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──そして、月子は。
「ああ、帯は、そちらの方がいいわ」
部屋の真ん中で、椅子に座らされ、側では、芳子が、女中へあれこれ言いつけている。
月子は、もう、戻れない。もちろん、戻すつもりもないと、芳子は西条家へ、月子を預かる旨の挨拶に出向くと息巻いていた。
挨拶に出向かず、このまま月子を引き留めると、西条家のこと、月子を拐った、傷物にされただなんだと、言いがかりをつけて来るに違いない。
そうして、優位に立って、月子を押し付けにかかる、どころか、金銭の要求をされるかもしれない。
さすがに、男爵家の面子がある。なにがなんでも、こちらから、出向いて行かねばならないのだと、芳子は、必死になっている。
当然、月子の格好も、そのままでは、まずい。西条家にバカにされると、言い出して、ひとまず、芳子の着物を使おうと、月子に似合いそうなものを選んでいたのだった。
「佐紀子って、義姉の鼻をへし折ってやらないとね。私も、実家では、義理の兄や姉達に、色々やられたから、相手の出方は、それなりに分かるのよ!」
月子は、息巻いている芳子へ、適当に相づちを打っているが、先ほど聞かされた岩崎の過去の事で頭が一杯だった。
身分の差もある。そして、岩崎には、想っているだろう相手がいる。月子の出る幕は、ないと……。
そういえば、独身でいると、母の前で岩崎は、言い切った。
そういう意味合いだったのかと、月子は、なんとなく納得もしていた。
この見合いには、そもそも無理があったのだ。
自分などに、良縁が舞い込んで来ることなどないと、月子は黙りこんでいた。
「……月子さん。やっぱり、余計なことを言ってしまったのね、私……」
沈んでいる月子の様子を見て、芳子が、申し訳なさそうに言う。
「い、いえ、奥様!」
「だから、月子さん!奥様は無しよ!」
慌てる月子へ、芳子は、なんとか機嫌を取ろうと、必死になっている。それが、見てとれるだけに、月子は、よけい、どうすれば良いのか、わからなくなり、焦りきった。
しかも……。
焦っているのは、月子だけではなく……。
お咲が、床に這いつくばり、足袋を片手に、月子の足に巻かれている木綿布《ほうたい》をほどいていた。
「奥様は、足袋履かないといけない。お咲も、女中しないといけない!」
と、ぶつぶつ言いながら……。
確かに、月子の足には、挫いた足首を固定する為、大袈裟に木綿布が巻かれていた。下駄も履けず、当然、足袋も履くことも出来ないほどの、ぶざまな巻かれ様だった。
一度ほどかなければ、と、皆で話していたのを、お咲は聞いていたのだろう。
そろそろと、ほどいているが、ほどいたままで、布は、散らばり放題だった。
「あらまっ、お咲ちゃん。布がこんがらがってる」
何気なく言った芳子の言葉に、お咲は、ぽろりと涙を流す。
「お咲でも女中はできるって、母ちゃんが……だから、お咲、女中に、女中に……」
お咲は、床に這いつくばったまま、くすんくんと泣き出した。
「ああ、なんてこと。もう一人、訳ありが、いたのよね。お咲ちゃん、大丈夫よ」
お咲は、顔を歪めながら、月子の足元でうずくまっている。
「……お咲ちゃん」
それから先の言葉が、月子には出て来なかった。
行き先が無いと、お咲も必死になっているのだ。月子も他人事には思えず、なにより、幼い子供が、どうにか雇ってもらおうとしている姿は、月子の目頭を熱くした。
「分かってるわよ。月子さん。ここは、男爵家!悪いようにはしませんからね!」
さあさあ、急いで、急いで、と、芳子が、岩崎達が戻って来るまでに、月子の支度を終えないと、と、世話をしている女中達に声をかけた。
「もちろん、お咲ちゃんにも、手伝ってもらわないと間に合わないわ。いいかしら?」
芳子の言葉に、お咲は、袖で涙を拭ぐい、こくんと頷いた。