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翌朝、蓮は先に起きていた。
リビングから聞こえる物音に、拓実は目を覚ます。
キッチンには、拓実のマグカップを両手で温める蓮の姿があった。
「蓮くん、おはよ」
拓実が声をかけると、蓮は少し驚いた顔をして振り返った。
「あ、おはよう…ございます。拓実くん」
蓮は、拓実のことを「拓実くん」と呼ぶ。
その呼び方が、距離を感じさせて、拓実の胸を締め付けた。
「あのさ、蓮くん」
蓮が、拓実の言葉を待つ。拓実は、ずっと心に秘めていた言葉を口にした。
「俺のこと、名前で呼んでくれへんかな。拓実って」
蓮の瞳が、少し大きく見開かれた。
「…でも、それは、その…」
「お願い。俺と蓮くんが、もっと近くにいられるように」
拓実は、蓮の手をそっと握った。
蓮の手は、小さくて温かかった。
蓮は、拓実の手をじっと見つめ、そして、ゆっくりと口を開いた。
「…た、くみ」
たったそれだけの言葉なのに、拓実の胸は熱くなった。
蓮の「た、くみ」という声が、拓実の心を温めた。
その日を境に、蓮は拓実のことを呼び捨てにするようになった。
二人だけの、新しい日常が始まっていた。
週末、二人はスーパーへ買い物に出かけた。
蓮は、拓実の隣で興味深そうに陳列された野菜や果物を見ていた。
記憶がない蓮の、新鮮な反応を見ることが、拓実にとっての小さな喜びだった。
「これ、めっちゃ綺麗やね」
蓮が手に取ったのは、真っ赤なリンゴだった。
その光沢のある表面を、まるで宝物のように見つめている。
そんな蓮の横顔を見て、拓実は胸がいっぱいになった。
帰り道、拓実たちは公園に立ち寄った。ベンチに座り、蓮は静かに空を見上げていた。
「拓実、どうしてそんなに優しいの?」
突然の問いに、拓実は少し驚いた。
「優しい…?」
「うん。俺のこと、何も覚えてないのに、どうしてそばにいてくれるの?」
蓮の瞳が、まっすぐ拓実を捉える。
その瞳には、感謝と同時に、戸惑いの色が浮かんでいた。
拓実は、蓮の手をそっと握った。
「蓮くんが、なんも覚えてへんくても、俺はずっと好きやから」
拓実の言葉に、蓮の瞳が大きく見開かれた。
蓮の鼓動が、拓実の手のひらから伝わってくる。
蓮は、驚きと混乱が入り混じった表情で拓実を見つめていた。
「…好き、って…」
「うん。俺は、蓮くんのことが好き。記憶を失う前の蓮くんも、今の蓮くんも、全部ひっくるめて、蓮くんのことが好き」
拓実は、蓮の頬にそっと触れた。蓮の頬は、微かに熱を帯びていた。
「俺は、蓮くんがどう思ってるかわからへん。でも、俺の気持ちだけは、知っていてほしかった」
蓮は、何も言葉を発することができない。
ただ、拓実の言葉をじっと受け止めていた。
その瞳が、寂しそうに揺れている。
拓実は、蓮の戸惑いに気づき、少し離れて言った。
「今はまだ、返事はいらん。ゆっくりでいい。いつか、蓮くんが俺の気持ちに応えてくれる日が来たら、それだけでええから」
拓実は、蓮の頭を優しく撫でた。
蓮は、何も言わずに、ただ静かに拓実を見上げていた。