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ミラージュ・ホロウ心臓室。
白い座標杭の内側で、黒霧が“壁”になって押し寄せた。
光を削る音はしないのに、杭の輪郭がギシ、と目に見えて細くなる。
黒ローブの三人は、役割を変えない。
霧を流す者、影の鎖で足場を奪う者、そして“切る”者。
――切るのは肉体じゃない。
繋がり、通信、そして意識の焦点。
「……来させない気だな」
アデルが低く吐き、剣を引き寄せる。
その瞬間、床の影が跳ねた。
黒い鎖が蛇みたいに伸び、リオの足を絡めにくる。
「ッ……!」
リオは痛む脇腹を無視し、腕輪に指を当てた。
青白い光が走り、鎖の一部が弾ける。
だが、鎖は“千切れて終わり”じゃない。
影はまた床に溶け、別の形で這ってくる。
黒ローブの声が、仮面の奥から落ちた。
「……主鍵……まだ……来ない」
同時に、黒霧が天井へ伸びる。
空気が重く落ち、耳の奥を直接こするような“響き”が降ってきた。
《……りょう……》
《……しょう……》
《……れおん……》
頭の奥が引っ張られる。視界が少しだけ暗くなる。
リオの喉が鳴った。胸が、勝手に縮む。
「……っ、違う」
拳が震える。怒りとも、悔しさともつかない熱。
リオは歯を食いしばって叫んだ。
「彼らが死んだのは俺のせいじゃない!」
声が石壁に跳ね返り、黒霧が一瞬だけ“たじろいだ”ように揺れた。
そこを逃さず、リオは空中に紋を描く。
いつもの捕縛。だが今度は――“地面”に落とした。
「〈捕縛・第三級〉――面(めん)で縛れ」
青白い線が床を走り、座標杭の三角の内側に薄い膜が張られる。
霧が形を変えようとしても、膜が“ここはここだ”と押し返す。
完全じゃない。
けれど、霧化の抜け道を一瞬塞ぐには足りる。
アデルが目を細めた。
「……いい。今の発想は使える」
彼女は左腕の腕輪に触れ、白い波を走らせる。
ノノの補正が、リオの膜と重なって“場”の輪郭を太くした。
「〈封縛・座標杭〉――重層」
杭がもう一段、光を増す。
黒ローブの動きが、確かに鈍った。
――その代償に、“切る者”が動く。
見えない刃が、アデルの右耳へ走った。
イヤーカフの光を狙っている。
アデルは剣で受ける。キン、と乾いた音。
刃は逸れたが、頬の近くを冷たい線が撫でた。
「……通信を切る気か」
アデルの声が低くなる。
ローブが答えた。
「……届けさせない」
リオは前へ出た。痛む足で、床を踏みしめる。
「アデル、耳は守る。柱も守る。――俺が、こいつらの手を止める」
彼は腕輪の青白い光を一点に集め、膜の縁へ叩き込んだ。
“弾く”じゃない。“押し返す”。
バン、と空気が鳴る。
影の鎖が浮き、霧が散り、ローブの一人が半歩だけ退いた。
その一瞬に、アデルが踏み込む。
「〈捕縛・上級〉――縛れ!」
白い縄が走り、ローブの腕を絡め取る。
今度は霧化で抜ける前に、リオの膜が“輪郭”を固定する。
ローブの輪郭が、ぐ、と止まった。
「……っ」
初めて、ローブが“焦り”を見せる。仮面がわずかに揺れた。
だが――柱が脈打った。
【MAIN KEY REQUIRED】
その文字が、ほんの一瞬だけ薄くなる。
代わりに、画面の端を走る短い波形。
リオの目が見開かれた。
「……反応してる。近い。主鍵が――」
黒ローブたちの動きが、急に速くなった。
“来る前に終わらせる”焦りが、空気に混ざる。
「……来させる」
アデルが剣を構え直す。
「リオ、呼吸を整えろ。次が本番だ」
リオは短く息を吐き、うなずいた。
「……ああ。ハレルが来るなら、ここは耐える」
◆ ◆ ◆
【現実世界・海沿い/工業地帯へ向かう車内】
夜のバスは、窓に街灯の光を流しながら走っていた。
車内は静かで、エンジン音だけが腹の底に響く。
ハレルのスマホが、突然、びり、と震えた。
画面が一瞬歪み、ノイズの向こうに短い文字が滲む。
――赤錆埠頭
――搬入口
――B2
「……来た」
ハレルが息を呑む。
木崎が覗き込み、低く言った。
「“B2”ってのが決定打だな。地下二階。搬入通路だ。
……裏口が生きてる可能性が高い」
サキは窓の外を見て、喉を鳴らした。
街が、遠くへ流れていく。
いつもの景色のはずなのに、どこか薄い。
音が、少しだけ遅れて聞こえる。
「……ねえ、また“揺れてる”感じ、する」
「するな」木崎が短く返す。「だから急ぐ」
バスを降りると、潮の匂いに鉄の匂いが混ざった。
工業地帯の夜。コンテナの影が長く伸び、遠くで金属が軋む音がする。
錆びたフェンスの向こうに、黒い建物が見えた。
窓は割れ、外壁の鉄骨が赤茶けている。
――時間だけが腐ったみたいな場所。
「正面は無理だ。見張りがいる」
木崎が身を低くし、フェンスの端を指す。
「……横。穴がある」
三人は息を殺して、フェンスの破れを抜けた。
砂利を踏む音がやけに大きい。
ハレルのネックレスが、胸元で熱を打つ。脈みたいに。
建物の裏手。
大型の搬入口らしいシャッターが、半分だけ下りていた。
赤錆でざらざら。触れば手が汚れそうだ。
サキが小さく息を呑む。
「……ここ、入るの……?」
ハレルはうなずき、シャッターの隙間へ手を伸ばす。
その瞬間――スマホ画面が勝手に切り替わった。
【MAIN KEY REQUIRED】
「……これ……」
ハレルの声が乾く。
「“主鍵”……やっぱり、俺のネックレス……?」
シャッターの隙間から、冷たい風が吹いた。
潮の匂いの奥に、ほんの少しだけ焦げ臭さ。
木崎が低く言う。
「いいか。入ったら戻れない可能性がある。……離れるな」
サキが、震える指でハレルの袖を掴んだ。
「……うん」
ハレルはネックレスを握りしめ、シャッターへ体重をかけた。
ギ……ギギ……。
赤錆の鉄が、嫌な音を立てて動き始める。
――同じ頃。
ミラージュ・ホロウ心臓室では、黒霧がさらに濃くなり、白い杭が軋み続けていた。
主鍵が来るまで、あと少し。
その“少し”が、いちばん長い。
◆ ◆ ◆