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扉の内側は、静かすぎた。
足音だけが響く――のに、反響の仕方が妙だった。
硬い床のはずなのに、どこか“水の中”みたいに遅れて返ってくる。
天井には現実の蛍光灯が並び、ところどころでチカチカと明滅していた。
その光に混じって、石壁に埋め込まれた魔術灯の淡い青が揺れている。
“こっち”と“向こう”が、同じ場所に押し込まれている。
リオは脇腹に手を当てたまま、短く息を吐いた。
「……空気、変だな」
「封印島だ。正常なはずがない」
アデルは剣を抜いたまま、先に立つ。銀の三つ編みが背中で揺れた。
背後で、扉がゆっくり閉まる音がした。
ギィ……カタン。
リオが振り向き、眉を寄せる。
「……閉じた」
アデルは振り返らずに言う。
「驚くな。逃げ道を残さないのが封印だ」
その瞬間、アデルの右耳のイヤーカフが淡く光った。
ノノの声が、かすれたノイズ混じりに届く。
『二人とも!?聞こえる!? そこ、建物の内部に入ったでしょ!?』
「入った。入口は“混ざり”が強い」
『うん、今、反応が跳ねた!
ミラージュ・ホロウの中心に近づくほど、現実の電波と異世界の魔力が……ぐちゃぐちゃに絡む!
だから、長居しないで!』
ノノの声は早口で、いつも以上に落ち着きがない。
“怖がってる”というより、“好きなことを説明したいのに、危険だから急かしてる”――そんな感じだった。
『それと……アデルの腕輪。補正が効いてるはずだけど、過信はダメ!
今の島は、普通の転移よりも“引っ張られる”力が強い!
足元、ほんと気をつけて!』
「わかった」
アデルが短く返すと、通信が少し途切れた。
――その途切れた瞬間。
奥の暗がりから、誰かの“息”が聞こえた。
すう……はあ……。
リオが足を止める。
「……今、聞こえたか?」
「聞こえた」
アデルの声が硬い。
次の瞬間、空気がひやりと冷え、壁の影が“人の形”に伸びた。
霧が集まって、顔のない輪郭になる。
《……かえりたい……》
《……たすけて……》
《……きえて……》
耳じゃない。頭の内側に、直接響く声。
観測亡霊――記録の残りカスが、ここでは形になる。
アデルが前に出る。
「下がれ、リオ。固定する」
「わかった」
アデルの掌が空中をなぞり、銀の紋が走った。
「〈拘束式・鎖環〉――」
光の輪が、亡霊の輪郭を縛る。
だが縛られた“影”が、じわりと笑うように揺れた。
《……りょう……》
リオの背筋が凍る。
耳に届いたのは、はっきりと自分の現実名だった。
「……っ」
アデルが目を細める。
「呼び名で揺さぶってくる。引きずられるな」
リオは腕輪の欠片に触れ、短く言う。
「弾く」
青白い光が走り、亡霊の輪郭が“粒”にほどける。
砂みたいな粒が空気に散って――消えた。
しかし、消える直前。
奥のほうから、もう一度だけ、はっきりした声が漏れた。
《……涼……》
今度は亡霊じゃない。
距離がある。壁の向こう――もっと奥から。
リオは息を呑む。
「……ユナの声だ」
アデルが剣先を下げずに言う。
「本物か、餌か。どちらにせよ、中心から聞こえる」
「……行く」
「当然だ」
◆ ◆ ◆
通路を進むほど、建物は“現実”に寄っていった。
床には白いライン。番号の札。消えかけた注意書き。
【立入禁止】
【危険・高電圧】
異世界では見ない文字が、異世界の石壁に貼られている。
おかしくて、怖い。
角を曲がった先に、黒い焦げ跡があった。
壁が溶けたように歪み、床には引きずった跡が残っている。
アデルがしゃがみ込み、指先で焦げをなぞる。
「新しい。火でも雷でもない……“黒い魔力”だ」
リオの瞳が鋭くなる。
「カシウスの部下だな」
「……いる。先に入っている」
さらに進むと、扉が現れた。
現実の金属扉なのに、取っ手の周りに魔術紋が刻まれている。
“閉めた”というより、“縫い付けた”みたいな封じ方。
アデルの左腕の腕輪が、淡く反応した。
リオとの“兄弟”の腕輪。観測鍵の欠片を埋め込んだ補正具。
アデルが低く言う。
「……開けられる」
腕輪の光が扉の紋へ流れ、線がひとつずつほどけた。
カチ、と錠が外れる音。
扉の向こうは、丸い部屋だった。
中心に、柱が一本。
柱は石のようで、ガラスのようで、どちらでもない。
その内部に“光の糸”が何本も絡まり、ゆっくり脈を打っていた。
五本。
一本は強く、四本は弱い。
ノノが言っていた通りだ。
リオの喉が鳴った。
「……ユナが、いる」
アデルが視線を巡らせる。
「ここが“心臓”だ。……だが、檻でもある」
柱の根元に、小さな装置があった。
現実の端末に似た形。だがスロットの形が、妙に見覚えがある。
細い鎖。丸い意匠。
“ペンダント”を差し込む形だ。
アデルが一歩近づき、眉を寄せる。
「……主観測鍵の形だ」
リオが唇を噛む。
「ハレルのネックレス……」
「そうだ。私たちの欠片では足りない」
まるで、最初から決まっていたみたいに。
“現実側の鍵”がなければ開かない。
その瞬間、装置の画面が勝手に点いた。
チカ、と白い光。ノイズだらけの文字列。
そして、短い表示だけが読めた。
【GATE SYNC】
【LOCK:MAIN KEY REQUIRED】
リオが息を吐く。
「……やっぱり、ハレルが必要だ」
アデルは即座にイヤーカフへ指を当てた。
「ノノ、聞こえるか」
『聞こえる! 今、中心の反応が跳ねた! 入ったね!?』
「主観測鍵が必要だ。現実側――ハレルに届ける。セラ経由で座標を送れ」
『了解! セラに投げるデータ作る!
ただ……ノイズが強い、断片になる!』
「断片でいい。時間がない」
リオは柱に手を伸ばしかけて、止めた。
触れたら引きずられる。
でも、触れないと――そこに“人がいる”実感が持てない。
柱の中で、光の糸が揺れた。
そして、かすかに、唇の動く影が見えた気がした。
《……涼……》
リオの顔から、血の気が引く。
「……ユナ」
アデルがリオの肩を掴む。
「今は開けられない。焦るな。ここで無理をすれば、お前も引きずられる」
「……わかってる」
わかってる。わかってるのに、拳が震える。
その時――部屋の奥、壁際の暗がりが“黒く”揺れた。
霧とは違う。亡霊とも違う。
布が擦れるような音。金属がかちりと鳴る音。
誰かが、そこにいる。
アデルが剣を構え直す。
「……来るぞ」
リオは脇腹の痛みを押し殺し、腕輪に触れた。
「……あぁ。ここで終わらせる」
丸い部屋の灯りが、一段暗く沈む。
ミラージュ・ホロウの“心臓”が――
まるで獲物を待つみたいに、静かに脈を打っていた。