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白い世界には、色も光も音もなかった。
飢えもなければ死ぬこともできない。
誰もいない白い街並みの中で、だだ一人生きている少女がいた。
彼女はこのなにもない街で毎日歌を歌っている。リアは今日も街の中心にある噴水の縁に腰を下ろし、赤い本を胸に抱える。
大事に抱えた赤い本には、かすかに残る擦れた歌詞と、ぼやけた写真があった。
顔は削れてわからない。それでも、ここに家族がいた記憶だけは、リアの胸の中で確かに生きていた。そしてこの本が、リアの心を保つ唯一の物なのだ。
「……今日も歌おう」
小さな歌声が漏れると、胸の奥で何かが震えた。
最初は小さな歌だった。だけどその歌声は、強い想いから魔法となり、存在しないヴァイオリンの音がふわりと漂う。リアは目を閉じ、唇を震わせながら歌う。
歌うたびに、魔法が生まれる。
ピアノの旋律が加わり、やがてオーケストラのような音色が街に広がっていく。
『日の音色』それはお日様のように温かい愛の音色
『水の音色』それは流れる水のように力強く自由な音色
『地の音色』それは全てを受け止めてくれるような信頼の音色
『風の音色』それは穏やかできらびやかな、透き通る記憶の音色
――小さくても確かに、少女の思いが音となり、街に色を取り戻す。
静かな白の街に、少女の大演奏が響く。
孤独の中の、唯一の希望。唯一の記憶の形。
けれど、しばらくすると、いつも確かに響いていた音が、わずかにかすれ始めた。
ヴァイオリンの音も、ピアノの旋律も、途切れ途切れになる。
リアは目を開け、周囲を見渡す。変わったのは何もない。ただ音が離れていく。
胸の奥はざわつき、心が落ち着かない。
「……どうして…聞こえないの?」
歌は途切れ、音符は消えかける。
リアの小さな手は赤い本に握り付くが、胸の中の旋律は逃げていく。
孤独と不安が、初めて少女を覆った。
そのとき、リアは本を落とした。
床に落ちた本は無造作に開かれる。開かれた場所にはぴたりと張り付いていたページがある。
リアは震える手でそれをそっと剥がす。
そこには、昔自分が描いた家族の似顔絵――歪んでぼやけているけれど、父と母、そして小さな自分の姿があった。
「……パパ……ママ…」
涙が頬を伝い、リアは本を胸に抱きしめる。
すると、街に残ったかすかな音の中に両親の幻影が現れた。微笑む顔、やさしいまなざし。
リアは小さく頷き、再び歌を口ずさむ。
歌声に合わせ、幻影も声を重ねる。
音符は白い街に魔法のように広がり、冷たく無色だった世界に、ほんのわずかのぬくもりを取り戻す。
忘れていたお父さんの声とヴァイオリン、お母さんの声とピアノ。
リアは懐かしさのあまり、声を震わせ静かに涙を流した。
孤独な少女の大演奏は、白い世界に溶けるように、静かに、確かに響いた。
歌が終わると共に両親の幻影がゆっくり手を伸ばす。リアは笑顔で手を取り、白い世界に消えた。
そして音は消え、世界に本当の静寂が訪れた。