“深淵の歌姫”は違う》《今日も首が飛ぶのか……(期待)》
コメント欄は開始直後から熱狂に包まれる。
同時視聴者数はすでに三十万を超え、ハートエモートが画面の四隅を染め上げる。
「今日は少し奥まで行くよ~。未公開区域に近いから、くれぐれも真似しないように! ……って言っても、あたしがやっちゃうんだけどね♪」
【注意:この配信は一部フィクションを含みます】
電子ボイスが流れた直後、空気がざらりと変わる。
《スキャン反応あり》《出るぞ》《来るぞ》《わくわく》
トン、と軽やかな足音がした。
次の瞬間、鉄骨の隙間から這い出す甲殻の影。
八本の脚を持つ異形の魔物、スコルピオス・マグナ。
硬化外殻と鋭い尾を揺らし、少女へと殺気を向ける。
「お客さん、到着ですねぇ♡」
そう言って笑った瞬間、マリアの手のひらに光の鞭が出現する。
柔らかい曲線が振動し、魔力の残滓を震わせる。
「──“首、飛べっ”!」
光の軌跡が走り、魔物の首がふっと宙に浮いた。
数秒遅れて、残された巨体が崩れ落ちる。
《きたああああ即死!!!》《流石深淵アイドル》《見てからクリティカルは無理ゲー》
配信は大盛り上がり。だが、マリアの瞳は笑っていなかった。
(この区域……空気の匂いが、違う)
センサーが拾わない微かな気配。機械に記録されない異質な“違和感”。
《今日のマリアちゃん、なんか鋭い》《ガチモード?》《顔がいつもより冷たい気がする……いい……》
彼女の目的は、ただのエンタメではなかった。
“この区域で起きた、あの事件の真相を知っている者が、もし見ていたら──釣れるかもしれない”
ファントム・ミラー暴走事件。
仲間だったアイドルたちが誰も帰ってこなかった、忌まわしい日。
唯一の生還者となったマリアにとって、ダンジョンはただの配信コンテンツではない。
そこは、祈りの墓であり、誓いの舞台だった。
(この空気……やっぱり、この層は、あの事件に繋がってる)
魔物の残骸を踏み越え、マリアはカメラへウィンクを送った。
「ねえ、みんな。ダンジョンって、どこか“記憶”の匂いがしない?」
《詩人ぶってて草》《また深いこと言い始めた》《こういうときのマリアちゃんが一番好き》
コメント欄は賑わっていた。だが、彼女はその中に、特定の反応を待っていた。
(事件の真相に関与する者なら、必ず反応する。たとえ匿名でも、目立ちたがり屋のアイツなら……)
そのときだった。
チャット欄の流れに、唐突な異物が混ざった。
【第三者ですが】:まだ生きてるのか
(来た)
マリアのまぶたが、一瞬だけ、ほんのわずかに伏せられる。
【第三者ですが】:“愛ちゃん”じゃなくてお前が死ねば良かったのにな
──愛ちゃん。
もう、呼ばれることのないはずの名前。
マリアの親友であり、あの事故で亡くなった“アイドル仲間”の名前を、冷笑と共に引き合いに出し、叩き棒として使う者。
それが、鈴木よしみだった。
何度もBANされては偽名で戻り、時に礼儀正しく、時に泣き言を混ぜながらも、隠しきれない悪意と共にマリアにつきまとう男。
今の名義は《第三者ですが》。
中立を装った名前だが、口調も文脈も偏っている──中身は、いつもと同じ、粘着ストーカーだった。
次の瞬間、チャット欄に奇妙な名前が表示される。
【鈴木よしみの名言bot】:推しを見守ることが人生の一部になった人って、少なくないよね
無害すぎて逆に怖い発言。
明らかにテンプレ的な、“火消し”と“誘導”を目的としたコメント。
だが、その背後にある意図を、マリアは察していた。
(事務所の監視アカウント……このID、また来た)
この《鈴木よしみの名言bot》は、本物の《鈴木よしみ》の攻撃直後に登場する。
一見すると、ファン向けの平和な発言を投稿するだけのbotアカウント──だが実態は、マリアの所属する芸能事務所が社内から鈴木よしみに対処する“監視用アカウント”だった。
数秒の沈黙の後、マリアはカメラに向かって笑顔を作った。
一見するといつもの“アイドルの顔”。
だが、視線は鋭く、まっすぐに《鈴木よしみの名言bot》の向こう側を見ていた。
「鈴木よしみさん、コメントありがと♪ あなたの人生の一部じゃなくて、人生の全てになるために……ダンジョンを進んでいくからね⭐︎」
まるで“名言bot”に返したように見せかけて──明確に、《第三者ですが》に向けた一撃だった。
数秒後、《第三者ですが》のアカウントは沈黙した。
投稿の連続は止まり、以降のチャットに現れることはなかった。
それは、明らかな“反応”だった。
自分が見られていることを理解した時、あの男は“フリーズ”する。
マリアの背後で、魔物の残骸がくすぶる音だけが静かに響く。
(釣れた。やっぱり、お前は見てた)
心の奥で、凍りついたような感情が静かに熱を帯びていく。
次こそ、真相に近づくために。
次こそ、“あの男”を引きずり出すために。
マリアはダンジョンの奥へと進む。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!