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一年生の頃だった。ひ弱で病弱だったからだろう。すぐに三島たちのグループに目をつけられた。教科書などの私物はビリビリに破られ、時には殴られていた。
特に僕の家庭はあまり裕福ではなかったから、母に教科書を買ってくれとも言えず、金やバスのICカードを奪い取られた時は、歩いて帰る他なかった。
「碧波くん、最近、歩いて帰ってるよね?」
担任の29歳の若手女性教諭、雪路真由が言った。
「ええ、家が近いですので」
雪路は言った。
「ああ、そう。でもね、あたしすこーし不思議でね。あんなに真面目だったのに、最近忘れ物が増えてきてるよね?財布を三島たちに奪われているのも見てるけど?」
「放っておいてください。それが、いい。」
あの雨の日だった。その忠告を聞きもせず、彼女は三島に喧嘩を売った。
「あのさ、あんたたち。退学だよ?分かってる?碧波くんに罪はないじゃない?」
ずっとこの調子で長々と説教が続いている。
「何言ってんすか。こんなお下がりのお下がりのお下がりのお下がりくらいのボロの制服着てたら、浮くのも当然でしょ」
雪路は、確かにとでも言いたげな表情をした。
「ほら、もういいっしょ?オレ帰るわ」
教室は静まりかえってしまった。ザーザーと雨がうるさく吠えている。僕は群青色の空を一人で見ていた。
仕事に疲れ果てた女性教諭はこう言った。
「新しい制服、買ったほうがいいわよ。それくらい買えるでしょ」
魅麗が入院して数週間後の放課後、運動靴の紐をきつくしめて、坂道を下った。原付バイクの群れが、僕を追い抜いていく。
「碧波さん、今日も来てくださいね」
いかめしい顔の奴らが、敬語口調で話しかけてくる。
「待ってろよ、すぐ来るさ」
裏のボス、誇らしい肩書きだ。
風紀委員会にももう長いこと顔を出していない。魅麗は退院したろうか。全く話を聞かされていない。
「先輩。」
そう呼ばれたような気がして思わず急ブレーキをかけてしまった。振り返ると、本当に呼ばれていたらしく、少女が立っていた。
嗚呼。痛々しい。
「あの、駅まで一緒にいきません?」
桃畑魅麗は、そんなことを言った。
「ああ……」
少し、話したいことがあるのです……と
彼女は口にした。どきりとした。
「あの、話したいことがあって。」
彼女が話しかけてくる時は大抵いい理由ではない。もちろんそれは自分の行いのせいなのだが。
「どうしてこんなに、成績優秀だし、先生方からの信頼もあるのに悪いことをするのですか」
悪いこと、か。
「あ、みんなにも私が怪我したことことは誰にも言わないように口止めしてますから。退学になったらわたしも悲しいので。」
「悲しくなんかないさ」
魅麗がえ、と顔を上げる。
「何が悲しいんだよ。悪い奴は追放しろよ!」
申し訳ない、では言い尽くせないのに、何故、処分すら貴方はしてくれないのか。
「嫌です!それでまたひとりあたりの仕事量が増えて螺鈿先輩が病んだら、今度は委員会の仕事全部わたし一人でやらないといけないんですけど?」
「わたしの身にもなってみてください!顔に怪我させられるわ、退学されて後味も悪いわ、そんなの嫌なんですけど?」
「ごめん、本当に。」
「謝罪の言葉なんて今更聞かされても何も変わりませんけど。」
しばらく、沈黙が続く。息が詰まる。
「魅麗、その。」
「はい?」
ふてくされたように彼女が言った。
ごめん、という言葉を彼女は求めていないのだろう。彼女は僕のことを許してはくれない。免じることなどしてくれないだろう。
「悪かった。」
ご満悦らしく、魅麗はガーゼで半分隠れた顔を全部使って笑った。
「わたし30本縫ったんですよ。ほら、おわびとしてなんかおごってください。」
嗚呼こんな状況だ。うちの経済状況なんて、関係ない。
「ああ、なんでも買うさ」
「じゃ、わたし、あの缶ジュースほしいです」
「ああ……」
「ほら、百八十円、それくらいなら持ってますよね?」
脅すように言いながら、彼女は自動販売機のガラスに映る自分の顔を見ながら微かに目に涙を溜めていた。
「いや……」
「えー?じゃあ買ってもらえないじゃないですか。螺鈿先輩も言ってましたよ。女の子の顔に傷をつけるのは重罪って。」
「傷ついても付かなくても大して変わらないだろ」
「それ怪我させた方が言います?この貧乏め!心まで貧乏っ!」
貧乏だと言われて、悲しくなかったのは初めてだった。心が貧乏というのは、多少心外ではあったが。
魅麗は綺麗だった。美少年と呼ばれる僕や、誰よりも魅力的だとまで言われる螺鈿よりも。
彼女は缶ジュースなど欲しくないのだろう。
「じゃ来週のテスト、要点教えてやるよ。」
自分が意図せずそう呟いていたことに驚いた。
魅麗はその言葉に頷いて、嬉しそうにした。
「じゃ、喫茶店で勉強したいですっ!」
「分かった、奢るよ」
魅麗は不思議そうな顔をした。
「だってお金……」
「貧乏人でも労働は出来るさ。喫茶店に一週間のバイトで許してもらえるよう許可取ってみるよ。」
学生鞄を背負い直して、喫茶店へ向かった。
もはや、定番となりつつあるあの店。
とは言っても、一番安いブラックコーヒーしか頼んだことがないのだが。
「じゃ、今日は夏のパイナップルとかき氷のスペシャルパフェで!」
「魅麗、言っておくが頼みすぎるなよ。」
ふぁーい、と彼女が返事をする。
「明日のテスト、教えて欲しいです!この前のテスト赤点ギリ回避だったし!」
「魅麗、それは……。一年からその成績は少しまずいぞ」
「それを学年一桁にするのが先輩の仕事であり贖罪なのです!」
あっそ……
それでいいなら。
いや、それでいいわけがない。
変わらなきゃ。
魅麗は重いカバンを持ちながらスキップしていた。人を恨まない。人を呪わば穴二つ。
ああ、そうか、贖罪しなければ。
変わりたかった。違う、逃れたかっただけなのかもしれない。
でも、あんなことになるなんて……