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「山中さーん、お電話入ってまーす」
「あ、はい!すみません、今行きます!」
フロアの奥からのんびりとした同僚の声が響き、僕はハッと我に返った。
……まずは、仕事だ。
公私混同しちゃダメだ、ちゃんと社会人として目の前のことをこなさないと。
じくじくと痛む胸の痛みを無理やり抑え込んで、僕は大急ぎで自分のデスクへと戻り、パソコンに向かって仕事を再開した。
「おい、山中。お前大丈夫か?」
隣の席から、ひょっこりと顔をのぞかせて声をかけてきたのは、同じ経理部の二つ上の先輩、吉田仁人さんだった。
年齢が近いこともあってか、入社以来よく話しかけてくれるし、色々と気にかけてれる。
「え?なんすか、全然大丈夫っすよ~」
「いやぁ? なんかいつもより元気なくね?」
「あー、ちょっと連休が楽しすぎて、まだ休み気分が抜けてないんすわ〜」
「ふーん……」
吉田さんの大きな瞳が、僕の顔をじーっと観察するように見つめてくる。
この人は本当に勘が良いというか、いつも僕の隠し事をなんでもお見通しのような、意地悪で鋭い目で見てくるから油断ができない。
「あ、そうだ!吉田さん、これ北海道のお土産です!皆さんで後で食べてください!」
渡しそびれていた『白い恋人』の箱を大慌てでバッグから取り出し、吉田さんの前に差し出した。
大の甘党である吉田さんの目が、目論見通りみるみるうちに子供みたいに輝き出す。
「え、これ定番のやつじゃん! なに、お前北海道行ってきたの!?」
吉田さんは早速嬉しそうに箱を開けると、中身の個数を数え、自分のノルマ以上の枚数をちゃっかりと自分のスーツのポケットにしまい込んだ。
「はい、温泉行ってゆっくりしてきました」
「ふーん、なるほどね。……もしかしてさ、それって営業部の曽野と?」
「え!……なんで、よく分かりましたね!?」
吉田さんは僕のデスクのパーテーションの隙間から、耳元に顔を近づけて小声で囁いてきた。
「……で、しちゃったんだ?」
ドクン、と心臓が冷たく跳ね上がった。
しちゃった、って。
「は??? ……な、なにがですか??!!」
動揺のあまり、裏返りそうな声を上げてしまう。
吉田さんはそれを見て、僕の反応を面白がるように肩を揺らした。
「うはははっ! お前まじで分かりやす〜」
「ちょ!マジで違いますから!!変な勘違いしないでください!!」
「だってさぁ、お前それ……」
吉田さんはクスクスと笑いながら、僕の首元を指差して、口角を片方だけ意地悪く上げた。
「な、なんすか、僕の首がどうしたんすか」
「シャツのボタン、全部留めないとギリ見えるぞ〜?」
そう言って、自分の分のお菓子を満足そうに齧りながら、椅子のキャスターを器用に滑らせて自分のデスクへと戻っていった。
心臓の音が、一気にうるさくなる。
僕は大慌てでスマホを取り出すと、内カメラの画面にして自分の首元を映し出した。
あー……もう嘘だろ、最悪……っ。
出勤時ははやちゃんの車の中だったから、一番上のボタンまで律儀に全部留めていたが、デスクワークを始めるとどうしても息苦しくなって、シャツのボタンを二つ外し、ネクタイを少しだけ緩めるのが僕のいつもの癖だった。
そのせいで、旅館でベッドの上でしゅんによって激しく、狂おしいほどに吸い付かれて付けられたあの真っ赤な愛痕の先端が、開いた肌の隙間からうっすらと外に覗き込んでしまっていた。
焦って吉田さんの方を見ると、案の定、彼はパーテーション越しにニヤニヤとこちらを見ていた。
顔が一気に沸騰したように熱くなっていく。
急いでシャツのボタンを一番上までキツく留め直し、ネクタイをぐっと締め上げて席を立つ。
僕は逃げるように、早歩きでフロアの奥の男子トイレに向かった。
あーもう、なんでバレるんだよ。
本当に嫌だ……恥ずかしすぎる。
手洗い場の大きな鏡の前に立ち、シャツの襟を少し広げて、赤黒く残るその痕をじっと見つめて確認していた、まさにその時だった。
カチャリ、と背後のドアが静かに開く。
鏡越しに視線を走らせた瞬間、全身の血が凍りついた。
よりにもよって、しゅんが丁度トイレに入ってきたところだった。
「っ、……」
しまった。
鏡の角度的に、僕がそこを気にしていたのを完全に見られてしまった。
「お、おう、しゅんじゃん……。元気……?」
動揺のあまり、声が裏返る。
これでは怪しさの塊だ。
「じゅう、それ……」
しゅんの声は、低く、掠れていた。
彼の大きな瞳の目線は、僕の隠し損ねた首元の『それ』へと、吸い付けられるように向けられている。
僕はもう、どんな顔をして彼と目を合わせればいいのかまったく分からなくなってしまって、ただ真っ赤に変色していく顔を隠すように、両手で顔を覆って縮こまった。
ふぅ、と。
頭上から、しゅんの小さく重いため息が聞こえた。
その音に、僕の身体が昨夜の恐怖を思い出してビクッと激しく反応する。
覆っていた両手を恐る恐る下ろして、鏡越しに彼を見た。
その瞬間、背筋にゾクッと冷たい電流が走る。
しゅんの瞳の奥には、朝のあの怯えて泣いていた子犬のような光は、どこにもなかった。
旅館で僕をベッドの上でめちゃくちゃに愛してくれた時と同じ、据わった男の目をしていた。
その強烈な視線の熱に当てられて、僕の心臓の鼓動がまたうるさいくらいに速くなっていく。
彼から目を逸らすことができない。
しゅんがじりじりと僕との距離を静かに詰めてくる。
その何が起こるか分からない焦れったいほどの遅さに、僕は生唾を飲み込んだ。
しゅんの大きな手のひらが僕の火照った頬にそっと触れようと空中に持ち上げられる。
その瞬間、トイレの個室の奥から自動で水が流れる無機質な音が盛大に響き渡った。
二人の身体が弾かれたように離れる。
僕は鏡の前に立ち、逃げるように自分の前髪を直した。
鏡に映る自分の顔は、耳の裏まで真っ赤に染まっていた。
「仕事終わり、経理部まで俺が迎えに行くな?」
すれ違いざま、僕の耳元にそれだけを低く響く声で残して、しゅんは足早にトイレを後にしていった。
静まり返った手洗い場に、一人取り残される。
僕は鏡に映る、呼吸を乱して唇を真っ赤にさせている自分自身の姿を見つめた。
今、僕は何を期待したのだろう。
はやちゃんにあんな酷い暴言を吐いてまで、一人で解決するって息巻いておいて。
しゅんに少し目を据えられただけで、こんなに身体の芯を熱くさせて欲情しかけているなんて。
そんな自分のどうしようもない矛盾と都合の良さになんとも言えない惨めな気持ちになりながら、僕は変な気分の熱を引きずったまま、トボトボと自分のデスクへと戻るのだった。
to be continued…
コメント
3件
またまたコメント失礼します🙇♀️更新早いですね!?びっくりしました…そしてなんか良い感じ(意味深)な展開になってて口角が凄いことになりました笑 毎回は出来ませんが定期的にコメントすると思いますのでよろしくお願いします🎶 あとマジで無理しないで下さいね!応援してます!
