呉の町は、広島ほどには焼けていなかった。
工廠の被害は大きかったが、住宅の多くは残っていて、人々の暮らしの音が戻りつつあった。
こはると拓也が暮らすことになったのは、母の妹・澄江の家だった。
小さな家に家族がひしめくように暮らしていたが、澄江は「遠慮はいらんよ」と、二人を優しく迎えてくれた。
朝は早い。
まだ薄暗いうちから炊事場の奥で、おばちゃんがかまどに火を入れる音がする。
「おはよう、こはるちゃん」
「……おはよう、伯母ちゃん」
包帯がまだ巻かれたままのこはるは、少し遅れて布団から起き出す。
台所には朝ごはん代わりの芋粥と、少しの漬物。贅沢じゃないけど、温かい匂いがする。
拓也はすでに外に出ていた。
近所の知り合いの紹介で、軍の後片付けをする臨時の仕事に出ているのだ。
「兄ちゃん、いつも早いね」
「働き者だもんねえ、あんたのお兄ちゃん。…でも無理させすぎんようにね」
澄江の言葉には、どこか気遣うような響きがあった。
昼には、近所の子どもたちの声が聞こえてくる。
「おーい、広島から来た子ー!」
「鬼ごっこするけぇ、来んのん?」
こはるは最初、戸惑った。
皮膚の一部に残る火傷の痕や、痩せた体を見て、遠巻きにする子もいた。
でも、同じように疎開で親を亡くした子もいて、少しずつ輪の中に混じれるようになってきた。
「ねぇ、広島って、ほんまに真っ白になったん?」
「……うん。何も、なくなった」
そう答えたこはるの手を、誰かがぎゅっと握ってくれた。
夜、拓也が帰ってくると、こはるはその姿に安心する。
手は煤で黒く、靴の裏はすり減っていた。
「今日の兄ちゃん、なんかカラスみたい」
「うるせぇ、風呂入ってくる」
そんなやり取りができる日常が、こはるには嬉しかった。
母や健太のいない夜も、もう「ただ怖いだけ」じゃなかった。
拓也の背中が、支えだった。
澄江おばちゃんの味噌汁が、心を温めてくれた。
そしてこはる自身も、少しずつ、戦争が終わったあとの「生き方」を見つけようとしていた。
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