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三章
――洞窟での戦いのあと。
闇夜に雨が針のように降り続けていた。
自分の局で横になっているわたしは、ぼんやりと表のその様子を見つめている。
傷は命恋姉さまが治してくださったけど、でも鬼女の原動力、呪の力はわたしの体に欠片も残っていなかった。歩くのもふらつく始末で、わたしは自分の局でしばらく安静を命じられたのである。
手習いも休めて助かったと思っていたけど、じっとしているのも落ち着かない。しかも昼間にぐうぐう寝ていたので、姉さまたちが寝静まってからが暇なのだ。
あーあ。
「晴明さま……」
来てくれないかな。でもこの雨じゃ無理かな。
「晴明じゃなくて悪いが」
聞き覚えのある声がどこからか。
侵入された? わたしは慌てて飛び起き――
られない? 体が固まっている。穢悪の攻撃ならまずい。なんとか姉さまたちに知らせないと……!
「おいおい。俺だよ。忘れたか?」
同じ声。寝たまま目だけを横に向ける。
「あ、保憲さま……!」
間の抜けた声が出た。同時に体に自由が戻ってくる。
「すまんな。そっと入るしか能がないんだ。ただ騒がれるのも面倒なんでな」
「――いえ、こちらも大騒ぎするしか能がなくて……。いつからそこへ?」
「さあ。お前が気付いたときからだ」
部屋の隅で人影が動く。わたしは手元にあった扇で顔を隠して畏まった。叫ぶのは思いとどまったけど、でも警戒は緩めない。
「……えっと、なにか御用でしょうか。舎への用向きは、まずモリを通してもらうことになっているのですが」
「それがモリを通せない用でな」
「そんな用をわたしに?」
「ああ。夜這いに来た」
「よば……!」
驚きが背を伸ばす。瞬時にうしろへ逃げようと体に力を込めると、その瞬間にまた体が固まった。これ、この人の力……?
「ああ、そいつは俺の鬼女の力だ。影を縛れる。朔、話だけできるようにしておけ」
保憲さまは目を落とした。視線を辿ると、なるほど、暗闇から鬼女の頭だけが覗いている。この力でここまで侵入を……!
「保憲さま、冗談で済ますのはここまでです。大きな声を出しますよ。それにこのことは全部、晴明さまに言いつけます」
「まあそういきり立つな。少し話がしたいだけだ。穏やかにな」
保憲さまはこちらに迫ると手を伸ばし、わたしのあごを掴み上げた。なにもできない。されるがまで、寝起きで乱れた着衣が、保憲さまのごつごつとした手が、わたしの羞恥をかき立てていく。体を緊張させていく。
――ダメだ。
無礼はもう承知。これ以上は――
「やっぱり、いいツラ構えだ」
そう言って、保憲さまは楽しげにその手を引っ込めた。とたんに体は自由になり、わたしは大きくうしろへ跳び退く。
「ま、今日はここに別の用もあったんでな。お前の見舞いはついでだ」
「さっきは夜這いって」
「言ってないな。期待しててそう聞こえたんだろ」
「う、嘘です!」
目に角を立てると、それでも彼は笑う。どういう心境なんだろう。
「さて、あまり長居して見つかってもつまんねえからな」
あぐらをかく保憲さま。じっとわたしを正視する。
「単刀直入に言うぜ。坤鬼舎を出て俺んとこへ来い」
「え、いやです。どうしてですか?」
「お前が気に入ったからだよ」
「またお戯れですね」
「いいや」
保憲さまは顔から笑みを消すと、ずぶずぶと床へと沈んでいく。側には朔と呼ばれた鬼女がいて、恐らくはその力で。
「今日はこのまま帰るが、俺は本気だ。また会うときまで考えておけ。ここよりも良い暮らし向きは約束する。下女もつけよう。それに――」
顔だけを最後に覗かせ、保憲さまは再び笑みを浮かべた。
「スケと呼んでたんだろ? ウチに来ればあの鬼女の居所も教えてやる」
「――え、ちょっと!」
大慌てで飛びついたけど、もう遅い、とぷんと水に浸かるような音を残して、保憲さまは局の中から消えていった。
「スケの居所……」
わたしは目をぱちぱちとして、独りごちた。
都に残した唯一の気がかり。わたしの友達……。
※
翌日。晴明さまに全てを報告したあと。
わたしは坤鬼舎と対屋を繋ぐ軒廊に立ち、庇から落ちる雨だれを眺めていた。泥が跳ねた柱を拭いていたんだけど、
「紫陽花が咲いてる……」
雨だれの向こう側であえかに咲く紫を見付けた。
これを見ると思い出す。昔、まだ子供だった頃かな。スケがわたしの頭に飾ってくれたことあったっけ。
照れ臭くってやめろって言ってしまったけど、あれは嬉しかったよ。どうしてるのかな、スケ……。
「雨の中で悩むお前は絵になるね、夜火」
真剣に考えていたら、背中に晴明さまの声。いらっしゃるとは思わず、わたしの肩は驚きに跳ね上がる。
「うん。たまげる夜火の仕草もいいな」
「晴明さまは、わたしをからかってばっかり」
文句を言いながら、急いで乱れた髪を手櫛で整える。
いらっしゃるなら千早でも羽織って、少しはちゃんとした格好で晴明さまの目に映れるのに。たすき掛けで柱磨きの途中なんて、ちょっと嫌だな。
「しかしよく降る雨だねえ。明日も雨かな」
「陰陽では占えませんか?」
「草履でも飛ばして、裏表で占おうか」
晴明さまは笑うと、わたしの隣に立って一緒に雨だれを眺めた。
雨は激しく水浸しの地面を叩き、白い飛沫が足元に躍り上がる。よく考えたらこんなときに柱を磨いてもムダだ。自分の浅慮をまた思い知る。
わたしたちは雨音で閉ざされた軒廊で、しばらく無言だった。
隣り合って一緒のものを見つめるこの時間、わたしは陽だまりで昼寝をするときのような、格別な満足に満たされていた。ここに来てよかったと、改めて晴明さまと姉さまたちに感謝した。
「いいね」
噛み締めていると、晴明さまが呟く。目を向けると不意に視線が絡み合い、わたしの顔は瞬時に熱くなった。
「……なにが、よろしいのでしょう?」
「雨と紫陽花とお前だよ。三つ並ぶと美しい風景だ。歌など大した興味もなかった無粋者だけどね、詠みたくなる気持ちも分かるなあ」
「恥ずかしいです……」
視線を逸らすと、晴明さまはふふっと笑って視線を前に戻した。
晴明さまの側にいると、わたしはよくいつもの自分でいられなくなる。過ぎた反応をしたり、過ぎた幸せに包まれたり。そんな日常が愛おしいけど。
ただ幸せであればそれだけ、重く心に残る影もチラつく。スケはいま、なにをしているだろうか。あいつにも居場所があると、いいな。
「人はこの時期を嫌うけどね、夜火」
視線を下げると、晴明さまが名を呼んでくれた。
「私は好きだよ。いつまでも見ていたい」
「雨が続くのに?」
「ああ。さっき好きになった。お前が美しくてな」
「……もう赤くなりませんよ。お戯れもほどほどになさってください」
「そいつは残念だ」
晴明さまはハハハと声を上げた。
わたしはというと鼓動が早鐘を打って胸が締め付けられる思いがしていたけど、悔しいからそれらを必死に隠していた。
だって、仕方がないのだ。
卑しいツノを持つわたしに居場所を与え、真っ当な道へと導いてくれた晴明さま。それを笠にも着せず、お役目の一部とは言え穢れとされる鬼女を側室として扱い、大切に接してくださるのだから。
「――で、よかったのか?」
晴明さまは遠くの景色に目を置きながら言った。
わたしは晴明さまを見て、小首を傾げる。
「なにがですか?」
「兄者の申し出だ。……もし、もしも向こうに惹かれてしまったのなら、遠慮は要らない。最初の約束通り、夜火の心のままにしていいんだよ」
「――晴明さまは行って欲しいんですか? 正直に仰って欲しいです」
手を固く握る。晴明さまと二人でのぼせ上がっていた頭に、重い重い石が置かれたようだった。
「そんなわけが――」
「じゃあっ!」
勢いを抑えられず言葉をかぶせた。伝わらないやるせなさが、遠くに見えてしまう清明さまが、わたしの目に険をつくる。どうして、なんで……。
「晴明さまには、そんなこと言わないで欲しかったです! 確かにスケのことは気になりますけど、居所を教えるってことは生きてるって意味だし、だったらわたしが探すし……! それにわたしなんかつまんない鬼女かもしれませんけど、これでも晴明さまだけを……、だけを……」
「だけを?」
「……だけを……、……お慕いしているから……」
消え入りそうな最後の言葉は届かなかったかもしれないけど、晴明さまは腕をわたしの背に回し、少し力を込めてくれた。
「くだらないことを聞いたね。すまない」
晴明さまの謝罪。わたしはその胸の中で、目を拭って首を横に振る。
「弱いな、私は」
「いいえ。坤鬼舎のみんなを導いてくださって……。こんなに強い人を、わたしは見たことがないです」
「そう振る舞っているだけだよ。みんなに安心して欲しいし、まあ、いい顔をしたいんだろうね。本当はいつも弱気の虫に苛まれている」
「……いい顔しなくても、みんな晴明さまが大好きですよ」
「だといいが。恐いね」
晴明さまは寂しそうに笑う。
「夜火の答えを聞いて嬉しかった。それに――」
それに? と、わたしが目で問い返すと、晴明さまは頬を指でかいた。
「――はじめて、自分の弱さを吐露してしまった。受け止めてくれて感謝するよ。お前の素直さを前にすると、飾らない自分でいられるのかもしれない」
「お役に立てたなら、よかったです」
へへへと笑って頭をかくと、晴明さまは筋張った手で、わたしの髪を撫でてくれた。心地よくて、気持ちが溶けていきそうに思えた。
これも、もしかすると晴明さまにとっては怒った飼い犬をあやしたようなものかもしれない。だけど――
誰しもと同じように悩む彼に、少し近付けた気もする。
ああ。いつか、いつか、想いが叶うだろうか。
犬っころみたいな鬼女の分際で、過ぎた夢だ。
だけど想うくらいは、どうか許して欲しい。晴明さまといると、どうしても。
温かな腕の中で、叩き付ける雨音を聞きながら思う。
「ただそれにしても、今年の梅雨はちょっと、長過ぎる気がするねえ」
晴明さまは口調を少し真剣なものに変え、雨脚を測るように庇の外に手を伸べた。
「また易に呼ばれるかな。面倒臭いねえ」
※
ぽた。
と、顔になにかが垂れて、ぼんやりした意識が輪郭を帯びた。
目を開けても周りは真っ暗。局の外から聞こえる雨はさらに激しさを増していき、ずっと風吹き付ける雑木林のようなどよめきを響かせていた。
ああ、目が覚めたんだ。
と、ようやく気が付く。相変わらずひどい自分の寝相に辟易しつつ、わたしは顔にかかったなにかを指で拭った。
――水?
不思議に思って天井に目を凝らすと、真正面に水の滲む新たな染みが生まれていた。前に修繕したばかりなのに、また雨漏りだ。
晴明さまと紫陽花を眺めてから数日。
陰鬱な雨は止む気配もなく、ずっと坤鬼舎の屋根を叩き続けている。どうせ明日も雨だろうし、それならその中で屋根の修繕か。
あーあ。わたしは梅雨が嫌いですよ、晴明さま。
ちぇっと舌を鳴らしてから、寝床をずらしてまた横になる。
今度こそは朝まで起きないと心に誓ったのだけど……。
いきなり!
「うわああああっ!」
爆音が鳴り響いて、飛び起きてしまうほどの衝撃が建物を揺らす。地面が突き上がり、ズドーンときてドドド! って、なんか凄いやつ!
わたしは衾から飛び出し、わけも分からないまま髪に力を込める。
穢悪の来襲に備えたのだけど、
「土砂崩れです~!」
と、亜鐘姉さまの悲鳴。
穢悪じゃなくてほっと髪から力を抜くけど、それも束の間。土砂崩れだって一大事じゃないかとすぐに思い当たって、わたしは亜鐘の局へと着の身着のままで走っていった。
亜鐘の局は内廊を隔ててわたしの局の前。
本来であればわたしの方が下座でそちらの局を使うのだけど、山を背景にするこちらの方が庭をこしらえやすいという亜鐘姉さまの希望で、順序が入れ替わっているのだ。ただ晴明さまのお勤めの順番はわたしを飛ばしてらっしゃるし、特に影響はないのだけど。
で、土砂崩れがあったらしいそこには陸燈姉さま以外、もう全員が揃っていた。
みんなで局の庭を眺めているけど、なんとも顔色がまずい。昔つるんでいた子分たちが、博打で負けたときの表情にそっくりだ。
そしてわたしも、
「あ~」
と、雨打ち付ける亜鐘姉さまの庭を見て同じ表情になってしまう。
局は無事だったものの、そこから臨む庭は見るも無残な有様だった。
小さな山や池、白砂に石に草花を整え亜鐘姉さまがせっかく綺麗にしていたのに、そこに入り込んだ土砂は全てを呑み込んでしまっていて、庭を見るも無残な姿に変えていた。全く無慈悲で、容赦がなかった。
「わたしの庭仕事、せっかく晴明さまが褒めてくださったのに」
亜鐘姉さまは頬に手の平を当て、とても悲しそう。そして晴明さまのお心も痛むだろうと思うと、こっちまで悲しくなる。
「どうしよう、これ……。陸燈姉さま、修繕に手を貸してくださるかしら」
「落ち込まないでくださいよう、亜鐘姉さま。もし陸燈姉さまが無理だったら、わたしも修繕手伝いますから」
「うう~。夜火……。いい子……」
「その代わりわたしの局の雨漏りの修繕、手伝ってもらえます?」
「………」
亜鐘姉さまが黙ったところで、
「これさ、私思うんだけど」
命恋姉さまがこっちを見た。
「この山が土砂崩れなんて初めてよね」
「? ええ。しっかり土が固まってますもんね」
「そうなんよね」
命恋姉さまはわたしの答えに、暗闇が覆う山の方に視線を移す。
「ここが土砂崩れになるまで雨降ってて、都って大丈夫?」