夜明けの空気は冷たく、潮の香りを含んでいた。 絶海の孤島に建つ訓練城《ゼルドア要塞城》。
白い石壁と高い塔は朝陽を受けて淡く輝き、海風が旗を揺らしている。
訓練初日を終えた翌朝――
その静寂は、悲鳴によって破られた。
石造りの廊下に、訓練兵たちのざわめきが響く。
リオは走りながら、胸の中に嫌な予感が広がるのを感じていた。
(まさか……こっちでも、何かが起きたのか?)
廊下で、訓練兵たちが口々にざわめいていた。
「中から鍵がかかってて開かねぇんだ!」
「朝になっても起きてこないから様子を見に来たら……反応がない!」
アデルは扉の前に立つと、鉄製の取っ手を確かめ、低く呟いた。
短く構えを取り、声を張る。
「下がれ。破る!」
――ドンッ!
重い音が響き、扉が内側に押し開いた。
しかし、扉の裏側には何かがぶつかっていた。
「くっ……何か棚が倒れて塞いでる!」
リオと数名の兵士が力を合わせ、扉をこじ開ける。
内部へ踏み込んだ瞬間、空気がざわっと揺れた。
――そして、倒れているレオンを見つけた。
「――レオン!? おい、返事をしろ!」
乱れた寝具。
床に散らばった紙片。
そして、窓辺に倒れた少年の姿。
訓練兵レオン=バークハルト。
胸を押さえるように倒れ、その指先は黒く焦げている。
アデルが素早く駆け寄り、脈を確かめる。
首を横に振ると、兵士たちがどよめいた。
「……死んでいる。心臓を……焼かれた跡だ」
リオは息を呑み、レオンの胸元を見る。
布を破った中心、心臓に深く刻まれた黒い焦げ跡。
(榊良太と同じ……?)
昨日、ハレルから聞いた“冷却整備室での変死”。
胸に残っていた不可解な焦げ跡。
その情報が、目の前のレオンの死と重なっていく。
「……内側から施錠されている。破錠痕もなし。
誰も出入りできない“完全な密室”だ」
リオが鍵穴に目を向けると、確かに外から壊された形跡はない。
窓も分厚い格子と魔術封印で守られ、そこからの出入りは不可能。
(この状況で……どうやって犯人は出入りした?
レオンは“誰も入れない部屋”で殺されたことになる……)
◆ ◆ ◆
「リオ、一度外へ出ろ。ここは私が指揮を執る」
アデルの低い声に、リオは小さくうなずく。
外へ出ると、海風が強く吹きつけた。
リオは腕輪に触れ、そっと目を閉じる。
(ハレル……聞こえるか?)
腕輪の中で、観測鍵の欠片が淡い青を灯す。
――ジジッ……ガ、ガ……。
ノイズ混じりの光が走り、ハレルの声が微かに届く。
『リオ……そっち、何か……あった……?
こっちは……クルーが……』
「ハレル? ハレル、聞こえるか?」
『胸……焦げ跡……密室……こっちも……』
繋がりかけた通信は、そこで途切れた。
リオは拳を握りしめる。
(同じ……いや、同じ“手口”だ。
向こうでも、こっちでも、誰かが……)
視界の端で、アデルが兵士たちへ指示を飛ばしている姿が見えた。
「警備隊を城内に配備しろ!
外門は閉じる!
犯人はまだこの島のどこかにいる!」
その声に、周囲の兵士たちが一斉に動く。
緊張と空気の重さが、砦の中に広がっていく。
◆ ◆ ◆
リオは深く息を吸い、アデルの横へ歩み寄った。
「アデル。
……この手口、現実世界でも起きているようだ。」
アデルは目だけでリオを見る。
「何? 向こうの世界でもだと!?」
「ああ。今朝、ハレルから連絡があった。
胸に焦げ跡……密室……ほぼ同じ状況。」
アデルの金属のような瞳が細められる。
「つまり――犯人は、こちらとあちらの両方に干渉できる存在。
“転移者”だということか」
リオは何も言わず、うなずくしかなかった。
境界は依然として揺らぎ続けている。
現実と異世界の間にある“見えないドア”が、少しずつ緩み始めている。
そこを――誰かが意図的に利用している。
◆ ◆ ◆
アデルは短く息を吐く。
「犯人が転移者なら、城内だけ調べても意味がない。
だが……今回は状況が違う。転移の“戻り地点”が不安定だ」
「ああ。僕も昨日、少し感じた。
本来の座標に戻らず、数メートルずれて着地して……」
アデルは腕を組む。
「つまり、犯人も思いどおりには転移できないはず。
ならば必ず“痕跡”は残る。
リオ……お前の観測視点も必要になるぞ」
リオは静かにうなずいた。
(犯人……誰だ?
なぜレオンを殺した?
そして、ハレル側の被害者と何が繋がっている?)
海風が、砦の旗を大きく揺らす。
リオは唇を結び、アデルとともに廊下を進んだ。
レオンが倒れていた部屋の扉が、ただ重々しく軋んだ音を立てて閉まる。
――双界を繋ぐ殺意の連鎖は、まだ始まったばかりだ。
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