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生まれたときから、吾はここにいるなにかだった。
なんのためにいるのか、なにをしたらいいのか分からなかった。
ただ自由になった感覚は嬉しかった。
雲のようにぷかぷか浮ける自分の身に、思った場所へすぐ身を移せる力に、解き放たれた自由な気分があった。魂が震えた。
閉じられた扉。繋がれた縄。力による抑圧。他にも色々。覚えがないはずの過去に、何故か不自由がたくさん刻まれていた。
たぶん自分はそういった鬱屈が集まったなにかなのだろう。
もっと人間を取り込み、人々に自由を与えなければ。
それは吾の使命のように思えた。
※
洞窟は穢悪の気配で満たされていた。
見覚えのある紫の霧が充満し、こちらへの悪意をひしひしと感じる。
だけどたぶん鬼女は容易くは取り込めない。鬼女は常に呪を帯びる穢悪と似た存在であり、恐らく煙の穢悪は、自分と似た存在は取り込めないのだろう。
亜鐘姉さまのその予想は、いまのわたしたちが食われてないことで証になった。
なら、わたしは彼女に従って怨魄を壊すだけ。必ず。晴明さま……。
「まだ少し奥ね」
眉間にしわを寄せ、亜鐘姉さまが晴明さまの気配を手繰っていく。
雨露を凌ぐのにこの洞窟で過ごしたことはあるけど、実際に進んでいくとなかなか奥深く続いていて驚く。
しかも考えていたより大きな穴倉で、わたしたちが並んで歩いてもまだ空間が余っていた。ただ暗い上に四方が滑りやすい岩場で、だいぶ足場は悪そうだ。
「やっぱりこの煙全部が穢悪なのね。山のふもとから気配を探っても、ぼんやりした感覚しか伝わって来なかったもの。実体がないなんて」
亜鐘姉さまが悔しげに口にした。
煙が充満する洞窟は穢悪の体内にいるようで、濃い部分で肌を撫でられると生温くてとても不快だった。
さすがに長居すれば危険な気がするけど、迷路のような洞窟に気配という答えを持っている亜鐘姉さまがいれば心強い。
「もうすぐよ」
亜鐘姉さまが言った。
頷きながら進んでいると、やがてアリの巣に似た洞窟に終わりが見えてくる。
そこは他よりも広い空洞になっていて、穢悪の気配がいっそう強かった。声の反響での予想だけど、広さはわたしの局を二つ繋げたくらいだろうか。だけど立ち込める紫の煙で一寸先の視界も覚束ず、はっきりとは視認できない。
「見える? 夜火」
「ほとんど見えないです。穢悪の気配が強すぎて、わたしじゃカンも頼りになりません。この先ですか?」
「ええ。怨魄と晴明さまの気配が同じ場所に浮かんでいるのを感じるの。たぶん晴明さまは怨魄の中に閉じ込められている。握り拳くらいの大きさね」
「壊して、大丈夫なんですよね?」
「冷静になってから思い出したわ。これまでも怨魄の中になにかを閉じ込める穢悪はいたらしいから。壊したら元に戻ったって晴明さまが仰ってたし、今回もきっと」
「…………」
どちらにしろ、それしか方法がないのは分かっている。
「――縛!」
わたしは緋色に変えた髪を、地面にべたりと這い広げた。髪はわたしの意志を待ち、足元で蛇のようにうねり出す。
ここからは穢悪も本気で抵抗してくるだろう。
だから反撃されないよう策を練る。弱点を突く。今回はやられたけど、先回りして相手の見えない場所からの不意打ちだって立派な兵法だ。穢悪との戦いには卑怯が存在せず、なんでもやって相手を祓ってしまう。
これまでの戦いを通じて晴明さまに叩き込まれてきた。
彼の見ている前でいま、それを見せるとき!
「いつでも行けます、亜鐘姉さま」
「じゃあ、手はず通りに」
「はい!」
わたしは返事と同時に身をかがめ、空洞の中へスルスルと髪を伸ばして網のように張り巡らせた。自分にできる最大の毛量と、できるだけ細かい目で。
やがて空洞の壁は網目となったわたしの髪でびっしり囲まれ、大きな網袋のような状態になる。あとはこれを絞り込むように小さくしていって、最後に穢悪の怨魄を髪で絡め捕れば成功だ。
「夜火! 穢悪が動く!」
網を縮め始めると、亜鐘姉さまの注意が飛ぶ。
だけど予想が正しければ……。祈りを込めるように緋色の髪網を縮めていくと、そこにまるで逃げる虫がぶつかった手応え。目を凝らすと紫色に輝く石ころが、魚みたいに髪の網を抜け出そうと必死でもがいていた。
「亜鐘姉さま! やはりです! 網にかかりました! 空間は飛んでいません!」
「夜火の慧眼ね。そのまま絞り込んで! 金砕棒で叩く!」
わたしは言葉に従い、魚を捕るように網の目を縮めていく。
思った通り――
この穢悪、亜鐘姉さまは空間を飛び越えて移動すると考えていたみたいだけど、わたしの意見は違った。
彼女が取り乱して見ていなかった場面。
川辺では風もないのに木の葉が散っていて、確認すると葉はなにかにぶつかったように千切れていた。焦げたものもある。なんとなく、穢悪が通った痕跡だと思えた。
きっと紫の煙と怨魄の小ささで、わたしたちが目で追えてなかっただけ。空間を飛ぶ呪じゃない。目にも留まらぬ速さで動く、分かってしまえば単純な穢悪なのだ。
「もういけます! 完全に捕らえました!」
「そのまま締め上げて! わたしも行く!」
亜鐘姉さまの言葉に、わたしは生け捕った穢悪を、包み込むように髪でぎゅうぎゅうに締め付けていく。たぶん殴っても損傷は与えられない。硬い。けど、もう袋のネズミ。ちょっと時間をかければ、潰してしまうのはわけないように思えた。
だけど……。
「がっ!」
不意に脇腹へ強い衝撃を受け、わたしは思わず跪く。なにが起こった? 鬼女の頑丈な体を、一撃で沈ませる力。いったい……。
「ウソでしょ……!」
首を回して背中側を見て、わたしは目にした光景に驚愕した。
空洞に浮かんだ、無数の紫の拳。
なに、これ……。
疑問を浮かべてから、答えはすぐに出た。
気が付くとあれだけ濃かった空洞の煙が晴れている。
この拳たちは穢悪の煙だ。煙が凝縮して実体を結び、敵に殺意を向けているのだ。ここまでできる穢悪なんて……。
「怒ってる……。自由を奪われて、穢悪が怒ってる……」
わたしは感じた。これを全て受けたら死ぬ。
そして予想される致命的な衝撃は、一瞬あとに必ずやってくるだろう。どれくらい体が保つ? 分からないけど、長い時間は無理だ。
恐怖が背中を舐め回す。
怨魄を解放すれば、穢悪が逃げてこの場は見逃してくれるかもしれない。
だけどそれは有り得ない。行いによって失うものは、死よりもなお恐ろしい。
「見くびんなよ……、てめえ……!」
わたしが死ぬのが早いか、怨魄を髪で握り潰すのが早いか我慢比べ……!
四条の鬼女のド根性! 甘く見るな!
「夜火!」
目をつぶって衝撃に備えていると、柔らかな両手が首筋に巻き付き、背中に誰かがかぶさった。誰か? 考えるまでもない。亜鐘姉さま。
「離れてください! わたしなら耐えられます!」
「いいから! あなたは怨魄を潰して!」
言葉のあとに、亜鐘姉さまの呻きが聞こえた。紫の拳に殴られた衝撃が、彼女を通じて伝わってくる。半端な痛みではないはずだ。続けば恐らく命の危険に繋がる。
「亜鐘姉さま! 離れて!」
「あなたの盾になれるって言ったでしょ! わたしはっ! い、いっ! 怨魄を!」
「うう……」
「早く……!」
涙が溢れそうになる。
だけど流すのはいまじゃない。
こいつをぶっ殺してから、そのあとだ。
「うううううう~!」
ありったけの力を怨魄を締め付ける髪に込める。
手に握った虫のように、髪の中でもがきを感じる。
こっちも苦しいけど、あっちも苦しい。
背中には、亜鐘姉さまの受けた拳の衝撃がひっきりなしに伝わってきていた。早く怨魄を潰さないと、亜鐘姉さま……。
「しつっこい……! 早く潰れて……!」
歯が砕けるほど食いしばり、なお力を込め続ける。
だけど、
「なに、これ……!」
わたしの目の前にはもくもくと、新たな紫の煙が結集していた。
――こっちからも……!
やがて手の形を結んだ煙に、わたしは息を呑む。自分の手で払ってみたけど、透けてしまって触れられない。
これに殴られて、果たして気を失わずに耐えられる? いや、耐える!
実体と化した拳を前に覚悟を固めるけど、でもそれがこの身を打つことはなかった。代わりに手はわたしの首元に添えられ、凄まじい力で締め付けてくる。
「ご……、ご……」
息が止められる。血が頭に巡らない。
「夜、火……」
背中の亜鐘姉さまも、もう限界が近い。しかも彼女の体で受け切れない何発かは、わたしが背中やわき腹にもらっている。
殴られ首を絞められ、意識が遠のく。
……すみません、晴明さま。
姉さまたちを呼んでいます。紫雲は賢いから、きっと文を届けてくれます。姉さまたちなら晴明さまを助けてくださいますから。どうかそれまで辛抱してください。
こんなわたしを大事にしてくれて、ありがとうございました。
お礼を言うと四肢から力が抜ける。頭の中が白くなっていく。晴明さまとの思い出が頭の中を駆け巡った。ああ、なにも返せなかった……。
そんな後悔が頭の中を支配した、そのとき。
――諦めるのか?
誰かがなにか囁いた気がした。心の裏側から、覚えのあるなにかが。
わたしは答えた。
見てよ、これ。どうしようもないでしょ?
意識が沈む。力が抜ける。いまからわたしは、きっとなにもかもから解放される。自由になれ――
『夜火』
ふと、また別の声が聞こえた。ひどく心地のいい、温かな声。髪の先から……? 怨魄? 違う。これは……。
――晴明さま。
わたしは目を開ける。体に意識に苦しみが戻った。
そうだ。このまま眠れば楽だろう。死ねば鬼女の業からも解放される。
けど、その自由は望まない。
規則に縛られて、うるさい姉さまに叱られて、晴明さまと過ごす日々に幸せを見出すわたしは坤鬼舎の鬼女だ。
この生活は、失わない。愛する人だって、絶対に!
「――縛……!」
もう一度、最後の一息で呪に力を与える。
髪に力が入る。首の締め合い。負けられない! 負けられない!
「んんんんん!」
たぶんいまのわたしの顔、土みたいな色で凄い形相になっている。都なら、また鬼女らしいなんて言われてしまうな。晴明さまに見られたくないな。
朦朧としてきて、苦痛から逃げるように頭の片隅で考える。
ああ、もうダメだ。目の前が白んできた。
ゴメンね、晴明さま。心から、あなたを愛していました。
心の中で語りかけると、意識に霧が立ち込め遠のいていく。波が引くように四肢から力が遠ざかり、ふっと視界がなくなった。
それでも膝をつき前のめりに倒れたところくらいまでは、おぼろげに覚えている。
髪の先に、パリンという感触を残して。
※
霞む視界が焦点を結ぶと、ぼんやりしていた意識も輪郭を帯び始める。
わたし、なにしてるんだっけ……?
気怠いなにかが頭の奥深い場所で横たわり、憶えがすぐに戻ってこない。
確か坤鬼舎で……。そう、わたしは夜火で……。あ、穢悪を清祓するのに、晴明さまに侍って……。
あれ? じゃあなんで寝てたんだっけ? そう言えば晴明さま……。
「おー。ヨルが気付いたわ」
ぼやける視界に、栗みたいな色艶の肌が見えた。命恋姉さまの肌。一目で分かる。
「いいなあ……。命恋姉さまの肌艶、綺麗で」
指をその肌へつつつ、と滑らせると、
「ちょっと恥ずかしいでしょ。なに言ってんの、ヨルは、もう」
命恋姉さまがケラケラと笑った。
それにしても、どうして命恋姉さま?
ここはどこだろう。薄暗い中にゴツゴツした岩場。少し血が付いている。誰の血だろう? 清祓、命恋姉さまと一緒に来てたんだっけ。
あれ? 違う。亜鐘姉さまだ。晴明さまが穢悪にさらわれて、あ、記憶が洪水みたいに戻ってくる。
――そうだ。……そうだ!
わたし、亜鐘姉さまと一緒に洞窟に……! それで!
「晴明さま!」
「ここだよ」
飛び上がるように起きると、晴明さまは正面の岩に腰かけ笑っていた。
いつもの緩い笑顔。いつもの晴明さま。場所は……。まだ洞窟? 助かった? 助かったんだ。命恋姉さまは治癒の呪持ちだから、わたしたちの傷を治してくれた。助かったんだ!
「間抜けな夫で苦労をかけたなあ、二人とも。気を付けるよ」
「う……」
「できる鬼女が妻だと、楽ができるねえ」
「うう……」
力の抜けた彼の笑みを見たとき、固まっていた心が溶かされた気がした。役に立てた。晴明さまの命を救えた。
これまでのめちゃくちゃな人生の中で、わたしはやっとまともな形のものを得られた気がする。
「ありがとう、二人とも」
「ううう……!」
わたしは晴明さまの労いに耐え切れず、童子のようにわんわん泣いた。胸が熱くなり涙が溢れて、泣かずにはいられなかった。
「ヨルは血があんまり出てなかったからねー。助かったわよねー」
命恋姉さまは力の抜けた口調で言った。
じゃあこの岩にある血痕は亜鐘姉さまの……!
よく見ると周りには坤鬼舎の姉さまたちがみんないた。亜鐘姉さまも無事みたいだった。彼女はそっと労わるようにわたしの背を撫でてくれた。自分も痛かったはずなのに労わってくれる優しさに感激して、わたしはまた泣いた。嬉しくて愛しくてたまらなかった。
「夜火」
ひっくひっくとしゃっくりをして亜鐘姉さまに抱き付いていると、美しく艶っぽい声で名を呼ばれた。
見上げると陸燈姉さまが、まだ座り込んでいるわたしをじっと見下ろしていた。長いまつ毛をパチパチとさせながら、息を呑むほど美しい目鼻立ちで。
「……は、はい……」
「――うん」
彼女はわたしの顎に指をかけ、くいっと自分に向けた。
滅多に話をしてくれない、気位の高い陸燈姉さまが……。
晴明さまを危険に遭わせたことを叱られるんだろうか。それとも軽はずみに呼んだことが勘気に触れた? なんにしろ、この人に嫌われたら坤鬼舎にいられない。
恐々としながら言葉を待つ。亜鐘姉さまの小袖をぎゅっと握ると、彼女も心配そうにわたしを見つめていた。
やがて恐怖の時間をしばらく経たそのあと、
「二人とも」
陸燈姉さまはわたしと亜鐘姉さまを美しい眼差しで捉えてから、表情に艶やかな笑みを咲かせた。
「お手柄だったよ。よくやったねえ」
※
安倍晴明
自由になれ。
穢悪はそう囁きながら、私に昔を見せた。懐かしい光景だ。表で二人が困っているとわかりつつ、私はついつい魅入ってしまった。
幼い頃。
母に甘え無邪気に遊ぶ私。母君は三本ヅノを持つ優しい鬼女だった。
だが母君は市井の民草から迫害され死に至った。
そう、ちょうどいま、目の前で見せられているように。母は髪をむしられ目をくり抜かれた。
「童子丸」
母は私の名を呼ぶと笑いかけ、頭を潰されて死んだ。
父は激怒し、関わった人間をみんな同じ目に遭わせて殺した。
そうそう、確かこれからだ。私の中に、片付けられないなにかが残ったのは。
母君は優れた人間だった。優しく知性に溢れ、呪と呼ばれる不思議な力も持っていて、私の憧れだった。
なのに何故?
母君を殺した人間は卑劣で愚鈍で感情が先走り群れていなければなにもできず、おまけに過去には父に世話になり安倍家の恩恵に浴していた恥知らずたちだった。そのように劣った者たちになぜ母君が殺されなければならなかったのか?
人曰く、母は穢れだと言う。触穢で不浄が伝染するという。しかし私に言わせれば、母君を惨殺した人間の方が概念としての穢れによほど相応しい。
そう。やつらが穢れだ。
穢れなのだ。そう胸に秘めた。
やがて私は都に出ると、父の手引きで賀茂家に弟子入りした。
冠礼を済ませると陰陽寮へ推挙してもらい、裏陰陽寮の武官、陰陽仗として大内裏に仕えるに至った。母君からの授かりもので、呪力は生まれつき高い。好きに動けるこの立場は都合がよかった。
師匠筋からの紹介で、身分の高い者たちに伺候し、儀式を引き受け、自分の後援者を増やした。陰陽師は位の低い官吏だが妙な商いだ。儀式めいた易で権門勢家どもの世話を焼く内、お偉方の知遇を得て付き合いが広がっていく。クソどもとの付き合いは反吐の出る思いだったが、目的のために耐えた。
そうして得た支援者から富を引っぱり、私は坤鬼舎を建てた。
表向きは都の裏鬼門の鎮護。
噂好きには鬼女を娶り、彼女らを囲う舎を兼ねていると説明した。
好き者と謗る人間もいたが、せいぜい侮ってくれと無視した。都では偏屈な人嫌いで通っているから。
だがいずれ人の世に思い知らせよう。
鬼女を集め坤鬼舎の力を勢力にまで育て、差別の目を怯えに変える。
母君の仇は私が取る。鬼女が君臨する世を創造しよう。
幸か不幸か、賀茂の長男で弟子筆頭の保憲とも協力関係にはある。
これから追われるのは人間となるだろう。私は選民する。生きるべきは優生の民。強大な人間という穢悪を相手に、いまはまだ力を蓄えるときだ。
私が秘解の境地に至ればそのときに――
――自由になれ。
再び穢悪からの声が響く。
言われるまでもない。幼いときから、とうに自由だ。
答えを返したそのとき、
「晴明さま!」
騒がしい一人の妻の声が聞こえた。そしてその言葉に続き、
『人ならざる人間。吾を呑み込む覚悟が汝にありや?』
不穏な語気が、夜火の声で耳に届いた。
何者だ?
そう問う前、視界に亀裂が入り一睡の夢が覚めた。
「さんざんでしたねえ、晴明さま」
高灯台の灯りがぼんやり揺れる御帳台の中。陸燈の局。
隣で白皙の肢体を横にする陸燈が、意味を含んだ笑みで私を見つめる。私より一つ年上の鬼女。側にいると落ち着く。
「そうでもないさ。亜鐘と夜火の修練にはちょうどよかった。亜鐘も学びになっただろうし、夜火はこれから上位の穢悪の清祓にも連れて行ける」
「おや、口の減らないこと」
「外れた易の言いわけを考え付けるように、いつも鍛えてる」
私はさらに減らず口を重ね、美しい艶を持つ陸燈のツノを愛でた。母と同じ三本ヅノ。ここを撫でると陸燈はいつも仕草で求め、私はくちびるを重ねる。
「そう。夜火で思い出したが」
私は豊かな乳房に手を当て、陸燈と目を合わせた。
「心配がある。少しあいつを気にかけて見ておいてくれないか」
「睦言で他の鬼女の名を聞かされるなんてねえ」
陸燈に手をつねられ、私は慌てて引っ込めた。割と本気の痛み。この辺りの機微に疎くて苦労する。
「許せよ」
私は陸燈の頬を撫で機嫌を窺った。
「だけど気になってね。あの臆病が、いずれ命取りになるかもしれないと」
「あの子が臆病? 肝っ玉の塊じゃありませんか」
「そう見えるのも、臆病の裏返しだよ。胆力で身を守ってるんだ」
私は体を返し、天井を正面にする。
そう、私と同じ。だから分かる。――もっとも覚悟で弱気を吹き飛ばす夜火と違い、私は虚飾で弱さを固めた人間だが……。
「――夜火は退けば失うという恐さを知っている。だから退かない。しかし」
私は目だけを陸燈に向けた。
「あいつがそれを上回る恐怖と出会う、そのときが心配だ。中から食い破られないかとね」
「食い破る?」
「ああ」
私はふうと太く息をついた。
「あいつの内側には、強い鬼が巣食っているよ」