カチリ、とキーボードを打つ音だけが、薄暗い部屋に響いていた。
画面に映るのは、黒背景に整然と並ぶユーザーネームと再生数。無数の音が、世界のどこかからこのサイトに投げ込まれ、誰かの耳へと届いていた。
──SoundAxis。
知る人ぞ知る音楽投稿サイト。メジャーの影に隠れた、アマチュアたちの実験場。
「ふう……」
僕はマグカップのぬるくなったココアを一口飲んで、ひと息つく。
プロフィールに表示されたアイコン、その下には小さく、“moto_omr”とあった。
僕の投稿したオリジナル曲、「ミノタウロスの雨」はじわじわと再生数を伸ばしていたが、それよりも気になることがあった。
「またギターだけの投稿……なのに、すごい」
最近、彼の通知欄をよく賑わせる投稿者がいる。
“hwk_46”という名前のギタリスト。ボーカルは一切ない。ただ、ギター一本でまるで言葉のように感情を奏でてくる。
──なんで、こんなに痛いところ突いてくるんだろう。
胸の内側をなぞられるような感覚が、彼の好奇心を煽った。気づけば、コメントに指が伸びていた。
moto_omr:音、心に沁みました。もし良ければ、何か一緒にやってみませんか?
送信ボタンを押したあと、脈が微かに早くなるのを感じる。
無視されるかもしれないし、断られるかもしれない。けれど、今はそれでもいい気がした。
一方その頃──。
都内のどこか、電車の音が時折窓を震わせるマンションの一室。
俺はソファに浅く腰掛け、ヘッドホンを外すと、目を細めた。
「……まじか」
ノイズ混じりの再生リストの中に、澄んだ声がひときわ鮮烈に響いていた。
“moto_omr”。先日、たまたま巡回中に出会ったボーカリスト。
俺はその声に、久しく感じたことのなかった“焦り”を覚えていた。
だから、コラボの申し出は──まるでこちらの胸中を見透かされたかのようで。
「面白い奴だな」
キーボードに手を伸ばす。
hwk_46:是非。声、凄い好きです。
それだけを打ち込んで、Enterキーを押した。
夜が、音を帯びて、少しだけ明るくなる。
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