階下の喧騒から隔離された3階の会議室、竹村警部は向かって左側、労働組合側の部屋のドアを開けた。茶色い会議用の長机にパイプ椅子が3脚並んでいる。ドアを開けるとグレーの制服を着たそこそこ体格の良い男性が肩を丸め、入口に背を向けて座っている。パイプ椅子が軋む。
竹村はパンパンと自身のスーツの埃を払い、その横顔を斜め上から見下ろしながらぐるりと回り込むと、その男の真向かい、眩しい窓を背に足と腕を組んでどっかりと座った。パイプ椅子がギシギシと軋んだ。
(こいつは、|何か知っている《グレーか黒か》)
コンコンコンと3回ノックが聞こえ、入室を促すとノートパソコンを手にした白いスーツの男が現れた。色眼鏡を掛けたこの男の悪趣味な出立ちは、如何にもタクシー会社現場叩き上げの事務方のお偉いさんといった感じがする。
「この度はご迷惑をお掛けしまして、私、次長の佐々木、と申します」
その男はゴツゴツした毛深い手で1枚の名刺を名刺入れから取り出した。赤黒いクロコダイル、こちらも趣味が悪い。
「こちらこそ、お仕事中お手数をお掛け致します」
竹村が名刺を持ち名前を確認していると佐々木次長とやらはパソコンを起動させた。手にはクリップで留めたA4版コピー用紙の資料がチラリと見える。するとそこで竹村は彼の動きを止めた。
「すまん、俺はパソコンは苦手なんだ。今日はこの方のお話を伺いたい」
「は、はぁ」
「その手元の、資料とやらだけ置いてあんたは出て行ってくれ。106号車のSDカードは署に提出済みなんだろうか?」
「は、はぁ。勿論です」
「なら今日はさっさと引き揚げよう」
「はぁ?」
「このお方には、あぁ今日は公休日ってやつですか?明日にでも署で任意の事情聴取をお願いしたい」
それまで下を向いていた男は顔を上げ、酷く怯えている様に見えた。なかなかの色男だ。ところが(事情聴取)と聞いた白いスーツの佐々木次長とやらは、いきなりその男の襟元、臙脂色のネクタイを両手で掴むと偉い剣幕で捲し立てた。
「西村!お前、何をしたんだ!テメェの所為で大損害だ!」
「・・・・じ、次長」
「まぁまぁ、そう熱くなるなって。では佐々木さん、席を外して頂けますかな」
白いスーツはギャンギャン吠えながら、思い切り力の限りでドアを閉めた。静寂がその部屋に沈み込む。竹村は足を下ろし資料に目を通し始めた。
「じゃ、あんたの名前と年齢、何号車に乗っていたか教えてくれ」
「に、西」
「聞こえねぇな」
「西村裕人、40歳、106号車のドライバーで」
「106号車ね」
「はい」
窓の外が急に慌ただしくなり、ピーピーピーピーと車のバックする音が聞こえてきた。竹村はパイプ椅子から立ち上がると、ギシギシと音を立て乍らアルミの窓枠を力ずくで開けて下の駐車場を腕組みをして眺めた。レッカー車に106号車が乗せられる、まさにその時だ。
「あんたの車も警察署行きだ」
「えっ!?」
「どうやらあちこち故障中らしいからな、特別に整備してやるよ」
顔色が一気に青ざめた西村の目の前に、竹村が昨夜の106号車の運行状況を印刷した資料の1ページを取り出して見せた。
「昨夜、あんたは106号車で営業していた、間違いないな?」
「は、はい」
「所々、《《抜けてる》》のは何でだと思う?」
「は?」
「これだよ。この間、あんたは何処を走って何をして居たんだ?」
竹村の指差した先には、昨夜の106号車の運行状況が明確に記されていた。
106号車は23:55に乗客を降ろしてから24:45迄は回送(営業終了状態)で金沢市から加賀市方面へと走行、次は加賀市から金沢市方面へと走行、まるでV字を描くように移動していた。
ところが加賀市から金沢市方面へ走行中、加賀産業道路上で突然SDカードがシャットダウンした為、SDカードの録音録画情報も無く、GPS追跡も無効となっていた。次にSDカードが起動したのは25:23、殺害現場の”川北大橋”上だ。
106号車
23:00 片町タクシー待機場 空車
23:15 配車センターから配車指示
片町エルビル→松任方面 実車
23:55 松任加賀笠間 精算降車 空車
23:56 金沢市→加賀市方面 回送
24:45 加賀市→金沢市方面 回送
SDカード録音録画記録情報なし GPS追跡無効
25:23 川北大橋 空車
25:24 緊急無線受信
「・・・・・あ」
「昨夜の24:23に小松大橋付近で106号車が加賀市方面に走っているのを見たドライバーが居る。そいつ車のSDカードにはあんたのタクシーのケツがバッチリ録画されて居たよ」
「そ、それは」
西村の握った拳が膝の上でブルブルと震えて居るのが机の振動で手にとる様に分かった。これはやはり何か隠している。
「西村さん、昨夜から一睡もして居ないんだろう?今日はゆっくり休んでくれ。明日、13:00に金沢中警察署の受付で待ってる」
「は、はい」
「事情聴取っても任意だから来たくなけりゃ来なくても良い」
「・・・はい」
「帰っていいぞ、お疲れさん」
後は久我の聴き取り内容と照らし合わせ、小松警察署と大聖寺警察署に協力要請を出すか否かを検討するだけだ。
そして2つのドアは閉められた。
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