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夜が、静かすぎた。蓮司の隣で目を閉じても、眠れるはずがなかった。
息をするたび、誰かの声が、記憶の底でざわめいた。
(“生きてたじゃねえか”……)
日下部のあの言葉。
それが、頭の中を何度も反響して、遥は思わず耳を塞いだ。
──“生きてた”って、なんだよ。
俺は、生きてたのか。
じゃああれは、なんだったんだ。
あの毎日、頬を打たれ、目を見て笑われ、手を縛られて、
「おまえには価値があるんだよ」って、言われながら何度も踏みにじられたあの時間は。
“生きてた”って言葉で、全部なかったことにされるのか?
俺はずっと、考えてた。
ただ壊れてたわけじゃない。
ただ流されてたわけじゃない。
どうしたら、壊れずに済むか。
どうしたら、相手の怒りを避けられるか。
どうしたら、“見逃してもらえる側”になれるか。
怯えてばかりじゃなかった。
抵抗しようとしたことだって、ある。
沙耶香に「やめて」って言ったことがある。
玲央菜の前で、目を逸らさなかったことも。
晃司の手から逃げようとして、夜の街に出たことも。
でも、いつも「なにしてんの?」って笑われた。
“そんなことしたって無駄”って目をされた。
それでも、考えてたんだ。
どうすれば、自分が人間でいられるかを。
どうすれば、“意味”のある存在になれるかを。
どうすれば、どこかに「ここにいていい」と思える瞬間をつくれるかを。
──でも、それができなかった。
努力が足りなかったんじゃない。
“望まれなかった”だけだ。
俺という人間が、どこでも。
だから、演技を始めた。
“壊れてる自分”というキャラに逃げた。
「なんでもいいよ」って笑う自分を、つくった。
殴られても、汚されても、「まあ、そういうもんでしょ」って。
それを“楽だ”と思ってた。
でも、違った。
演技を続けてるうちに、
本当に、何が本物なのかわからなくなった。
蓮司といるとき、俺は恋人のふりをする。
でも、たまに、蓮司が本当に俺を見てるような顔をすると、
──怖くなる。
(見られたくない)
そう思う。
でも、
(見てほしい)
とも、思う。
それが気持ち悪い。
自分で自分が。
あれだけ逃げた日下部にも、
あの“何もしなかった一週間”が、
なぜか、今も心の奥で残ってる。
何もされなかったことが、怖かった。
「ただの人間」として扱われたことが、
いちばん異物だった。
優しさに怯えて、期待を潰して──
それでも、なにかを、まだどこかで欲しがってる。
(なあ、俺は……なにを欲しがってるんだ?)
“愛されたい”なんて、ちゃんちゃらおかしい。
“救われたい”なんて、嘘に決まってる。
“信じたい”なんて、そんな勇気はもうどこにもない。
でも、
でも──
「お前、生きてた」って言葉が、
どうして、こんなに刺さるんだよ。
──生きてきたよ。
無様に。
惨めに。
笑われて、壊されて、それでも。
それでも、「死ななかった」ことを、
どうして責められるみたいな気持ちになるんだ。
俺は──
何を信じたかった?
何に期待して、何を諦めた?
もう、わからない。
ただ、わからないまま、朝が来るのが怖い。
目を覚ましたらまた、
「恋人のふり」をしなくちゃいけないから。
──俺は、
いったい、誰の人生を生きてるんだ。