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教室は明るすぎた。蛍光灯が、皮膚の色まで薄くする。
蓮司の隣に座ると、いつもより世界が遠ざかる気がした。
笑う。
見られてるから。
触れられる。
演技だから。
──はずだった。
蓮司が机の下で指先を重ねてくる。
遥は、逃げない。
受け入れる。
演技だから。そう、演技だった。
でもその日──
日下部が教室に入ってきた瞬間、すべてが揺れた。
まっすぐ、遥を見た。
何も言わないくせに、目が言う。
「……なんで、そんなことしている」
「やめろよ、そんな顔」
──やめられたら、やってない。
蓮司がいつものように言った。
「今日、なに着てく? おれんち行くなら、制服のままの方が興奮する?」
クラスの女子たちがざわつく。
蔑むような、引いたような、けれどどこか哀れむ目線。
遥は笑った。
いつもより、少し力んだ。
歯の裏に血の味がした。
「蓮司の好きにしていいよ。……俺、全部、あげるから」
ふざけたように。
それでいて、笑いながら、蓮司の手首を掴んだ。
教室がざわめく。
「マジでやばい」「あいつ……」
日下部は視線を外さなかった。
唇が少しだけ、きゅっと歪んでいた。
──その顔が、いちばん苦しい。
何もされない地獄を知ってる遥は、
“何もされなかった”日下部の優しさを、
「暴力より怖い」と知ってる。
暴力は拒絶できる。
罵声は、殴られたほうがマシだと思えば耐えられる。
でも──優しさは、
その中にいる「まともな自分」を見つけてしまう。
その1週間、日下部の家で。
されたことは、何もなかった。
それが地獄だった。
パンも温かく、布団も柔らかく、声は穏やかだった。
「寝てていいよ」
「なにも言わなくていいから」
遥はその夜、布団の中でずっと震えていた。
──なにもされないってことは、「されて当たり前」が根づいた人間にとって、
自分の“価値”を失う瞬間だった。
されないのが優しさ?
違う。
それは、「お前には触れる価値すらない」と言われてるようで、遥は耐えられなかった。
──日下部にすがって、泣き崩れて、助けてと叫んだら。
“俺”は、誰になってたんだろう?
きっと、壊れてなかった。
でもそれは、できなかった。
そうしたら、遥はもう「虐げられてる自分」という
唯一の“生き方”を手放すことになるから。
蓮司の手の中にいること。
肉体も、言葉も、嘲笑も、
すべてが遥にとって「正解だった」。
──なのに、日下部を見ると、
正解じゃなかった気がしてしまう。
それが、
いちばん残酷だった。
日下部の前では、「壊れていない自分」になりたくなってしまう。
期待してしまう。
信じてしまう。
(やめろ。俺は、もう……)
カフェで、「こいつと付き合ってる」と言ったあの日、
遥は、自分の“期待”の芽を自分で潰した。
そうすれば、誰にも傷つけられないと思った。
──でも、
誰にも期待されない、
誰にも信じられない、
誰にも「見てもらえない」まま、
笑いながら“好きすぎて馬鹿みたい”と呟く日々は、
本当に、もう、生きているとは言えなかった。
蓮司は楽しそうだった。
いつでも、「今日も面白いものが見れる」と思っている。
そして遥は今日も、教室で笑った。
演技じゃない。
もう、自分が何を演じてるのかも、わからなかった。
ただひとつ言えるのは、
日下部の視線だけが──生きてる自分を責めるように刺さるということだった。
もう、生きたくなんか、なかったのに。