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「はい」
ノックの音に返事をする。
「神谷社長、会長がお越しです」
「……ああ、通して」
会長ねぇ。なんか嫌な予感しかしない。
案の定、ドアが開いた瞬間、テンション高めの声が飛んできた。
「拓実、ごきげんよう!」
俺の名前を呼びながら、シルクのスカーフを優雅になびかせて現れたのは――うちの祖母。
見た目はちょっと派手だけど、れっきとした我が社の会長だ。
「……また急だな。何の用、ばあちゃん」
「こらこら、会社では“会長”でしょ?」
「はいはい、会長ね。で? 俺けっこう忙しいんだけど」
ドアの前で立ち尽くす俺をよそに、祖母は勝手にソファーに腰を下ろし、ゆったりとくつろぎ始める。
「仕事の話じゃないの。ちょっと大事なお願い」
その時点でもう確信した。ろくな話じゃない。
ちなみにこの“会長”、いまだに役員の誰よりも情報早くて、たまに俺の予定すら把握してる。
とはいえ、社内でも顔を知ってるのはごく一部。
普段はほとんど表に出てこないから、「あのばあちゃんが会長です」なんて、誰も思ってないだろう。
「何? まさか、また犬か猫でも拾ってきたとか?」
「違うわよ。拓実、お金貸してちょうだい」
「……は? お金?」
唐突すぎて、思わず聞き返す。
「五千円でいいのよ。今すぐ」
「……なにそれ。冗談だよね? ばあちゃん、俺よりゼロ多い額、普通に持ってるだろ。何? 詐欺にでも遭ったの?」
少し疲れた声でそう返すと、ばあちゃんはしれっとした顔で答えた。
「違うったら。財布忘れたのよ。今日タクシー乗ってて、降りてから気づいてね」
――ああ、またか。
俺は思わずこめかみに手を当てた。
この人、昔から抜けてるところだけは一流。
過去には社員旅行の集合にパスポート忘れてきて、搭乗口で「気合でなんとかなるわ」って叫んでたっけな。
「……まじか」
「それで、運転手さんに“お金持ってくるから待ってて”って言ったんだけど、当然信用してもらえなくて」
「そりゃそうだろ」
ツッコミながらも、目の前の老婦人がタクシーの中で焦っている様子を想像してしまって、ちょっとだけ笑いそうになった。
「そしたらね、通りがかったスーツの男の子が代わりに払ってくれたの。助かったわぁ。優しい子だったのよ」
「……それはありがたいけどさ、その人にちゃんと御礼をしなきゃな」
腕を組んだまま目を細めると、ばあちゃん――いや、会長は頷いた。
「そうなのよ。お金返すからって言ったのに、“いりません”なんて言うのよ。でも、さすがにそのままってわけにはいかないでしょ?」
彼女の口調には、いつものイタズラっぽさとは違う、妙にしおらしい響きが混じっていた。
……それにしても。
まだこういう親切をしてくれる人間がいるんだな、と。
正直、ちょっと感心してしまった。
「ちなみにその子、下で待たせてるの」
「……は?」
眉間にしわを寄せながら時計を見る。
今言う? それ。ていうか、まず最初に言うべきだろ。
「ちょっと、早く言えよ……。お茶くらい出して待ってもらってんのか?」
「ノーサービス。会社のロビーのソファーに座ってるだけよ。ほら、なんか構えられても困るでしょ?」
「構えるよ。こっちは一応“会社”なんだから」
はぁ、とひとつ息を吐いて、立ち上がる。
こういうとこだよな、この会長の破壊力は。平然と爆弾落としていく。
「……で、どんな人?」
「うーん、会社員っぽいわね。スーツ着てたし、スーツケースも持ってた。でもね、なんか普通じゃなかったのよ」
「“普通じゃない”って……その言い方、いちばん怖いんだけど」
軽く額を押さえて、ため息ひとつ。
応接室、空いてるよな……と心の中で確認する。
予定外の来客に振り回されるのは日常茶飯事だけど。
こういうハプニング処理も、社長って肩書きのうちか。
「……とにかく、下に行く。場所はロビーで合ってるな?」
「ええ。ちゃんとそこで待っててくれてると思うわよ」
「まったく……」
ブツブツ言いながらも、足は自然とロビーへ向かっていた。
まずは、ばあちゃんが世話になったわけだし、ちゃんと礼を言うのが先だ。
「……スーツの男、って言ってたよな」
エレベーターの階数表示を見つめながら、小さく呟く。
普通じゃない、ってあの会長が言う時は、たいてい“変な直感”が働いた時だ。
彼女のそういう感覚は、良くも悪くも、当たる。
ロビーの自動扉が目の前に近づいてくる。
ガラス越しに見えたのは、片手でスマホをいじる、どこか見覚えのある姿。
そしてその輪郭が、俺の中の記憶とぴたりと重なる瞬間――
「え……?」
足が一歩、止まった。
信じられない。いや、想定していなかっただけのことかもしれない。
でもそこにいたのは、まぎれもなく、遥だった。
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