スペインへのサッカー留学は、単なる通過点に過ぎなかった。目指しているのは世界一のストライカーになることであって、そのための適正な環境というのがたまたまスペインだった、というだけだ。
糸師冴は中学に進学する頃には、母国・日本のサッカーの、ヘドロの煮凝にこごりみたいな老害による同調圧力が支配する態勢に嫌気がさしていたし、未来への希望も抱けずにいた。このままでは日本のサッカーで世界と渡り合うなんてことは、夢のまた夢。沈みゆくドロ舟をどうにかしようなんて献身は持ち合わせてはいない。日本代表の座なんてものも、大してほしいとも思わない。要は冴は、日本のサッカーを見限ったのである。
そうして、己が描いた夢を実現すべく異国の地を踏んだ冴ではあったが、才能に溢れた彼にも異国の地の洗礼は浴びせかけられた。むしろ才能があったが故に、余計な軋轢を生んだのかもしれない。
冴は己が認めた人間は視界に入れたが、その枠組みに入れない人間には米ひと粒ほどの感心すら抱かなかった。クールビューティーとも揶揄された冴の態度は、残念ながら一定の人間の反感を買った。
人種故か、冴はスペイン国内ではさほど体格に恵まれた方ではなかった。体格差で競り負けない体幹の強さを手に入れるにはもう少し時間を要したため、渡西して一、二年は悪質なファウルを喰らってケガをしないように注意を払わなければならなかった。
さらには語学、寮での生活、食事…あらゆることが少しずつ冴の中にストレスとなって降り積もっていく。
一番冴を苦しめたのは、自分の中の〝ストライカーとしての資質〟であった。
冴はそれまで、自身が世界一のストライカーになるのはごく普通に語れる未来だった。けれど欧州五大リーグのひとつ、スペインにやってきて、わかってしまった。ストライカーとしての資質、生まれ持ったゴールへの嗅覚や執念が自分には足りないことを。
それを認めることは、非常に苦痛を伴った。
今のままでも、Jリーグは当然のこと、世界のクラブチームでもストライカーにはなれるだろう。そこそこの、と注釈が付く程度の。
けれど〝世界一〟にはなれない。
弟の凛が幼い日に見せたゴール前への飛び出し。
あれが世界一のストライカーになるための資質なのだとしたら、冴には持ち合わせのないものだ。
それでも、冴は資質のなさを努力で補おうと足掻いた。
そうして過度なストレスがかかった結果、彼は味覚を失った。
「……え、…さーえ……冴!」
「っ」
はっと顔を上げると、鼻先が擦れ合いそうなほどの距離に同居人の顔があった。
「すっげー眉間に皺よってんだけど、何かあった?」
人ひとり殺してそうな凶悪な顔、といいながら同居人――潔世一はからからと笑う。指を伸ばしてきて、冴の眉間を均ならすように撫でた。
「いや、ちょっと考え事してただけだ」
「ふぅん。考え事はいいけど、渋面はやめろよ。せっかくのイケメンが泣くぞ」
ま、怖い顔しててもイケメンだけど、と何の衒いもなく告げてくる潔に、顔の美醜に然して興味はないが、自身の顔が整っている自覚のある冴は、無意識にしていた渋面を解いて唇の端を上げた。
「これでいいか?」
「うっ」
基本表情筋が仕事放棄気味の冴の艶然とした笑みの直撃を受けて、潔が胸を押さえる。美人は立派な武器だ。凄艶さとは無縁――と本人は思っている――潔には先輩であり頼れる相棒であり、同居人でもある冴の美貌は何度見ても見慣れない。美人は三日で飽きるなんてことわざがあるけれど、冴の美しさは三日で飽きるほどのなまなかな容姿ではなかった。
「大袈裟だな」
「…わかっててやってくる癖に」
潔が唇を尖らせると、冴はその頭の後ろに手をやって、グッと引き寄せ唇を奪った。
「ん、…」
ソファーに座っている冴の横に片膝をつき、潔は冴の上に身を乗り上げる。触れ合うだけのキスが深みを増す。捻じ込まれた冴の舌が潔の口腔を蠢き、じゅるじゅると唾液を吸い上げる。
「ふ、ン、はぁ、ん……」
まるで味わい尽くすような濃厚な口づけに翻弄されて、潔の息が上がる。それと同時に敏感な口の中を丹念に嬲られると、若い性は簡単に快感を拾って兆してしまう。下肢の布地を持ち上げだした欲望と、同じように膨らんだ冴の下肢が擦れ、潔はビクンと大きく体を揺らした。
性交を覚えたばかりの体は、先に叩き込まれた悦楽を思い出して期待に震える。
「さ、ぇ…だめ…ぇ」
「じゅる……なぜ?」
潔の唾液を啜り上げた冴が不服そうに潔を見上げる。新橋色ターコイズブルーの瞳にはとろんと溶けた発情状態の潔の顔が映っていた。
「だってせっかく肉じゃが作ったのに……」
「あぁ。それはうまそうだ」
「だから先にご飯……ッ」
腰を押さえられ、体がひっくり返される。冴と入れ替わるようにソファーに押し倒された潔はのしかかってくる男を引き攣った顔で見上げた。
「今の流れでなんでこの体勢…!?」
「肉じゃがはちょっと時間置いた方が、味が染みて余計に美味くなるだろ」
「そ、れはそうかも、だけど」
「俺は先にお前が食いてぇ」
「うっ」
冴が情熱的に囁く。
何事にも淡々とした男が、潔だけを求めている。
喰い喰われ、ギブ&テイクな関係であっても、熱をもって求められれば、平素は人当たりがよく温和な潔に拒絶する術はなく。
「俺にとってはお前が一等のご馳走だ」
「…もう、誰彼構わずそういうこと言うなよ!?」
「言うわけねーだろ、タコ」
仕方ないなぁと観念した潔が体から力を抜く。
圧し掛かってくる冴の体重を感じながら、今日もスキンは使わないのかな、なんて思った。
◆◆◆
人類の中にはフォークと呼ばれる人間がいる。彼らの多くは後天的に味覚を失った人であり、フォークとなるメカニズムは未だにきちんと解明されていない。ただ通説として、過度なストレスなどで心のバランスが崩れた時にフォークになると言われている。
このフォークは昔から時折、殺人予備軍などと蔑称で呼ばれることもあった。というのも、フォークは一切の味覚を失うが、ごくごく一部の人間に対して食欲を覚えるのだ。体液はおろか、血肉の一片まで耐えがたいほどの食欲を沸き立たせる彼らのことを、通称ケーキと呼ぶ。フォークにとってケーキの体は唯一味覚を感じさせるものであり、口にすれば極上の甘さに至福を覚えるという。
ゆえに、抑制剤が開発されるまで、フォークによるケーキへの傷害、殺人事件は決して珍しいものではなかった。
渡西中、フォークになった冴のもとに、同郷の潔が同居人としてやってきたのは冴が十五、潔が十三の時だった。
寮の部屋は個室がふたつと共用スペースで定員二名一室が基本である。半年前まで冴にも同居人はいたが、彼は恋人のことに入り浸っていてほとんど寮には戻らなかったから、冴は実質ひとりで部屋を使っているようなものだった。やがてその男はチームから脱落し、冴の同居人は新たに決まることなくここまで来たのだったが、日本から新たにスカウトされてスペインの強豪クラブチーム、レ・アールの下部組織に入団することになった少年が空いていた冴の新しい同居人となった。
のだが。
潔はケーキだった。
初対面の瞬間から、抑制剤を飲んでいてなお、わかるほどの甘い香りが潔から漂ってきた。名乗りもソコソコに、冴は厳しい顔をした。
「お前、近寄んな」
「え?」
「俺はお前とよろしくする気はねぇって言ってんだ」
「…なんで?」
きょとんと問い返されて、冴は思わず言葉を失った。
大体において、冴の整った美貌で冷ややかに睥睨されれば、大概の人間は押し黙り、尻尾を巻いて逃げていく。
けれど潔はそんな迫力を意に介した様子もなく、初対面で拒絶する冴の態度に疑問を持っただけだった。そしてそれをストレートにきいてくる豪胆さを持っていた。
「……てめぇが危ねぇ目に遭うからだ」
「危ない目?」
「俺はフォークだ。そしてお前からは甘い匂いがする」
「え? そう?」
潔は目を瞬かせると、すんすんと鼻を鳴らして自分の腕の匂いを嗅いだ。「甘いかなぁ?」という能天気な反応に、冴は頭痛を覚えた。なんだこいつ、フォークのいない世界から来た異世界人か、なんて非現実的なことまで考えてしまう。
「お前はケーキだ。フォークである俺のそばにはいない方がいい」
「俺がケーキ……」
潔は驚きに目を見開いた。幸いなことに、潔はこれまでフォークに出逢ったことがなかった。だからこそ、自身がケーキであることを知らず、危機意識も低い。もっとも、それは彼の性格的な問題もあるかもしれないが。
「だけど抑制剤は飲んでるんじゃないの?」
「あ? 当たり前だろ」
「じゃあ、問題なくない?」
「大ありだろう」
何の警戒心もなくへらっとした笑みを浮かべてきた潔に、(こんな奴を野放しにしていいのか)と各方面に文句を言いたくなった。
「フォークだからっていちいち避けてたら、生きていけねぇだろ?」
「お前はフォークの理性を過信しすぎだな」
フォークになるメカニズムが解明されていない以上、全人類誰だって、いつ何時フォークになるかなんてわからない。ただ、白い目で見られてきた歴史があるから、フォークになった後、言い触らしたりするものではないので、冴がフォークであることを知っているのは両親と監督と口の堅いメディカルスタッフのみだ。
冴がケーキと出逢ったのは潔が初めてではない。ケーキは希少な存在だが全くいないわけではなく、街角ですれ違うこともある。けれど抑制剤のお陰なのか何なのか、これまでは本能的に相手がケーキだと察知しても、甘い匂いを感じたり、食欲を覚えたりしたことはなかった。少なくとも、潔に逢うまでは。
「そんなにヤバいの? 俺を齧りたい?」
「……そこまではねぇけど……」
「じゃあちゃんと理性、働いてるじゃん」
だから問題なし、と、潔はにっこり笑う。
「それに俺、この部屋追い出されたら行くとこねーし」
世界から見どころのある少年をスカウトしてきているレ・アールの寮は常にパンパンだ。たまたま半年間は冴の同居人がいなかっただけで、きたばっかりの少年の部屋替えを希望してもなかなか通らないだろう。
「部屋変わっても、そいつがフォークじゃないとは限らないじゃん」
「それはそうだが」
「だったらフォークだけどケーキの俺を気遣ってくれる冴がいい」
味覚を失い味気ない人生を送っているフォークにとってケーキは極上の存在。普通は見出した瞬間から囲いたがるものなのに、むしろ危機感を覚えさせて距離を取ろうとした冴に潔は好感を持った。
「というわけでよろしくな、冴」
「……勝手にしろ」
こうして、ふたりは同居人になった。
冴は意外にも面倒見がいい男で何くれと潔を助けてくれた(他のチームメイトはその様子を二度見、三度見していたが)ため、潔はすぐに冴に懐いた。
語学も、そのころにはすでに堪能になっていた冴に教えてもらった潔はなんなく操れるようになったし、フィールド外では温和で人好きがする少年なのに、ひと度フィールドに立つとよくもそこまで、というほど苛烈なレスポンスバトルを繰り広げられるようになった。チームメイトはおとなしめでかわいらしい潔の口から飛び出る過激ワードの数々に、「冴のせいで俺らの天使の口がどんどん悪くなる…!」と嘆いたけれど、冴からしてみれば「ンな言葉、俺は教えてねぇ」ととんだ冤罪だった。
それはさておき、冴のお陰で大した障害なく生活できている潔にとって、目下の課題は食事だった。
基本的に適応能力は高い方である。それにスペイン料理が口に合わないと言うこともない。
ただ時々、無性に和食が食べたくなる。
潔は一念発起した。
母親から調味料と道具、レシピを送ってもらい、小学校の家庭科の授業以来の料理にチャレンジする。
「何してんだ?」
潔が共有スペースの簡易キッチンで悪戦苦闘していると、自室から出てきた冴が潔の肩越しに手元を覗き込んできた。
「……朝ごはん…のつもり」
潔はたはは、と笑いながら黄色よりも茶色い部分が目立つ自称:卵焼きをフライパンから皿に移した。
「俺の分もあるか?」
「え、一応あるけど…たぶんあんまり美味しくないよ?」
フォークである冴は味覚がないので味の良し悪しは正直あまり関係ないが、食感はある。
共有スペースのテーブルに並べた潔作の朝食は母親が送ってくれた炊飯器で炊いたはずなのにどこか芯が残っている白ご飯と、味噌の味はするけどコクがなく妙に薄いみそ汁、焦げ目が勝つ上に卵の殻も入ってしまった形の歪な卵焼き、所々崩れているが唯一なんとか見栄えのする焼き鮭。海苔は市販のものをそのまま出しているので安全ではある。
「いただきまーす……」
「いただきます」
作ったものの責任、でしおしおと手を合わせる潔とは違い、冴は淡々とした中にどこか期待が見える。
「…うう、やっぱ失敗…」
卵焼きが口の中でじゃりっと音を立てる。潔が顔を顰める横で、みそ汁に手を付けた冴は珍しく新橋色の眼を見開いた。
「味がする…」
「え」
「…うまい……そうか、味ってこういうものだったな」
冴はそういうと、非常に闊達に食事を始めた。普段の『取り敢えず栄養を摂っておくか』ぐらいの気だるい感じは一切ない。お世辞にも良い出来とは言えないご飯をもりもり食べていく。
「フォークが治った……てこと?」
じっと見つめられて卵焼きを譲ると、冴は嬉しそうに口に運んだ。
その箸が海苔を攫う。海苔だけを単独で齧った冴は「これは味がしねぇ」と呟いた。
今度は海苔をご飯に巻いて食べる。と、「海苔の味だな」と優美な睫毛を瞬かせた。
「一度フォークになったら治ることはねぇらしい。だからこれは仮説だが…ケーキであるお前が作ったもんなら味がするのかもな」
「でもそれだったら、フォーク専用の料理とか売ってそうなものなのに」
フォークがケーキの料理で満たされるのなら、フォークが味覚を求めてケーキを襲うことは減らせるはずだ。けれどそんな話は聞いたことがない。
「今日はオフだったな。あとでメディカルスタッフに連絡を取ってみる」
取り敢えずは食事に集中と、冴が箸を握り直す。
そんな彼を見ながら、もしそれが本当なら、もっと料理の腕を磨かないと、と思う潔だった。
◆◆◆
本来、捕食と被食の関係にあるフォークとケーキであるが、ごく稀に〝対つい〟となる組み合わせがあるという。ケーキの体液、血肉以外には味覚を感じないはずのフォークが、相性が良い〝対〟のケーキが作る料理にだけは味を感じるというものだ。
都市伝説だと思ってたんだけど、実在するんだね、と冴と潔に面談したメディカルスタッフは驚いたような顔をした。
「いずれにしても、料理を味わえると言うことは精神的な安定に繋がるから、ヨイチの負担にならない範囲で料理を作ってあげるのはいいことだと思うよ」
朝の冴の反応から、すでに覚悟を決めていた潔はコクンと頷く。
こうして潔の料理修業は始まった。
潔はコツさえ掴めばわりと器用にできる方だった。
冴は己とは違ってストライカーの資質を備え、獰猛に苛烈にゴールを狙う潔に魅了されていた上に、がっつり胃袋まで掴まれて、もはや脳内は『潔を嫁にする』一択になっていた。
世界の壁に押しつぶされそうになっていた冴に引導を渡したのは、ある意味、潔の存在だった。冴は遅れて異国の地にやってきた潔に『世界一のストライカー』になる資質を見出し、自分の中でようやく折り合いをつけることができたのだ。すなわち、『世界一のミッドフィルダー』になるという夢への書き換えを。
冴は潔の手料理によって味気ない食事からは脱却できたが、それはそれとして、潔への欲は募る一方だった。なにせ〝対〟と言われるほどの相性のいい相手だ。抑制剤を飲んでいても甘い香りが漂うし、肌を伝う汗なんか、滅茶苦茶美味しそうに見える。タオルで拭うぐらいなら舐めさせろ、と思う。が、相手はまだ色恋沙汰の何たるかも理解していないようなお子様だ。冴はぐっと我慢していた。
その我慢のタガが外れたのは、潔が間もなく十四歳になる、という春先のことだった。
早朝のロードワークのために早々と目を醒ました冴は、いつもなら共有スペースで朝ごはんの支度にとりかかっている潔の姿がないのを不思議に思い、彼の部屋の戸を叩いた。
「潔、寝てるのか?」
「……ぇ、ぐす……」
応えは涙声で、冴は「入るぞ」と声をかけて戸を開いた。
途端、噎せ返るような甘い匂いが冴を襲った
くらりと脳が揺れそうになりながら、ベッドの上に蹲ってべしょべしょ泣いている潔の元へ歩みを進める。
「怖い夢でも見たのか…?」
頬を伝う涙が美味そうだ。
だがそれよりももっと冴の欲望を刺激するのは、潔の下肢から放たれる匂いだった。
「ちがぅ、んだ…冴、俺病気になっちゃったのかも……」
潔はさらにぶわりと矢車菊色コーンフラワーブルーの眼から涙をこぼした。
冴は身を屈め、潔の涙を唇で受け止める。初めて直接味わうケーキの体液に歓喜しつつも、理性を総動員し、潔を慰めることに注力する。
「朝起きたら、ここから、なにか白いものが出てて……」
がつん、と強烈に頭を殴られたような気分だった。
「お前、もしかして精通、まだだったのか……?」
「せいつう…?」
ナニソレ、というようにこてんと小首を傾げられて、冴は日本の性教育に対して疑問を抱いた。サッカー馬鹿な自覚のある冴でさえ、性知識は兼ね備えている。食指が動かなかったから実戦はないが、適度に処理はしている。まぁもっぱら最近のオカズは潔であるが、それはそれとして。
「…潔、安心しろ、これは病気じゃない。むしろ男としては正常なことだ」
冴は潔に男の生理現象について説明した。実弟の凛にすらしたことのない説明を。
「後始末しねぇと気持ちが悪いだろ」
冴は潔が下肢にかけていた布団をまくり、白濁の体液に塗れた下肢を露わにした。
ごく、と喉が鳴る。
野郎の出したものなど、触るのも見るのも嫌だ。けれどケーキであり、想い人でもある潔のソレを前に、舐めたい、味わいたいという気持ちがむくむくと高まる。
ティッシュで拭いて捨ててしまうぐらいなら。
「なぁ、潔、これ、俺が綺麗にしてもいいか?」
ちらりと舌を閃かせ、潔の顔を覗き込むと。
精通は知らなかったが、冴の意図は分かった潔は顔を真っ赤に染めながら、コクン、と頷いた。
一度触れれば、味わえば、歯止めは利かなくなる。
潔の処理は冴が請け負うようになり、性感を高めるためのキスや触れ合いは常態化し。
潔の体に触れる度に昂る冴を潔が鎮めるようになれば、快感に従順で若者らしい好奇心と探求心も持っていたふたりがお互いの体に溺れるのはさして時間を要しなかった。
ふたりの事情を知っているメディカルスタッフから、冴にも潔にもメリットのある情報がもたらされたのは、潔の帰国があと三ヶ月に迫るころのことだった。
対のフォークがケーキの胎内に直接射精することで、他のフォークがそのケーキの存在を認識できなくなる、いわばマーキング行為。
国が離れれば、今までのように冴が他のフォークから潔を守ることはできなくなる。だがマーキングをすれば、潔の危険を減らせる。
体への負担を考えてインサートを伴うセックスをほとんどしていなかったふたりだったが、中出しセックスの利点を述べる冴に、帰国後もなんの憂いもなくのびのびサッカーをすることが最優先だった潔はあっさり頷いた。
――冴にとって大誤算だったのは、潔がこの行為をギブ&テイクである、と認識していたことだった。
好きだとか愛してるとか、言葉少ないながらきちんと伝え、態度にも示していたし、潔が日本に帰った後も、自分の家族よりも頻繁に潔家と交流して外堀は完全に埋め立てていたはずなのに、他人の感情の機微には敏いくせに自分に向けられるあれこれはクソ鈍感極まれりな潔は、なんと冴の愛情表現をリップサービスだと思っていたのである。
その齟齬が明らかになり、怒髪天を突くことになるとは、さすがの冴も予想していなかった。
彼が、恋人と認識していた潔と実弟である凛の関係を知るまで、あと―――……
【終】
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