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「ではこれで一連の新入社員研修は終了です。明日からは各配属先での勤務となりますので、皆さん気持ちを引き締めて頑張ってください」
「「ありがとうございました」」
講師を務めてくださった先輩の言葉に、新入社員全員でお礼を言い2ヶ月にわたった研修が終了した。
この後、明日には配属先が発表されて実際の勤務に就くことになる。
「琴子、この後予定がある?」
帰り支度を終えたところで、麗が訊いてきた。
「別にないけれど、」
「じゃあ、家で飲もうよ。ママが、仕事の打ち上げでお酒をたくさんもらってきたの。翼も来るから。いいでしょう?」
「いいけど。お邪魔して大丈夫?」
確か、麗のお父さんは自宅で出筆活動をしているはず。邪魔してもいいんだろうか?
「いいの。パパは締め切り前で、ホテルに缶詰だから。今日はいないのよ」
なるほど。
「翼、7時にうちのマンションよ。場所分かるわね?」
すでに立ち上がっている翼に、麗が声をかける。
一方翼は、OKと手で合図をして出て行った。
「じゃあ、私もお邪魔するね。何か持って行こうか?」
さすがに手ぶらじゃ申し訳ない。
「いいの。食べるものはばあやに頼んできたから」
はーん、ばあやね。
時々忘れそうになるけれど、麗もいいところのお嬢さんだった。
彼女の言う『ばあや』とは、麗が生まれたときからいるお手伝いさんで、忙しいお母さんに変わって麗を育てたような人なんだとか。
今は通いで週に何度か来るらしいけれど、麗が高校までは住み込みで世話をしてくれたらしい。
お金持ちって、庶民には想像できない生活があるのね。
***
その後、麗と別れた私は麗の家に寄るから遅くなると奥様に連絡した。
一人暮らしが長かったせいか、家に連絡を入れるとか時間を気にするとかってことにまだ慣れない。
もちろん心配してもらうのはありがたいとと思うけれど、平石家にいる自分が場違いな気がしてどこか落ち着かない。
「あれ、藤沢」
駅前のデパートでお土産のマカロンを買い麗のマンションの近くまで来たところで、背後から声が掛かった。
ん?
振り返ると、綺麗なお花を持った翼が立っている。
「藤沢も橘の家に行くんだろ?」
「うん。翼もでしょ?」
「ああ」
と、持っていたお花を見せる。
「わー、綺麗なアレンジフラワー」
私も何を持ってこようかと随分悩んだ。
お酒はあるって言っていたし、食事もばあやさんが用意しているからとマカロンにした。
でも、翼のようにお花って選択肢もあったのね。
***
結局、私と翼は一緒にマンションまでやって来た。
都心の一等地に立つ高層マンションの最上階が麗の家。
マンションのチャイムを鳴らし、コンシェルジュも常駐するエントランスを通って、私と翼はエレベーターに乗り込んだ。
「いらっしゃい」
玄関を開け、満面の笑顔で麗が迎えてくれる。
「お邪魔します」
通された麗の部屋は、白を基調にしたシンプルなレイアウト。
置かれている物も少なくて、すっきりした印象がいかにも麗らしい部屋だ。
「あれ、ベットとソファーが私の部屋と一緒」
部屋に入ってすぐに、思わず声が出た。
よく見たら机も同じだし、カーテンも絨毯も色違い。
偶然にしては出来すぎているような・・・
「当たり前でしょ。琴子の部屋のインテリアは私が選んだから」
はあ?
それは初耳。
「私は聞いてないよ」
「琴子が来る前に、賢兄とおばさまに頼まれて私が選んだのよ」
「そうだったの。知らなかった」
確かに、最初から全てそろっていてビックリした覚えがある。
私の知らないところで、準備してくれていたのね。
「とにかく、食事にしましょ。2人ともご飯はまだでしょ?」
「うん」
***
ばあやさんが用意してくれた料理は絶品だった。
麗も翼も私もおなか一杯食べて飲み、ここぞとばかり同期や先輩の噂話をして笑い合った。
「翼、グラスが空よ」
だいぶお酒の回って来た麗がワインを注ぎ、翼も嫌がるわけでもなくグラスを空ける。
さっきからその繰り返し。
「翼、お酒強いのね」
呟いた私に、
「昔から飲んでるしね。キャリアが違うよ」
なんだか自慢げに言う翼。
キャリアって・・・
それって、あまり自慢にはならない気がするけれど。
「でも、お前達も女子にしては強い方だよ」
私と麗を交互に見る翼も楽しそう。
「私は、ママがお酒好きだから。遺伝かな?」
と、お酒で頬を赤らめた麗が答える。
「私は・・・何でだろうね」
言えなかった。
きっと翼と同じような理由だと思うけれど、今はまだ話すことができない。
***
「ただいま」
10時を回った頃、玄関から声がした。
「あれ、ママかな?」
言いながらも、麗は動く様子もなくワインを飲み続けている。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るわ」
チラッと時計を確認した翼が立ちあがり、テーブルの上を片付け始める。
確かに明日も仕事だしそろそろ帰る時間かなと、私も散らかったごみを集め始めた。
しかし、
「ちょっと、何してるの。まだまだ飲むわよ」
麗が、私の鞄を取り上げる。
「麗、もう遅いし。明日も仕事だし」
「ダメよ、やっと地獄の新人研修が終わったんだから、今夜は飲むのよ」
私が必死に説得するけれど、麗は酔っ払っていて聞きそうにない。
「じゃあ、俺は帰るわ。ごちそうさまでした」
そうこうしているうちに、私を残したまま翼が部屋を出て行った。
ずるいー。
立ちあがろうとした腕を麗につかまれてしまった私は、再び腰を下ろした。
「どうも、お邪魔しました」
「あら、あなた。・・・またいらっしゃい」
廊下から麗のママと翼の会話が聞こえてきた。
***
「こんばんは、琴子ちゃん。遠慮せずにゆっくりしていってね」
しばらくして、麗のママが部屋に顔を覗かせた。
「はい。ありがとうございます」
すでにだいぶお酒に入った私は、座ったままでぺこりと頭を下げる。
「ママ、翼を知っているの?」
先ほど聞こえてきた会話が気になったのか、麗が尋ねると、
「知ってるわよ。麗こそ、どんな知り合い?」
逆にママが訊く。
ママの口ぶりから何か言いにくいことがあるのだろうかと、私は感じた。
「翼は会社の同期よ。気があうから、3人で仲良くしているの」
「そう。じゃあ彼、あの頃はまだ学生だったのね」
不思議そうな顔をしたママがつぶやいた。
「ママは翼とどういう知り合いなの?」
やはり麗も気になるらしい。
「彼は私が行きつけにしているクラブにいた子よ。もう4年くらい前から働いていたと思うわ。今年の新卒って事は、当時は未成年だったのね。とてもそうは見えなかったけれど・・・」
当時を思い出し感慨深そうなママ。
「ホストだったの?」
「まあ、それに近い店ね」
それを聞いて、さすがの麗も黙り込んでしまった。
へー、ホストをしていたのか。
私も薄々察してはいた。
日の当たる明るい場所だけを歩いてきた人間でないのは感じ取ってもいた。
それでも、聞いてしまえばショックではある。
「琴子、この事は翼には内緒にしよう。話したくなれば、自分から言うでしょうから。それまでは黙っていましょう」
「うん。それがいいと思う」
私も同意見だ。
翼の過去がどうであれそれを詮索するつもりもない。
人にはそれぞれ事情ってものがあるのだから、他人がとやかく言うべきでないとも思う。
実際、私にも詮索されたくない過去はあるわけだし。
「ほら、琴子飲みなさい。今日は朝まで飲むわよ」
残っていたワインをグラス一杯に注ぐ麗。
「もー、明日も仕事なのに」
などと言いながら、それでも私はグラスに口をつけた。
***
結局、麗の部屋で寝込んでしまい朝を迎えた。
家には麗のママが連絡をしてくれたけれど、明け方近くまで飲んでいたせいか二日酔いで体がだるい。
「琴子ちゃん。麗。朝食はどうするの?」
時刻は午前6時。
そろそろ起きないと、会社に間に合わない時間。
でも・・・頭が痛い。
「琴子、食べられる?」
私と同じ頭を抱えた麗が聞いてくるけれど、
「無理。シャワーだけ借りて仕事に行くわ」
「私も」
麗もまだお酒が抜けないらしい。
その後出社時間ギリギリまで寝て、麗のママに車で送ってもらった私たちは何とか出勤した。
***
辞令交付のため会議室に集められた新入社員達の列に、定時ギリギリに滑り込みセーフで出社した私と麗も並んだ。
ここで辞令をもらいそのまま配属先に行く予定になっていた。
しかし・・・
ゆっくりと私と麗に向かって近づいてくる三崎さんを見て、
ドキッ。
とした時には遅かった。
「立花さん。藤沢さん。ちょっと来てください」
いつものように感情のこもらない声。
私も麗も抵抗することはできず、会議室を出て行く三崎さんの後に続いた。
廊下を進み、角を曲がり、エレベーターを上がり、連れて来られたのは専務室。
重たい扉が開けられ、勧められるまま部屋に入ると、そこにはやはり賢介さんがいた。
***
「座って」
穏やかな口調で、ソファーを勧める賢介さん。
私たちは素直に腰を降ろした。
「麗のママから聞いたけれど、二日酔いだって?」
おかしそうに、私と麗の顔を見ている。
「ごめんなさい」
「すみません」
私達はそろって頭を下げた。
「困った新人さんだなあ。これじゃあ仕事にならないじゃないか」
「・・・」
何も言い返す言葉がない。
入社したばかりの新入社員が二日酔いで出勤なんてほめられたことではないし、社会人として自覚の足りない行動だとも思う。
叱られるのも当然のことだ。
それでも、二日酔いで仕事を休む訳にはいかない。
「大丈夫です。仕事はちゃんと出来ますから」
私はつい立ち上がり、力説してしまった。
二日酔いなのは事実。頭も痛いし、体も重い。
だからと言って仕事ができないわけではない。多少辛くても、無理してでも仕事をするつもりで、私も麗も出社した。
「体調が悪いのに無理したらダメだよ」
賢介さんが、ジーッと見ている。
「でも、帰ったら奥様がもっと心配しますから」
何とか仕事に戻りたくて、私は必死で訴えた。
「それは・・・」
私の気迫が伝わったのか、賢介さんは考え込んでしまった。
「賢兄、私達は本当に大丈夫だから」
麗も私と同じ思いらしい。
「わかった。後は史也に任せるから、彼の指示に従って。僕も今から会議で手が離せないんだ」
「ごめんなさい」
賢介さんが忙しいのは分かっているのに、手を取ってしまったのが申し訳ないなくて謝った。
「史也、悪いけれどあとは任せるよ」
「承知しました。では、2人はこちらに」
三崎さんに連れられて、私たちは専務室を出た。
***
連れてこられたのは、秘書室の片隅にあるデスク。
「辞令交付の日に二日酔いとはね」
呆れたように言われ、
「「すみません」」
2人で小さくなった。
「まあ、専務の指示だから今日の事は不問に付しましょう。本来だったら始末書ものですよ」
そう言うと、今日はここで勤務時間を過ごすようにと指示された。
何もせず、ただ座っているたけの時間。
怒られはしなくても、何もせず一日を過ごすのは辛かった。けれど仕方ない。
全ては自業自得、自分が蒔いた種なのだから。
私も麗も行き交う秘書室の先輩達に笑われながら、その日一日を秘書室で過ごした。
***
「お疲れ様」
勤務終了後、社員通用口で翼が待っていた。
「もー。1人だけ逃げて、ずるい」
麗が口をとがらせる。
「平日に二日酔いって、社会人として自覚なさ過ぎだろう」
翼が笑ってる。
「とにかく、翼がずるい奴って事は分かったわ」
私も文句を言いながら、3人で駅へ向う。
会社の中で、私が社長宅に住んでいると知っているのは、麗と翼と三崎さんだけ。
今日も、「お嬢さんは大変ね」なんて麗が嫌みを言われ、「あなたも付き合う友達を選びなさい」と私には同情の視線が向けられた。
どちらかと言えば、私のせいなのに・・・
「ごめんね、麗」
「何で琴子が謝るの。うちのママが告げ口したのよ」
あっけらかんと笑い飛ばす麗に救われる。
「じゃあ、また明日ね」
それぞれに手を振り、私達は自宅へと向かう電車に乗り込んだ。