こはるが、久しぶりに呉の町に出たのは、秋の風が少し冷たく感じられる頃だった
呉の商店街には、戦後の混乱の中でも人の活気が戻りつつあった。
闇市が路地裏に広がり、鍋や靴下、アメリカ製の缶詰やチューインガムまでもが売られている。
そして、そこにいた――
「こはるちゃん、あれ……アメリカの兵隊さんよ」
「……うん」
路地の先、背の高い男たちが、異国の制服を着て歩いていた。
金髪や茶色の髪、肌の色も違っていて、まるで絵本の中から飛び出してきたようだった。
こはるの心臓が、どくん、と跳ねた。
その中の一人が、こちらに気づいた。
大きな手で、ふわっと笑って、何かをポケットから取り出した。
「Hey, little girl. You okay?」
何を言っているのか、全部は分からなかった。
でも、彼の手から差し出されたのは、小さなチョコレートだった。
こはるは、思わず後ずさった。
「いいのよ、もらっとき。怖い人たちじゃないわ」
澄江おばちゃんがそっと背を押してくれる。
「……ありがとう、ございます」
震える手でチョコを受け取ると、アメリカ兵の男は満足そうに笑って、他の仲間のもとへ戻っていった。
その背中を見つめながら、こはるはぽつりとつぶやいた。
「……敵、だったんだよね?」
「そうよ。でも、もう終わったの。あの人たちも、きっと帰る日を待っとるんよ」
こはるはそのチョコを見つめた。
包み紙には見慣れない言葉が並び、甘い匂いが微かに漂っていた。
戦争が終わったとはいえ、亡くなった母と弟、焼けた街は戻らない。
けれど――たった一つのチョコが、少しだけ心を溶かすような気がした。
家に戻ると、拓也がこはるの手の中のチョコに目を止めた。
「それ、どうしたんだ?」
「アメリカの兵隊さんにもろうた。……やさしい人やった」
拓也は黙って頷き、そしてぽつりと言った。
「そっか。……じゃあ、もう“敵”じゃないんだな」
こはるはその言葉に頷きながら、包みをそっと開いた。
戦争が終わって初めて食べた「甘さ」は、どこか涙の味がした。