コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
待ち合わせ時間の六時になっても、アンリエッタは姿を現さなかった。
考えが変わり、夕方に店を出したとしても、開けている時間はいつも、四時半から六時までだ。ならばいっそのこと、迎えに行くべきか。
いや、図書館で時間を食っているのかもしれない。前回一緒に行った時、次に借りる本を選ぶだけで、大分時間を掛けていたからな。
可能性としても、時間の効率性をとっても、図書館へ向かう方が良さそうだった。その勘は、やはり当たっていた。図書館の扉から、大分離れた所に、ある物を見つけた。
「これは……」
見間違えるはずはなかった。同じ青いリボンでも、俺の好みに合った物を選んだのだから。同じ青い目でも、濃さは違うから、その中間の色を選んだ。それが――……。
「どうしてここに――……」
落ちている? それも、こんな所に。しかもご丁寧に、真っ直ぐ扉に向かって、綺麗に置かれていた。
アンリエッタには、怖いと感じるほどの愛情表現をした場合、リボンを解くように伝えていた。そして、アンリエッタもまた、それに真剣に答えてくれていた。
外そうかどうしようか悩み、結局許してくれる姿に安堵し、それが可愛く見えて、もう一歩前進しようとするのを、必死に堪えていたくらいだ。
焦らず少しずつアンリエッタの心身に、馴染ませる様に、忘れることなどない様に、刻み込むほど大事にしていた。こんな所に、簡単に捨てるようなことはしないはずだ。
仮に捨てたとしたら、こんな綺麗に置いたりするだろうか。ぐちゃぐちゃにするか、無造作に置くに違いない。
「ここで突っ立っていても、仕方がない」
そうだ、冷静になれ。まずは確認だ。アンリエッタを見つけて確認すれば良い。
幸いにも、白いアスファルトのお陰で、青いリボンは目立っていた。そして一般の者が利用する図書館の扉の近くにあるのだから、持ち去ることを考慮したとしても、図書館のカウンターに届ける者がいたとしても、おかしくはない。それがない、ということは、アンリエッタがここから立ち去ってから、そんなに時間が経っていないことを意味する。
学術院の図書館は、閑古鳥が鳴くような施設でもない。門の所に行けば、アンリエッタが来たかどうか、確認することは容易いだろう。
思い付く限りの可能性の中から、効率良く動くことまで瞬時に、脳を駆け巡らせる。最悪の事態も、頭の中に入れることを忘れないようにした。
ただの行き違いならば良い。
教会からの追っ手は、一番可能性が低い。何故ならば、学術院に常時潜伏するような余裕があるのならば、店を開けている時間や外出時を狙う方が、効率が良い。けれど、そんな輩が周辺を、徘徊している様子はなかった。
そしてもう一つの懸念事項が、この間の図書館での出来事。青ざめた表情で、足をふらつかせていたアンリエッタの姿が浮かんだ。
勘だけで、教会の追っ手から逃げていた、と言っていた。そのアンリエッタが怯える姿を見せた、一冊の本。翌日、図書館でその本を見せてほしいと頼んだが、すでにマスティーユという教授に返却して、手元にはない、と言われた。
アズール・マスティーユ。
魔塔から派遣されてきたという魔術師で、元々レニン伯爵の関係者ということもあって、研究場所を学術院がある、このギラーテに移したのだという。
他に怪しいところはないかと、生徒や他の教授に探りを入れてみたが、これといって目ぼしい情報は得られなかった。ザヴェル侯爵家の方に手紙を出したが、それは六日前のこと。マーシェル国内を調べるわけではないため、返信は最低でも一週間は掛かる。どの道、そっちは間に合いそうになかった。
ともあれ、今は図書館だ。マーカスはリボンを丁寧に畳んで、ポケットの中に仕舞った。
図書館の中は、建物の外と違い、それなりに人がいた。それだけに、リボンが拾われていなかったことに安堵した。
「すみません。ここにアンリエッタ・イズルという者が、来ませんでしたか?」
受付にいた司書は、この間と変わらない人物だった。先日、本の確認で、一度しか会話をしていないマーカスを、認識するのは難しいことである。けれど、マスティーユから預かった本を、アンリエッタに渡しているくらいの人物なのだから、名前を言えば分かると判断した。
案の定、司書はマーカスに対しては、反応が鈍いものの、アンリエッタの名前には、すぐに反応を示した。
「あぁ、イズルさんですね。先ほど来て、お帰りになられましたよ。こちらが返却された本です」
「確認しても良いですか?」
「えぇ、どうぞ」
確認、というと、不審がられたが、構っている暇はなかった。マーカスは表紙を見て、題名を確認し、中も念のためパラパラと捲る。間違いなく、この間アンリエッタが借りた本だった。
「ありがとうございます。行き違いになったようなので、周辺を探してみます」
本を司書に返し、一礼してから図書館を出た。すると、どういうわけか、先ほどまで外には誰もいなかったはずなのに、人数は少ないが、普通にあちらこちらへと歩いていた。
ほんの数分で、人の移動が大きく変わることは、学術院ではよくあること。主に授業と授業の間がほとんどで、それ以外はこのように疎らだった。けれどもそれは、生徒たちがよく使う学舎で起こることで、一般の出入りが主な場所では、おかしなことだった。
「魔法か何かの類か。それだと、怪しいのはアイツしかいない」
だからといって、早まった真似はできない。魔法が使えないマーカスにとって、魔術師がアンリエッタを危険な目に合わせる、目的や用途が予想できなかった。
なら、やるべきことは二つ。一つは、警備室へ向かい、警備を担当している同じ自警団の団員に、アンリエッタの捜索を依頼すること。学術院を拠点にしているのならば、この敷地のどこかにいるのかもしれない。
二つ目は、魔術師なら同じ魔術師に協力を仰ぐこと。そもそも、アンリエッタとマスティーユを繋ぎ合わせたのは、ポーラなのだから、その責任は大いに取ってもらわなければ、割に合わない。
そのポーラと連絡を取る手段は、自警団経由でも可能だ。もしくは団員を使って、エヴァンに連絡してもいい。
今できることは、それしかなさそうだった。
しかしその日、アンリエッタを見つけることはできなかった。
そしてザヴェル侯爵家からの手紙は、翌日マーカスの元に届けられた。アズール・マスティーユについての手紙が。