テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
時計の針は、すでに21時を回っていた。
フロアの明かりは半分以上落とされ
私のデスク周りだけが、PCの青白い光に照らされている。
「……はぁ」
キーボードを叩く指を止め、大きく伸びをする。
資料室でのあの日以来、真司を意識しすぎて仕事が手に付かない。
おまけに彼は、私が避ければ避けるほど、公的な用件を装って至近距離まで近づいてくるのだ。
「まだ終わらないのか」
不意に背後から声をかけられ、肩が跳ねた。
振り返ると、ジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲り上げた真司が立っていた。
ネクタイを少し緩めたその姿は、昼間の完璧なエリートの姿よりもずっと毒気が強い。
「あ、あと少しだけ…真司こそ、先に帰ればいいじゃない」
「亜希を一人で残せるかって。この時間、警備員以外誰もいないんだから」
真司は当然のように隣の席を引き寄せ、どっかりと腰を下ろした。
狭いデスクに、彼の体温が侵食してくる。
「……ちょっと、近すぎ!」
「いいだろ、誰もいないんだから」
彼は私の手からマウスを奪うと、画面を覗き込んだ。
「ここ、ロジックが甘い。……昨日からずっと集中できてないだろ。そんなに動揺してるのか?」
耳元で低く笑う声。
悔しいけれど、反論できない。
真司はマウスを操作するふりをして、そのまま私の左手の上に自分の手を重ねた。
「っ…やめて、誰か来たら……」
「来ないよ。……なぁ、亜希。いつまで『同期』のふりするつもりだ?」
彼の手が、私の指の隙間に自分の指を滑り込ませる
恋人繋ぎ。
昼間のオフィスでは許されない、けれど今のこの空間なら許されてしまうような、甘い錯覚。
「……仕事中よ」
「じゃあ、仕事が終わったら、いいのか?」
「そういう問題じゃ…!」
真司は強引に椅子を回転させ、私を自分の方へ向かせた。
逃げようとする私を、彼はデスクに両手をついて閉じ込める。
「亜希が元カレのこと考えてんなら…気に入らない」
「な、なんであんたがそんなに怒ってんのよ…」
「いいから……あんな男、早く忘れろよ」
彼の顔が、拒む隙も与えずに降ってくる。
キーボードを叩く音も、電話の音も聞こえない静寂の中で
重なる唇の音だけが、やけに鮮明に響いていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!