テラーノベル
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将臣の部屋で、晴臣は腕を組みながら落ち着きなく往復していた。ふと、足を止めて、衣紋掛けにかかる兄の軍服を見る。
将臣はすでに白いシャツとズボンに着替えていた。
その姿を見て、晴臣の胸がざわつく
「兄上、本当に……本当に出ていくのですか!?」
「ああ」
荷物を鞄に詰め込む将臣の手は止まらない。
晴臣は我慢できずに将臣へ詰め寄った。
「軍を辞めてまでっ……! 明日からどうするんだよ、少し冷静になったほうがいい!!」
「安心しろ。軍医を辞めても、医者として生きる道はある」
「兄上……」
晴臣の勢いがすうっと削がれていく。
「ずっと……お一人で抱えていたんですね」
「……ああ。私は、軍の組織には向いていない」
すでに迷いのない、静かな声だった。
晴臣の脳裏に、かつて兄が怪我を治して助けた猫の結丸が思い浮かんだ。
「兄上は……昔から、弱いものほど放っておけない人でしたから」
晴臣は眉を寄せて、目の端に涙を浮かべた。
「だからこそ……戦場で……っ、うっ、ううっ……!」
「晴臣、私のために泣くな」
「だってっ!!」
将臣は立ち上がり、晴臣をまっすぐ見つめた。
「私は無責任な男だ。安藤家の期待をすべて裏切るのだからな。この罪は重い」
「その分……! その分、兄上は十分に苦しんでこられたじゃないですかっ!!」
晴臣の瞳から涙がポロリと溢れ落ちる。
「だから……俺は、兄上を応援しますっ!」
将臣はふっと眉を下げると、晴臣の頭を優しく撫でた。
「頼もしい弟がいて……私は幸せだな」
その時、玄関の戸が激しい音を立てて開いた。
ドスドスと廊下を叩く荒々しい足音。それは一直線に将臣の部屋へ向かってくる。
バァンと勢いよく滑った襖の向こうに、憲一が立っていた。
顔を怒りと焦燥に染め、その視線が床の鞄へと刺さる。
「……出ていく気か?」
その声は小さく震えていた。
「はい。自分の意思を貫く以上、これ以上お世話になるわけにはいきません」
将臣は淡々と言い放つ。
憲一は言葉を詰まらせ、あきらめ悪く将臣へ手を伸ばした。
「ま、待てっ! ようやくあの娘が出ていって、出世への道が開けたんだぞ! 軍を辞めるな! 今ならわしが取りなして、軍の研究所で好きな研究ができるよう手配してやるから……っ!」
見苦しく言いくるめようとする。
将臣はあからさまに眉を寄せ、冷ややかな目を向けた。
「父上。私は……凪を選びます」
はっきりとした口調。
その一言で、憲一の顔が真っ赤に沸騰した。
「将臣っ……!! わしが何のために……ここまでお前を育てたと思っているんだっ!!」
「その言葉が、聞きたかったのです」
将臣は身体を父へと向け、真っ向から対峙した。
「私は、軍医になりたかったのではありません」
その眼差しが、まっすぐに父を射抜く。
「私は、ただの『医師』になりたかったのです」
「なっ……!?」
将臣はそっと、穏やかな微笑みを浮かべた。
「凪が……私に思い出させてくれました」
「あの娘は、お前の将来を台無しにする! いい加減、目を覚ませっ!!」
激しい憲一の怒号が飛ぶ。
その時──。
「目を覚ますのは……父上のほうですっ!!」
割り込んだその声は、将臣のものではなかった。
将臣と憲一は同時に目を見開き、驚愕して晴臣を見た。
晴臣は両拳を激しく震わせ、顔を歪ませていた。
「父上だって……! ずっと期待を背負い続けてきた兄上の苦しみを理解してくださいっ!!」
「何をっ……!?」
晴臣の気迫に押され、父は頬を引き攣らせる。
だが、晴臣の叫びは止まらない。
「兄上だけじゃない! 俺だってずっと……っ! 父上の顔色ばかり伺って、苦しくて、息が詰まりそうだったんだっ!!」
父が絶句し、言葉を失う。
「兄上を……もう自由にしてください……っ!」
晴臣は、ずっと目を逸らし続けてきた──父の目をまっすぐ見据えた。
「……俺が、士官学校に入ります」
「お前が……っ」
憲一は唇を噛み締め、項垂れたまま動くことができなかった。
「……兄上、行ってください」
晴臣は涙を拭い、穏やかに笑った。
目の前にいるのは、もう兄の影に隠れていじけていた幼い弟ではなかった。一人の立派な青年であった。
将臣は静かに深く頷き、一礼すると鞄を手に取った。
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