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町全体が彼らの存在にざわついた。
夏休みに田舎にきた兄弟が、あまりに他と違っていたからだ。
ふたりの服装や話し方ももちろんだが、何よりも威圧的な外国車が常に彼らを守っていた点が大きい。
スーツを着た大人が兄弟に頭を下げているのを見た。そう近所の子どもたちは言った。
ふたりは吾妻財閥の会長の息子であることは、みなが知っていた。
しそね町出身で唯一名を馳せたのが吾妻一家であり、住民のみながそれを誇りに思っていた。
だから近所の子どもたち近づかない。兄弟の姿をただ遠くからじっと眺めるだけだった。
いくら努力しても届くはずのないピラミッド頂点。それが兄弟の立ち位置。
下手なことをすれば、恐ろしい報復が待っている。そうした未知の恐怖が、自然と子どもたちから兄弟を遠ざけていたのだ。
埃ひとつかぶっていない高級外車が、まさにシンボルだった。
吾妻勇太と勇信は川沿いで遊んでいた。
中学生になったばかりの堀口ミノルは、川の向こうからふたりをじっと見つめた。
「あづま財閥っていっても、べつに特別なわけじゃないな」
兄弟の他愛もない会話を聞いたあと、堀口はそうつぶやいた。それから彼は立ち上がり、兄弟へと近づいた。
堀口は黒い高級外車を一瞥した。
約50メートルほどの距離で、車は静かに停まっている。
「ねえ、東京からきたんだよな?」
堀口ミノルは兄弟に声をかけた。
「そうですけど」
兄の勇太が言った。
「君たち、あづまグループだろ?」
「どうしてそんなことを聞くんですか」
「ちょっと気になったから」
「気にしなくていいので」
吾妻勇太が鋭い表情で言った。
「さすがあづまグループだ。あんな怖そうな車ももってるし」
堀口を警戒したのだろうか、勇太はまだ幼い勇信の手を掴み距離をとろうとした。
「怖がる必要はないさ。ぼくはあそこの中学校に通ってる、堀口ミノルだよ」
兄弟は返事をしなかった。
警戒ではなく無関心に近いと堀口は感じた。
「で、どうしてふたりはこんなとこにいるんだい」
「それを知ってどうするんですか」
「どうするんですか」
幼い勇信が兄の真似をして言った。
堀口は小さくほほ笑んだ。
「ちょっといいものを見せてあげようと思ってね」
「いいもの? おもちゃ?」
7歳の勇信が興奮し、勇太の手を振り払った。
「残念だけどおもちゃじゃない。おもちゃなんか渡したら、向こうにいる怖い車のおじさんに怒られるだろ」
「その通りです。だから余計なことはしないでください」
勇太が言った。
「おもちゃよりももっと不思議な何かさ」
「なにか?」
堀口の言葉を聞き、勇太の表情が変わった。
これまでのような大人っぽい対応ではなく、ただ興味をもつ子どもらしい純粋な顔だった。
「そう。不思議な何か」
堀口ミノルは川の水で手を洗った。
「じゃ、今ここで見せてください」
「ここでは見せられないよ。向こうの奥に行かないと」
堀口ミノルが工場を越えた海の方向を指した。
「ダメです。知らない人について行くつもりはありません。ぼくたちを誰だと思ってるんですか」
「君たちがあづまグループだから見せてあげるって言ってんだよ。ぼくだけの秘密基地をね」
「ひみつきち?」
大きく反応したのは弟の勇信だった。
「秘密基地……めちゃくちゃ幼稚ですね。わらを束ねて家みたいに作って、漫画とかを隠してるだけでしょ。ぼくたちはそんなものに興味ありませんから」
やはりこのふたりは違う。そう堀口ミノルは感じた。
豊かな物質と優れた人材が常にふたりを取り囲んでいるだろう。兄弟から感じられる自然体の品位。まさに選ばれた人々のそれだった。
普通の家庭では見られない最高級の物質に囲まれた結果がこのふたりなのだろいう。
「わらでできた秘密基地は小学生でおしまいさ。ぼくは中学生だよ?」
「なんで秘密基地を見せたがるんですか。秘密だって言うなら、隠しておけばいいのに」
「君たち、友だちいないだろ? ちょっとかわいそうでね」
「誰に向かってそんなことを言ってるかわかってますか?」
勇太が堀口をじっと見つめた。
「おにいちゃん。もしかして、ぼくたちとお友だちになりたいの?」
堀口ミノルとはほぼ10歳違いの、幼い勇信が言った。
「ぼくたちもうすぐ東京に帰ります。おじいちゃんの故郷だからちょっと遊びにきただけです」
「わかってるよ。だから特別に見せてあげるって言ってるんだ。秘密なんだからここの子らには見せない。君たちはあづまグループだから特別たいぐうさ」
「正直言って、ちょっとは見たいですよ。でもあの車が見えるでしょ? すごく怖いおじさんがぼくたちを守っているんでムリです」
勇太が首を回して丘の上の黒い外車を指さした。
ちょうど運転手が車から出てきて、タバコに火を点けた。深く煙を吸って吐きながらも、時折ふたりの兄弟の姿を確認することを忘れない。
「その足元の岩を渡ってこっちにくれば、車は追ってこれないと思うけど?」
堀口ミノルは足元の岩をコンコンと蹴った。
突き出た岩が足跡のように向こう岸まで続いている。
「ねぇ、ぼくいきたい! ひみつきち」
「ダメだ、勇信。知らない人についていったらとんでもないことになるんだ」
勇太が再び警戒態勢をとった。
「ふたりには正直に話してあげよう。じつはね、君たちと友だちになりたくて声をかけたんじゃないんだ。ぼくだけが知っているすごい秘密基地を、君たちに自慢したいだけなんだ。あづまグループも驚くような秘密をぼくはしってるからさ」
それは本心だった。
偶然その場所を見つけてから、堀口ミノルは何度も友人たちを誘おうかと迷った。しかしそこは簡単に他人に広めてはならない場所だった。
秘密基地が醸し出す無言の圧力を、堀口はしっかりと受け止めた。
そうした折に現れた兄弟。
東京からきて、数日後にはここを去る。
あづまグループならぼくの秘密基地を教えてやってもいい。
あづまグループが正確に何なのかはわからないけど、秘密を共有する価値はある。
堀口ミノルの中では計算が成立していた。
「ここまで言っても行かないなら、まあ仕方ないね」
堀口はタバコを吸う遠くの運転手を見ながら言った。
「そんなことはありません。こちらとしても、仕方なく行かなければならないようです」
小川を見ながらしばらく葛藤していた勇太が、鋭い表情を浮かべた。