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すみません……本当にすみません。
【君流コンテスト】
参加作品「好きって言わせてみせるから!」
・得点
物語性 10/50
文章構成 20/50
??? ――/50
合計 (無得点)
・講評
……誠に申し訳ございませんが、私にはこの作品に得点を与える事はできませんでした。
物語性、文章構成の得点については以上の通り。問題となったのは、???の観点です。この観点にて、極端に低いマイナスの値がついてしまったため、今回は合計を無得点とさせていただきました。
本来ここでの講評内容は極力、物語性と文章構成の二観点にするようにしているのですが、今回はそれ以前の???の観点から崩れてしまっていましたので、そのあたりについて詳しく述べさせていただきます。
まず、おそらくは一番気になるであろう「極端に低いマイナスの値」を付けるにあたっての、その要因について。
一言で述べさせていただきますと、倫理的問題を感じてしまったためです。私の感想でしかありませんが、この視点は昨今この系譜の作品にて、特に抜け落ちてしまっている傾向があるように思います。本作の場合では赤面症でした。そういった実在する病気を扱う以上、その使い方というのは非常に大切となってきます。それを今一度、よく考えていただきたい。
かなりヘイトを受けるであろう言い方をあえてしますが、病気とて個人の個性に過ぎないわけです(通常の物語においては)。ですから、特にそういった属性にする必要性がなくとも、世間からの見られ方を気にしないのならば、そうしてもいいんです。現にオカマなんかはよく、キャラを立たせるためだけに使われていますよね。ただ、それは逆にいえば、キャラを立たせるためだけに使われたから許された属性であるとも取れますし、そこへコンプレックスを持った読者も存在しているのはわかるでしょう。
さて、話を今回の場合に戻しましょう。主人公は中学二年生に上がるタイミングにて赤面症を発症。そのコンプレックスを原因にとある出来事があり、それから教室には登校しないようになる。そんな過去を持つ彼は高校に進学し、一人の男子生徒と出会った。……一話(プロローグ)から二話序盤にかけての大まかな話の流れはこんな感じでしょう。
こうして見ると、特に問題はないと感じるかもしれません。ですが、実はすでにかなり危ういものに、この物語はなっているのです。言われてみれば当然の事かと思います。赤面症を持った人物が主人公となり、その病が物語の中核を担わされています。物語の意図がどこにあるかは別とし、形式としてはこのコンプレックスとどう向き合っていくかがテーマとなっているのです。
物語が構造として、そういったところを軸にしたものになっているが。そこに深く関わってくるエピソードはなく、むしろ相反する絵図らとしての表面的同性愛が軸になろうとしていて、実際そうなっている。キャラの紹介のつもりで一話を書いたのかもしれませんが、読者視点では今後の物語で変わっていく彼の考え方、その布石にしか見えません。
また、問題は他にも。
まず一つ。通常、物語のキャラというのは皆、過去を持っていて、何か強烈な出来事や体験からその人格を得るもの。本作でもキャラの過去が語られることはありました。しかし、それが今の人格にどう影響したかと問われれば何も答えられない。キャラ同士の掛け合いが軸となっているにもかかわらず、キャラ造形が弱いです。
作中では陰キャ陽キャという極端な人間のくくりが、かなりの頻度で出てきます。しかし、この主人公がこのような見方をするとはどうにも思えません。彼の過去からすれば、自分かそれ以外という自己批判、逆ローランド思考で人間を分けるほうが自然に思えます。赤面症というデリケートな属性を主人公に与えているというのに、彼の思考回路への理解が赤面症の起こる状況ならどうするか、という程度で終わっているのは残念でなりません。
読んでいて感じたことなのですが、キャラというキャラが一人とていないのです。本作に出てくるのは皆、記号なんです。
陽キャ、口が達者、真面目。といった属性の集合体がパズルのように、決めれられた物語のために動いている。場面一つの絵図らを切り取ってみた時はすごくいいんです。魅せる能力はあるはずなんです。しかし、それが絵図らという表面で完結してしまっている。狭く言えば本作のジャンルはBLなのかもしれませんが、それも広く言えば青春恋愛。それぞれの思考回路を持った人間の重なり合い、人間ドラマこそが本来の王道。
沼塚の過去を話すのは沼塚でなく、茜のほうがよかったかもしれませんし。遥は奥山が女装した時だけ、奥山に独占欲を抱く人間のほうがよかったかもしれない。挙げていけばキリがありませんが、そういった人間をつくって、どう考えて行動していくかをひたすらシミュレーションしていくものなのです。
次に。物語として見ても、設定の破綻があまりに多い。
多すぎて全てをここで挙げることはできそうもありませんが、最も多かったものでいくと時空の歪みです。本当に一度、読み直してもらいたい。時系列を書き起こしてもらいたい。入学後、一気に歳月が経過したり、一気に戻ったり、少し戻ったり……。一二月二四日にデートなのにその服を二五日に買って、そのままデートに場面が移り、二五日にデート。しかし、服は昨日買ったものらしく、翌日にも二五日が来る。一二月は二か月あることを疑うほど長く、それに伴ってキリスト誕生が遅れ、そして何度か誕生した世界なのかと信じたくなるほど、本当に時空が歪みに歪んでいる。
歪んでいたのは時空だけでなく、地形すらも。花火大会を小樽潮まつりの事だとするならば、神社は龍宮神社なのだろうが、屋台を少し抜けたところにあるはずはない。一五から二〇分、健康な足で歩いてもそれくらいの時間がかかるはず。宿泊研修のバス座席は、窓の外を見るという描写含め考えると完全に矛盾しているし、一目惚れとか言っていた沼塚は、体育祭から意識し始めたことになっているし、ドンキに行くと言いながら彼らは百貨店へ入っていく。駅の中に入ると朝はなかったり、誤字も多い(十五話、十六話に集中)。
これは破綻ではないが、なぜそうしたのかがよくわからない設定も多い。
札幌の家→バス→電車→バス→小樽の高校という手段で登校しているが、これに二時間かかるという。十五話にて、札幌市白石区に住んでいることが分かり、辻褄自体は繋がっているが、バスで札幌駅まで行っているのだから、中央区住みと思うのが普通だろう。絵としてもバスを二回使うのは美しくないため、地下鉄で新さっぽろか、それとも中央区住みで路面電車としたほうがよい。
また、白石区住みと分かるまで、読者は中央区住みだと思っており、そんな状態で登校に二時間使っている事が明かされている。小樽駅から学校までがひどく遠いのだと思うのは当然だろう。だから、ゲーセンによるために、歩いて小樽駅に向かった時には驚かされた。行けるんだ……と思いました。
では、物語性について。主に影響を与えた部分は二つ。一つは先ほども上げた時空の歪みなどのもろもろ。
二つ目は、各場面の必要性です。明らかに不要な場面が多すぎる。というのも、初めにも少し触れましたが、テーマや軸が表面的な部分でとどまってしまっているため、繋がりを持てていないのです。その顕著な例としては、第十話でのあさり里で人身事故が起こる場面。それに続いて最近多いといった言葉もありましたので、さすがに話に絡んでくるのだろうと身構えていたのですが、特に何もありませんでしたよね。
物語における必要性というのは、あまり突き詰めすぎるのもよくありませんが、本作に関してはもう少し必要かなと。ここを改善できれば、相対的に文章も成長していくと思います。
最後に。
せっかく参加していただいたというのに、このような結果としてしまい申し訳ございませんでした。あくまで一創作者としての意見でありますので、あまり真に受けず……というのは少し違うかもしれませんが、私よりも優先すべきファンの声――そしてご自身の声を大切になさってください。
偉そうにたらたらと語ってはいましたが、私はこの手の作品に関しては疎いところばかりですので、そういう人間の一つの意見として、この講評を捉えてもらえれば幸いです。