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それは春のことだった。
街全体が祭りの雰囲気につつまれていた。
どこからともなく軽快な打楽器のリズムが響き、美味しそうな匂いが漂う。
しかし、ただの春祭りということではなかった。
うわさの『宙に浮く船』、そのお披露目イベントが港で予定されていた。
「なあ、見に行こうよ」
今年17になるタクヤは、友人のゼンを誘った。
場所は、人々でにぎわう中央商店街。
キュビーネ男子高等音楽学校のスタイリッシュなジャケットを脱いで腕に持ち、シャツのボタンも胸まで開けたラフな姿で、男子学生二人は、フィッシュフライサンドをかじりながらのんびりと歩いていた。
午前に定例の演奏試験を終えた二人は、午後は授業がなかった。いつもなら気晴らしの街歩きだけして、自主練習のために寮に戻るところだ。
しかし街に貼られポスターを見て、人々のうわさ話を耳にすると、タクヤはじっとしていられなくなった。
「なあ、ゼンってば、見に行こうよ」
「え? なにを見に行くって?」
ゼンは黒い長髪を振り、けだるそうに聞いた。
そのウツ表情とは逆に、タクヤは期待で目を輝かせた。
「しっかりしろよ、『宙に浮く船』さ。めっちゃ話題になってるじゃん。ていうか、こんなに話題になってるって、今日まで知らなかったし」
「オレたち、アパートと学校を行き来しているだけだからな」
「まったく、たまには街に出てくるもんだよ。もちろんゼンも行くだろ?」
「よせよ。オレは船なんて興味ないね」
「そう言うなって。ほら、ポスター見ろよ。『反重力装置ベルベスを応用した大型船』だってさ。こんなの世界的にも初めてじゃないか?」
タクヤはうれしそうにポスターに駆け寄って指を指す。
「ほら、宇宙戦艦みたいだぞ」
「そんなの知られてないだけ。ベルベスの利用なんて、この国では古くから行われてきたし、軍用にもとっくに実用化されてる」
「いや、まあ、そうかもしれないけど。でも、スーサリアは平和な国だから軍用なんて関係ないし」
「軍用って、知ってるのか?」
「軍用……、空とぶ戦艦、みたいな? 大国マーサ連邦の無敵浮遊戦艦、何でも撃っちゃう号! ドンドンドン!」
タクヤが身振りを交えて大砲を撃つ演技。
「いや、さすがにそんなものは存在しないと思うが」
「だろ。だ・か・ら、見るしかないって」
あまりにも前向きのタクヤの姿勢に、ゼンはため息をついて髪を両手でかき上げた。
「オレ、正直、人の多いイベントって苦手なんだよ。昨夜もゲームで寝てないし」
「また? それでよくチェロ試験、ミスらなかったな」
「春の日ざしは目がちかちかするぜ」
「あいかわらず不健康すぎる。たまには人混みもいいもんですよ、ゼンちゃん。すてきな女子と知り合えるかもだし。ね?」
「いらねえ、そんなの。あと、その悲しい呼び方やめてくれ」
「ゼンちゃんって悲しい? では、ゼンどの」
「ゼン、でいいから」
「ゼン……それ、なんか面白くない」
「わるかったな。てか、人の名前を面白いか面白くないかで判断するのやめてくれ」
「ま、タクヤが面白い名前かっていうと、それもちがうからね」
「不毛だ……」
ゼンはコリをほぐすように首を左右に動かした。
タクヤはそんな彼を横目で見た。
「あのさぁ、せっかく良い日ざしなんだから、もう少し社交的になりましょうよ。案外、うちの音楽学校って評価、高いんだよ、ゼンは興味ないと思うけど」
「音楽的には大して良いとは聞かない」
「なに言ってんの。ちがうよ、男子生徒的に、だよ」
「はあ?」
「うちは、かっこいい男子が多い、ってハナシ」
「アホ」
せっかく言いにくいことを言ってみたタクヤだったが、あっさりと全否定された。
「アホってなんだよ。アホは言った方がアホなんだぞ」
「恋愛禁止されてるのに無駄な妄想するな」
「いやまあ、それはそうだけど、見てよ、雪に閉ざされた長い冬のあとで、こんな気持ちのいい日って貴重すぎるじゃん」
「雪なんて、とっくに融けた。まあ、夜のゲームについては、ちょっと反省。筋肉痛だ」
「だろ? それに、心の喜びってやつは、音楽のためでもある。やっぱ人間、テクだけじゃいい演奏はできないよ、大切なのは心さ。弾む心、春の息吹、わかるかな〜?」
華麗にバイオリンを弾く手振りをするタクヤ。
しかしゼンは相手にしなかった。
「そんなの演奏に関係ない」
「即答で決めつけるなよ」
「ないものはない」
「ないと決めつけてしまうところに、君の根本的な問題があるっ。絶対あるっ」
「そうかよ……まあ……わかった。行くよ。行けばいいんだろ」
「わかった? よしよし。僕が、たのちませてあげますからねー、いいこ、いいこ」
「よせよ、バカ」
ゼンは、ベルベスの不幸な側面を少なからず知っていた。華やかな効果の一方で、生産過程では様々な犠牲が……。しかしそれを口にすると「なぜ知っているのか」という話になるだろう。そんな説明や議論で時間を使うくらいなら、見に行ってしまった方が楽だ、と結論したのだった。