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鏢師劉偉ひょうしりゅううぇい
「次の宿場の蒲原かんばらまでは二里三十丁、頑張れば一里先の由比ゆい宿まで行ける、旧道を行けばもっと早いわ!」
吉原宿を過ぎて、街道が大きく右に曲がっている追分道に差し掛かると志麻が言った。
「何で頑張るのよ、急ぐ旅でもなしゆっくり行こうよ。ほら、お金もできた事だしさ」
「私は急いでるんです、早く仇打ち成就の報告もしたいし」
「真面目ねぇ、そんなん少しくらい遅れてもいいじゃん。もう仇は討ったんだから!」
「そんな訳には行きません!」
お紺と志麻が言い争いを始めた。事の起こりは、思わぬ臨時収入が入って気が大きくなったお紺が、富士の見える旅館でゆっくり湯に浸かりたいと言いだしたからだ。
ゆっくりしたいのは志麻とて同じだが、度重なる突発事故で旅程が大幅に遅れている。
「それならここで別れましょ。あっちは名所見物でもしながらゆっくり行くわ!」
「分かった、勝手にすればいい!」
売り言葉に買い言葉、志麻も引っ込みが付かずつい強い口調になってしまう。
「じゃあ、これは折半ね」
お紺が、長次郎にもらった切り餅(二十五両)を取り出して、十二両づつに分けた。
「残った一両はあのお坊さん喜捨しましょ!」
お紺が指差す追分道に、網代笠あじろがさを被った托鉢の僧が錫杖を突いて立っている。
お紺は小走りに僧に近寄ると丁寧に頭を下げ、僧の持つ鉢に一両を入れると手を合わせた。
僧は願文を唱えながら片手で拝むと、また石になったように動かなくなった。
「無愛想なお坊さんね・・・」戻って来るなりお紺が言った。
「修行だから仕方ないでしょ」志麻の返事はそっけない。
「あっそ、じゃ、あっちは右に行くから」
「私は左」
互いにそっぽを向いて別々の道を行く。
左の旧街道を志麻が行く。右は延宝八年の高潮によって北側に大きく迂回するように造られた新道だ。よって、今までずっと右に見えていた富士が左手に見える。
「『左富士』を見ないなんて、勿体無いわよ!」
お紺が叫んだが、志麻は返事もしない。
その分岐点に、相変わらず托鉢の僧が微動だにせず立っていた。
*******
「左富士なんて見たくないわよ・・・そうだ、佐賀の二刀流の剣士・・・河合拓馬って言ったっけ。私を狙う黒幕の名前を教えてくれた。え〜と、確か大和屋仁平だったわね。蒲原宿の飛脚屋で江戸の一刀斎に手紙を書いて調べてもらおう。お紺さんがいないから丁度いいわ・・・でも、お紺さんだってせっかく楽しみに来たのに、私のせいで危ない目にもあったものね・・・仕方ない、蒲原宿でお紺さんを待ってやるか」
独り言を呟きながら志麻は先を急いだ。
*******
「もう、あの娘こったら頑固なんだから。今日はお天気も良いから富士のお山が丸見えじゃない、こんなこと滅多にあるもんじゃないわよ。せっかく二人でお酒でも飲みながら湯に浸かろうと思ってたのに」
お紺がブツブツ言いながら人通りの途切れた街道を歩いていると、錫杖の遊環ゆかんの触れ合う音がして僧が近付いてきた。
「あら、さっきのお坊さんじゃない、どうしたのかしら?・・・あ、わかった喜捨があまりに多かったんでお礼を言いに来たんだわ」
立ち止まると、僧が追いついて来た。お紺は愛想笑いを浮かべて僧を見る。
「まぁ、お礼なんていいんですよぅ、折半のお金が割り切れなくて困っていたんですから。どうぞ遠慮なさらずに・・・」
シャン!と高い音がして、錫杖がお紺の鳩尾に潜り込む。お紺は息を詰めて気を失った。
僧は無言でお紺を担ぐと脇道にそれ、芒すすきケ原の中に入って行った。
お紺が目を覚ました時、そこは窓の無い農家の納屋のようなところだった。今の時期は使われない唐箕とうみや万石まんこく、篩ふるいなどが置かれている。
お紺は両手足を柱に縛られ猿轡さるぐつわを噛まされていた。
『一両もやったのに、あの坊主わっちをどうしようってんだい!』腑はらわたが煮えて仕方がない。
『きっと一両じゃ足りなかったんだ・・・あ、わっちの荷物は?』
不自由な躰を動かして小屋の中を見回すと、お紺の荷物は隅の方にきちんと揃えて置いてあった。
財布の中身は確かめようもないが、ぞんざいな扱いでは無い。
『じゃあ、あっちの躰が目当てなのか?』
『いやいや、あいつは坊主じゃないか・・・』
『しかし、坊主と言ったって所詮は男なんだから』
考えが巡って一向に纏まらない。
『やっぱり志麻ちゃんと別れなければ良かった・・・』
最後はガクンと項垂うなだれるお紺であった。
*******
「さて、これでよし」
志麻は手紙を書き終えると飛脚問屋に託して店を出た。
お紺は随分と迂回した道を来るから蒲原に着くのは夕刻になる筈だ。
「先に宿を決めて待っていよう、私の菅笠を宿の入り口に掛けておけば目印になる」
志麻はそう決めると小綺麗な旅籠を探し始めた。
黒塀の本陣や海鼠なまこ塀の続く御屋敷を通り過ぎると、旅籠や商店の立ち並ぶ賑やかな場所に出た。
広い通りに面した所に宿を取れば、お紺もきっと気付くに違いない。
蔀戸しとみどのある小さな旅籠の敷居を跨ぐと、仲居が飛び出して来た。
「まぁ、お早いお着きで」
「連れと待ち合わせをしています、墨と硯すずり、それと大筆を貸して頂けませんか?」
仲居は怪訝な顔をしていたが奥の丁場から持って来てくれた。志麻は濃く墨をすると、菅笠に大きく自分の名を書いた。
「これを表に下げておいて貰えますか?」
「へぇ、これならきっとお連れさんも分かるだよ」
仲居は菅笠を受け取り表に出て行くと、やがて戻って来て言った。
「格子のど真ん中に吊るしておきましたで、大丈夫だぁ」
志麻は足袋を脱ぎ、水を張った桶で足を濯すすぐと仲居に案内された二階の部屋で旅装を解いた。
手すりの付いた窓の縁に腰掛けると通りがよく見える。
「ここならお紺さんが来るのも見えるわね・・・」
*******
旅の托鉢僧・・・正体は清国の貿易商人に雇われた鏢師ひょうし(ボディガード)、劉偉りゅううぇい。
拙いながら日本語の読み書きができると言う理由で選ばれ唐人船で長崎に来た。
しかし任務の途中敵対する鏢局ひょうきょくの鏢師に雇い主を殺されてしまう。
任務を遂行出来なかった劉偉は、自身の所属する鏢局に狙われ仲間を殺して江戸へ逃げた。
もう、国へ帰る事は出来ない。いっそ日本に骨を埋めようかと思ったが、国に残してきた妻と二人の子供の事が気掛かりだった。
そんな時、大和屋仁平という男から声が掛かった。若い娘を始末するだけで五百両という大金が手に入ると言うのだ。それだけあれば妻と子を連れて他国へ逃げることもできる。
劉偉は二つ返事で承諾した。どんな事情があるのかは知らないが、清国でも日本でも裏でやる事は同じだ。
得意は槍だが持ち歩くには少し目立つ。僧形をすれば錫杖を持っていても怪しむ者は誰もいない、と言う理由で僧の格好をしている。
殺すにしても、一度どんな相手か見ておこうと思って待ち伏せたのだが、若い娘は華奢な姿形に似合わず動きに隙がない。
これは一筋縄ではいかないと迷っていると、運良く連れと仲間割れを始めた。予定を変更して人質を取る事に決めた。
お紺を拉致して納屋に閉じ込めた劉偉は、志麻の向かった蒲原かんばらの宿に足を早めた。
途中短い手紙を認したため懐に入れた。
お紺の持っている金には手を付けなかった。鏢師としての最後の矜持である。
蒲原宿に入ると志麻の姿を探した。先を急いでいるようだったが、連れと別れたのは一時の感情に過ぎない、きっとここで女を待つだろうと判断した。
街道沿いの旅籠はたごの前で托鉢をしながら、それとなく中の様子を窺う。
何軒目かの旅籠の前に来た時、格子にぶら下がっている菅笠が目に入った。
『志麻』と言う文字が大書してあった。
確か大和屋仁平に聞いた名だ。網代笠の縁を手で持ち上げて宿の二階を振り仰ぐ。
通りを見下ろす娘と目が合った。
*******
「あ、あの時のお坊さん・・・」志麻の心に疑念が湧いた。「なぜこんな所に?」
僧は志麻と目が合うと何やら懐から取り出し、一度屋根庇の中に消えた。
再び姿を見せた僧は二度と志麻を見上げる事も無く、急ぎ足で遠ざかって行く。
「待って!」
呼んでも振り向く気配は無い。
悪い予感がして、志麻は旅籠の階段を駆け降りる。下駄を履くのももどかしく表に出た。
僧の姿はもう何処にも無く、格子に提げた菅笠に一通の手紙が小柄で縫い付けてあった。
志麻は手紙を手に取って開くと顔色を変えた。
{連れの女は預かった、芒ケ原の破れ小屋に来い}
「お紺さん・・・」
志麻は手紙を握り締めて、通りに立ち竦んだ。
*******
腰の刀に手をやって、志麻は背丈ほどもある枯れた芒すすきの中を進んだ。
風が芒の穂を揺らす度に、ハッと神経が尖とがる。
月明かりで遠くの建物がぼんやりと見えた。ほぼ輪郭だけの黒い建物、あの中にお紺は囚われているに違いない。
身を低くして近付いて行く。
戸口の前に辿り着くと、くぐもったお紺の呻き声が聞こえた。他に人の気配は無い。
「お紺さん!」
体当たりで戸を開けて中に踏み込んだ。月の光の届かない室内は真っ暗で何も見えない。
お紺の呻き声が大きくなった。何かを必死に伝えようとしているが猿轡を噛まされていて意味をなさない。そろそろと声のする方に近付き、手探りで猿轡を解いてやった。
「志麻ちゃん逃げて!あいつこの小屋に火をつける気よ!」
その時、外が急に明るくなった。同時に焦げ臭い匂いも漂ってくる。
「大変、火が!」お紺が叫ぶ。
板の隙間から入る火の色で。柱に縛り付けられているお紺の姿が見えた。
志麻はお紺を戒めている縄を切る。
「志麻ちゃんごめん、あっちが捕まったばっかりに・・・」
「ううん、私の方こそお紺さんを一人にしてごめんなさい・・・お紺さん歩ける?」
「うん、大丈夫」
火は既に天井にまで達していた。
お紺に肩を貸して戸口まで来るといつの間にか戸が閉められていた。
押しても蹴飛ばしても開かない。外から鍵を掛けられたようだ。
「どうしよう、開かない!」
「志麻ちゃん落ち着いて!」
「でもこのままじゃ二人とも焼け死んじゃう!」
志麻が途方に暮れていると鬼神丸の声がした。
私が戸を斬るから外に飛び出して、風が入るとこの小屋は一気に燃え落ちる・・・
『分かった!』
志麻が戸の前に立つとお紺に言った。
「私の後について来て!」
志麻の腰間から鬼神丸が飛び出した。
次の瞬間、戸が斜めに斬れて風がどっと吹き込んだ。
斬れた戸の隙間からお紺の手を引いて外に転まろび出た。
途端に小屋が火を噴き上げ、音を立てて崩れ落ちた。
「危なかった・・・」焼けた髪の煤を払いながら志麻が言う。
小屋の焼ける火で、あたりは昼間のように明るかった。
「あいつ、まだこの近くにいるわ!」お紺がキョロキョロと辺りを見回した。
「よく助かったネ」
芒すすきの中から錫杖を持った僧が現れ、拙い日本語で語りかけて来た。
「変な訛りね、あなた唐人?」志麻が訊いた。
「ソウ、ワタシ清国から来たネ」
「なぜ私を狙うの?」
「ワタシ、あなたに恨み無い、でもどうしてもお金・・イル」
「誰かに頼まれたのね?」
「ソレハ言えない、ワタシの商売、信用第一・・・ネ」
「大和屋仁平なの?」
劉偉は返事の代わりに、網代笠を取って投げ捨てた。
「あなたのイノチ、もらうヨ・・・」
志麻が柄に手をかけると同時に、劉偉が地を蹴った。人間離れした跳躍力。志麻の剣は虚しく空を斬る。
真上から錫杖が落ちて来た。
横っ飛びにそれを躱かわす。
錫杖の突きが志麻を追った。
転びながら剣を跳ね上げて弾き返す。
錫杖が劉偉の頭上で回転し、唸りを上げて志麻を襲う。
咄嗟に後退さったので脇腹を掠っただけだが、痛みで思わず膝をつく。
錫杖が劉偉の腋わきに掻かい込まれた。突きに出る態勢だ。
「志麻ちゃん!」
お紺が火のついた木材を劉偉に投げつけた。
劉偉がハッとして振り返る間に、志麻は芒の中に飛び込んだ。
劉偉が後を追って滅茶苦茶に芒の叢くさむらを突きまくる。
志麻は姿勢を低くしてゆっくりと移動した。
芒が揺れて志麻の位置を教える。
途端に劉偉は、化鳥のような叫び声をあげ錫杖を突き込んだ。
その瞬間志麻が宙に舞い上がる。
劉偉の頭上を軽々と飛び越え、振り向きざま鬼神丸を一閃させた。
悲鳴を上げて仰け反ると、劉偉はキリキリと舞い、俯うつぶせに倒れ息絶えた。
劉偉の背中は、右肩から左の腰にかけて深々と斬り裂かれていた。
「志麻ちゃん大丈夫!」お紺が駆け寄って来た。
「うん、お紺さんは?」
「あっちは平気さ。それよりも手強かったね!」
「異国の武術の動きは読み辛ずらい処があるから」
「でも、よくあんなに高く飛べたもんだ」
「あはは、あれ私が飛んだんじゃ無いわ、鬼神丸が引き揚げてくれたの」
「鬼神丸?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ?」
「話せば長くなるから、今夜宿でゆっくりね」
「分かった、とりあえず今はここを離れなくっちゃ」
「お紺さん、荷物は・・・焼けちゃった?」
「うん、でもね財布は懐に入ってたの。てっきりあいつに取られたと思っていたのに・・・」
「じゃあ、そんなに悪いやつじゃなかったんだ?」
「悪い奴だよ、だって命を狙われたんだから」
「うん、そうだね」
「とにかく、明日古着屋を探して着る物買わなくちゃ、あちこち焼けてボロボロだもん」
「その前にお風呂に入りましょ、お紺さん顔真っ黒だよ」
「あはは、志麻ちゃんこそ」
「もう二度と離れないからね」
「あっちも、ずっと志麻ちゃんについて行く・・・」
二人は顔を見合わせて頷くと、まだ燃え残って燻くすぶっている小屋を後にした。